タバコとチロルチョコ。

花を飾ることだったりTシャツをぴしっと畳むことだったり、人の暮らしへのこだわりに触れるときゅんとする。

わたしにはそういう暮らしや人生におけるこだわりってなくて、だから「ゆずれないこだわり」を尋ねられたとき、そもそものこだわりすらないのに、さらにゆずれないだなんてそんなものは本当にないなぁと思い素直にそうこたえると、諦めの悪いその人は「こだわりがないなんてことは絶対ない」なんてことを言う。

そして思い浮かんだのはタバコとチロルチョコのことだった。

タバコは一日の終わり、帰り道に必ず一本吸うのが習慣。煙の流れを眺めながら風の存在がふわっと浮き上がるのを感じる。今日にいったん丸「。」を打つ、一日のうちで一番落ち着く時間。

チロルチョコは、コンビニへ行くとレジ前で必ず買ってしまう程度のことだが、それは「つい買ってしまう」というより「買うことにしている」感覚に近いのかな、と最近思う。わたしにとってコンビニのチロルチョコは、日常のちょっとしたあそびなのかもしれない。

タバコとチロルチョコ。2つに共通しているのはあってもなくてもよくって、なくても全然生きていけるということ。

でも、とりわけ必要のないどうってことないこと、とるにたらないもの、日常のおまけみたいなものたちが、日々こっそり静かにわたしを喜ばせてくれていることを、わたしはどこかでちゃんと知っている。

ことタバコに関していえば「なくてもいいなら吸わない方がいい」と言われることも少なくない。そのたびに思い出すのは江國香織のエッセイにある、こんな一節。

でもいいの。雨も私も、長生きより快楽を選ぶ質だ。

雨というのは彼女の愛犬の名前。わたしは彼女のこういうスタンス、楽観刹那主義なスタイルがとてもすき。

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本当はもっとすてきなこだわりがほしいなーと思ったりもする。ただ今のわたしにはタバコとチロルチョコくらいがちょうどよくて。

すきなものやこだわりを訊かれたときには、まよわず「タバコとチロルチョコ」とこたえるような単純さでいきたいな、と思うのでした。




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