彷徨う白くて長い脚
「不純と純粋」
頭は段々と正常になって行った。堕ちる深さが深ければ深いほど這い上がるのに時間も労力もいる。私は色々な、様々な、中毒症状や後遺症にただじっと耐えた。通り過ぎるのを待った。油のような汗で様々な症状に耐えているとき、なぜか幸福なことを思い出して時間を潰した。もう手に入らないと諦めたものを、静かに思い返したりした。なぜか、今の自分を不幸だと思わなかった。
彼と私は十分に大人になってから出会った。控えめに考えたとしても、二人共、本来の年齢より多くの経験を得て重ねた生き方をしていた。良くも悪くも。生き急いでいる二人だった。恋愛に関してもその通りで、お互いが平均より多くの遍歴を持ち、諦め、希望も保っていたし、それを二人共隠そうとはしなかった。
セックスもそれに倣い、嘘も虚栄もなかったと思う。それだけに他人には言えないような行為も少なからず楽しんではいたが、それは誰にも理解してもらえない範囲の純情を伴っていた。眉を顰められても仕方のない性癖をぶつけ合いながら、私たちは純粋すぎた。まるで13才か14才くらいの二人が真剣に向き合って新鮮で不器用に愛し合おうとしている渦の中を見ていた。それは4年経っても変わらなかった。どんなに関係が退廃して行っても、それだけは変わらなかった。どんなに卑しく求めあう気持ちでいても、性欲で割り切ろうとしても無駄だった。私たちはあまりにも純粋すぎる気持ちだけでセックスするしかなかった。残酷にも。途中でどちらかが泣き出して中断することもあった程に、残酷に。
元々が狡猾で貞操観念がない二人は、お互いが他の異性とセックスをして相手の存在を紛らわそうとしたこともある。私の場合、成宮くんがそのうちの一人と言えるのかもしれない。結果、貞操観念自体に意味の無さを実感することになる。経験や度胸に対しても。すればするほど、残酷な純情を思い知るのだった。ヒマ潰しにもならない。それはただの無だった。お互いの存在を意識させることに関しては逆効果だったとも言える。逃げ場はないのだった。
でもそれが最大の幸福だったのかもしれない。唯一無二だと信じ込める、嘘でも自分を騙そうと思える、味わったことがない必死さがあった。狡猾さや経験値やプライドや色んなものを取り上げて、何もかもが役に立たない幸せというものだったのだ。守りたいものを、大事なものを手に入れるということは、同時に、それを失うかもしれない恐怖と可能性という不幸を知ることになる。それを抱えることが幸福なのだった。
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