なぜ西進作戦を実行できなかったか?
優れた作戦があるのに、日本政府として何故それを実行に移すことができなかったか? 近海でアメリカの空母を待つことをしないで、何故、真珠湾に行ってしまったのか。あの時に何故真珠湾攻撃に拘る山本五十六をゾルゲや尾崎と同じように共産主義スパイということにしちゃえばよかったのではないでしょうか?適当な理由で強制収容所送りにするか処刑できなかったのか?時の総理大臣、近衛文麿が西進したくなくて内閣を総辞職してまで、西進派を潰したからです。 真珠湾攻撃は、本来であれば、開戦直後に奇襲する作戦でしたが、連携が取れていなかったために開戦前の奇襲となってしまった作戦です。 作戦的にはよく出来ていますので、実行は妥当でしょう。 ただでさえ資源に劣る上に、「航空機が主力になるから戦艦よりも航空機を!」と力説しても戦艦が第一と突っぱねられた中でよく出来ています。 山本五十六がいなかったら日本はもっと悲惨な事になったでしょう。
ミッドウェー海戦は 90% 勝てる戦いでした。 もしこの戦いに勝っていたら 真珠湾攻撃も あながち無謀な作戦とは言えないでしょう。 アメリカ空母 を全滅することができたら その後の戦いは大きく変わっていた可能性があります。 繰り返しますが ミッドウェー海戦が 大きな分岐点です。
【人種差別と植民地主義】 その時代、人種差別は非常に根強いものでした。有色人種は人間としてではなく、動物として扱われ、家畜のように利用されたのが植民地時代の実態です。植民地化された国々は大多数が有色人種の国々でした。白人国家であるドイツやイタリアが、黄色人種を対等な存在として真剣に受け入れていたとは考えにくいです。アドルフヒトラーはドイツ人・アーリア人種の優越を主張し、ユダヤ人はもちろん、有色人種も劣等と見なす差別政策を推進していました。このようなドイツが信用に足るとは思えませんし、日独同盟も、共通の敵であったソ連に対抗するための戦略に過ぎなかったと言えるでしょう。
【西進作戦や北進をした場合どうなったか?】 1941年6月にドイツはソ連に進攻して『独ソ戦』が始まっていました。ここでドイツの助けになる様な事して、それで独ソ戦でドイツが勝利したとしましょう…。「「絶対旧ソ連の土地を経由して満州や北方領土等の日本勢力圏を攻撃して略奪しようとしてきます」」ドイツは只でさえ世界最高峰の科学技術を有していた国家です。戦車一つとっても、機動性・防御力・攻撃力・射程距離・正確さが各国よりも群を抜いていました。アメリカはドイツの戦車と戦う場合は、10倍の数を用意して物量で対抗しなければ勝負にすらならなかったほどだったのです。そんなドイツにソ連の豊富な資源と、大量生産体制が合わさったらどうなると思います?単独で米英に対抗できるようになり、日本との同盟など必要なくなります。むしろ近代国家の中では一番みすぼらしく、造った戦車も欧州では貧弱の部類のアメリカ戦車すらまともに戦えない、そんな日本に中華大陸や南アジアの利権や資源などもったいない。ドイツが占領した方が良いと考えるでしょう
南方作戦が主作戦 真珠湾の奇襲は、南方作戦を支援するために計画されました。これは、南方作戦を阻害する可能性のあるアメリカ太平洋艦隊を先制攻撃するものでした。当初、航空母艦は南方作戦に投入される予定でしたが、陸上基地からの攻撃も可能であることが判明しました。アメリカの動向を把握していた日本は、アメリカが大規模な艦隊決戦を行わず、ヒットアンドラン戦法で奇襲をかけることを予測していました。太平洋の広大な海域を利用し、アメリカの機動部隊は日本の島々を奇襲し、戦艦群は日本の制海圏内に進出して日本を牽制しました。ドーリットル空襲では、アメリカの機動部隊が日本近海に接近しても、日本は気づかず、ギルバート沖海戦では日本艦隊はアメリカ艦隊との決戦に臨みましたが、敵を捕捉できずに失敗しました。 広い太平洋、『何時、何処に、どれくらい』の予測は難しいでしょう。 日本海海戦でもバルチック艦隊の予測経路では秋山参謀がかなり頭を悩ませました。 ましてやアメリカは本気では戦ってくれません。日本に妨害や揺さぶりを掛けて来て、戦力が整ってから攻めて来るでしょう。
西進作戦はドイツとの連携や、東のアメリカ艦隊の動向で、優位には運ばないかと? 南方の石油輸送も数字上では円滑に輸送出来る予定でしたが、実際はアメリカの妨害が無くても目減りします。 日本海軍は中期や後期では、石油の備蓄量で作戦に支障が出てます
アジア解放の目的は、市民の視点から見ても虚偽ではなかったと言えます。実際、当時の日本人の多くはそのように信じており、現場の人々もその目的のために全力を尽くしていました。しかし、彼らは自己の限界を見ることができず、アジアの人々の視点に立って物事を考えることができませんでした。結果として、日本人の押し付けがましい態度が目立ち、アジアの広範な民衆からの協力を得ることができなかったのです。だから日本人は大いに自己反省し、そして興亜の為に再起をかけないといけないのです。