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今は亡き息子の名は元輝

 来年は元輝の13回忌。もうそんなに経つんだね。でも、元輝は全然会いに来てくれなくて、夢を見ることもなかったけれど、ある朝目覚めたら泣いていた。元輝と会えたから。元輝は何か言ったかな。どんな顔してたかな。思い出そうとしても何もわからなくて。それを思っただけでまた涙が溢れてしまう。

 息子の名は元輝。31歳で星になった。あの頃私は数年後に迎える定年を前に、その後のあり方を考えていた。その時はまだ若く定年を迎えても生涯現役でやってやろうじゃないか!何て息巻いていたんだった。だから元輝の体調に異変があった事も気付かなかった。元輝は19歳の時それから数年後にまた気胸で入院していた。だから、あの時もまたかと安易に考えていたのだ。本当にごめんなさい。

 「お兄ちゃんもう生きてないの」電話の向こうの娘は確かにそう言った。出かけ際、息子の元輝は「帰りにウエットティッシュ買ってきて」と言った。それが元輝と交わした最後の会話だ。今日は行くのやめようか、そんな胸騒ぎ。出かけなければ元輝との別れはなかったかも知れないと、ずっと後悔ばかりだ。

 あの日は社会人学生になって初めての学会参加だった。発表者では無かったけれど雰囲気に触れたかった。前日は打ち合わせで1日家を空けていた。きっと元輝は体の不調があったに違いない。それなのに私は自分の事ばかり考えていた。本当に本当にごめんね。きっと怒っているよね。だから会いに来てくれないんだね。

 元輝と病院の霊安室で対面した時「供えてあげてください」と渡されたのは赤い造花だった。使用感満載のこの赤い造花は何人の魂を送り出したのだろう。そんなことを考えたら元輝が可哀想で胸が苦しくなった。「生花なんか使ったら病院は花代だけで莫大になっちゃうだろ」師事していた医者で恩師の言葉。医療現場で扱われる死の在り方は残酷だ。

 学会の会場にいた私の携帯電話は何度も私を呼んでいた。夫からだった。私が出かけると必ず夫から連絡が入る。どこで何の用事か伝えているのだから、出かけている間は放っておいて欲しいといつも思っていた。だから、ずっと無視していた。けれどあまりにしつこくて渋々電話を受けた。すると「何やってるんだ。どこにいるんだ。元輝が大変なんだ」と怒鳴っている。「救急搬送されたから戻って来い」

 一瞬何が起きたのか分からなかった。体に電気が走り痺れた感じがした。でも元輝は絶対大丈夫。そう信じていた。「お茶でもどう?」どんな顔で断ったのか分からないが、とにかく先輩の誘いを断って私は会場を飛び出した。会場から駅まで走った。履き慣れないパンプスが足に食い込んだ。靴擦れで足が痛い。その痛みが夢ではない事を知らせていた。すれ違う人は怪訝そうに私を見ていた。私は泣いていた。

 「ねえ、大丈夫だった?何だかあの日随分急いでたみたいだったから」お茶に誘ってくれた先輩に今でも元輝の死を打ち明けていない。だって、元輝は私の中で生きているから。


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