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彷徨う白くて長い脚

   「水たまり」

 日に日に秋は深まり、気温が不安定な流れで低下していく。季節の移り変わり。
 相変わらず彼は家に来ても理不尽なほど意地悪だった。日常会話も世間話も刺々しい攻撃的な態度で私を追い詰めた。それでも会えることで乗り切れることに賭けて私は数日を耐えたと思う。彼は機嫌が悪いとすぐに「帰る」「出ていく」と私を脅した。まるで私の態度がすべて原因だという体制を構えた。私はその帰る、出ていくという卑怯な手段に日に日に対応出来なくなっていった。
最後の曖昧な記憶によれば、彼が当てつけのように「出て行く」と言って、来たばっかりのくせに私にわざとその言葉を当てつけたときに、私の張りつめた我慢は限界に達したことを辛うじて覚えている。
彼は私の突然の切れ方に防衛線を張っていた。玄関先で私を罵り、まるで自分が私の為に会ってあげているのに私のせいでイライラするから帰ると言うようなことを言った。私はその瞬間、頭が真っ白になった。
私は彼が持っていたショルダーバッグに飛びついた。とにかく帰るという手段をやめさせたかった。逃げることは卑怯すぎる。そして繰り返させる。
彼はバッグを盗られないように抵抗して私を突き飛ばすように放そうとしてくる。私は何があろうと手を放す気はなく、体重をかけるようにバッグを引っ張った。バッグには彼の大事なものが入っている。例えばノートパソコンや財布、鍵。これがないと彼はここを出て行けないとわかっているから、私は集中して奪おうとした。
パチーンと音が響き、彼が私に平手打ちをしたのが分かったが痛みはまったく感じなかった。彼も諦めなかったが、ついにショルダーのひもの繋ぎが壊れ、布が破れ、バッグが彼の肩から抜けた。突然の反動でバッグは私の手元で自由になった。瞬間の計算で私は飛びのくように玄関から廊下に向き直り、洗面所に飛び込んだ。彼も瞬発的に私を追う。浴室の扉が半分開いていて、浴槽に水が半分ほど残っているのが見えた。彼が私に手を伸ばすのが見え、私は躊躇せず浴槽に向かってバッグを投げ込んだ。その途端私も突き飛ばされて浴槽の中に変な形で倒れた。冷たい水の中に沈むのが分かった。態勢を立て直してすぐに振り返ったが彼はバッグと共にすでに玄関を出ていくところだった。私は追いかけるのを諦め、でもやるだけはやった、と思った。
びしょ濡れの私はその場で服を脱ぎ捨てそこら辺にあったタオルで適当に体を拭き、髪は濡れたまま布団に入って目を瞑った。部屋の中は水たまりが玄関まで続いていたが気にする余裕がなかった。一刻も早く眠って時間が経つのを待ちたかった。

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