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固定資産税と夏の夜
固定資産税を払いにコンビニへ。
今日は父の命日だった。2ヶ月ほど前から欠かさず線香をあげるようになった。いつも感謝の言葉が自然と出てくる。
8年前に父が交通事故で死に、母と私と弟が遺された。そして一昨年中古の一軒家を購入した。事故当時は自分が家を買うなんて思ってもみなかった。むしろこれからどうなるのかも分からずにただひたすら目の前の仕事をするしか選択肢がなかった。
こうして夏の暑い夜にわざわざ固定資産税を払うためにコンビニに出向いて払いに行っているというこの余裕、心のゆとり。改めて思えば実に感慨深い。
日中の暑さをよそに夜はとても過ごしやすい。コンビニにつけば母や弟に買って帰るものはないかと探してしまう。当時は茫然自失となっていた母も仕事を始め、今は自分の興味のある仕事をするために資格も取得したばかりで絶好調だ。蝉の声を聞きながら帰路に着く。気がつくと友人との旅行を思い返していた。
子供の頃から友人をつくる意義が見出せず、正直に言えば大人になってからも度々友人の誘いを疎ましく感じることがあった。最近になって友情についてはその意義が少し分かってきたような気がする。私の交友関係は本当に少ない。だからこそこれからは一層大切にしていこうと思う。
今人類が滅んで文明が消え去ったら、わずかに生き残った人々は日中の暑い時間帯の活動を避けて夜行性になるかもしれない。そして街灯もない真っ暗な道を月の光を頼りに目的地へ向かうのだろう。目的地があるとするならばおそらく親しい人を探しに行くのだろう。上を見上げれば人類がかつて失っていた満点の星空があるに違いない。そんなことを考えながら旅先の星空を思い返していた。
生きていることに意味はないのかもしれない。全ての良いと思った行いはそうでないかもしれない。ただ、今この瞬間、間違いなく私は幸せだ。
そしてこの幸せは遥か昔から最近では父に至るまで、去っていく人々は大切な人がそうなれば良いと願っていった結果なのだと思う。
私たちは何を享受していて、そして何を伝えていくのか。個人的に子孫を残す予定はないが、全ての人に考える責務があると私は思う。