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某月某日労働日記 Day17

本日で連続労働日数、連続17日目。私はこれまでの人生でほとんど労働という労働をしたことがなかった。一週間ほど前に、人生で3回目となる確定申告をし、自分がいくら稼いでいるのか把握した。思った以上に稼いでおらず、そして、思った以上にお金を得ていた。この一見、相反する感想は私の収入の構造による。

私は自分で、労働の対価として得た金額の、その約3倍ほどのお金を他者から頂いていた。これは驚くべきことで、それはひとつのなにか、形では言い表せないものだ。それを自慢したいわけではなく、私は、本当に、生かされているのだ、と感じた。I was born が、能動ではなく、受け身のように、私の現在の生も、受け身として存在している。

労働をしようと思ったのは、いくつかの理由がある。第一に、わかりやすくいうと、お金が必要だからだ。悔しい思いをした。切ない思いをした。情けない気持ちになった。これをなしたい、というときに、それらが足枷になる。まず、この足かせを外したい。第二に、自分の仮説を証明してみたかった。それは、私は働けるのか。いままで、ずっと、働くことを避けていた。就職どころか、アルバイトすらこわい。じぶんは能無しであるから、他の人が当たり前にできることができないのではないか。だから、イレギュラーな形でしか、生きることを、続けることがデキないのではないか。仕事に応募するのが、怖かった。

高校生のときに、ちょうど今頃の季節、友人とマクドナルドでだべっていた。すると、スタッフの方が話しかけてきて「一緒に働きませんか?」と誘われた。私はその前日に、映画「イエスマン」を見ていたので、「イエス」といった。高3という受験期だということは、関係なかった。イエスということが大事だった。私は高3であり、運動会の緑団の代表をやって、250人近い人々のLeaderだった。そちらは、自分で言うのもなんだか、上手にできたと思う。楽しかった。優勝もした。いい思い出だ。

が、アルバイトはてんでダメだった。仕事も覚えられないし、人間関係も築けなかった。8ヶ月働いて、合計で3万円ほどしか稼げなかった。シフトを出さなくなり、自然と私は消えた。自分の時間が、どうでもいいことに、使われている。それを自分が、自分にさせようとしている。労働とは、そういうことなのだろうか。とにかく、その場にいるときに、自分が自分でないような感覚が強く、無理だとおもった。その後、何回か、働いてみたいなというお店があった。何度もかよって、人に話をきいて、そして、応募。すらできない。自分がうまくやっていける自信がない。応募するということは、働きたいです、ということだ。しかし、もし働くことになったとして、3ヶ月後に、自分がそこにいる未来を想像できない。つらくなる。迷惑をかけるくらいなら、そもそも応募しないほうがマシだ。

だから、周りの人たちが、就職、アルバイト、インターン。どんな形であれ、なにか、仕事をし、継続をしているのを見ると、私にはできないな、と思ってきた。すごいな。すごいな。すごいな。すごいな。すごいな。わたしには、できない。わたしには、できない。わたしには、なにができる?わたしには、なにができる?なにかしら、は、あるかもしれない。それは、すごく言語化しづらくて、ふだん、こういった長い文章を書くことは得意だが、要領はえない。なにをいってるのか、わからない。作品を、言語にするのは、苦手だ。もう、作品とか、アートという言葉すら、最近は気持ちが悪い。

そういったこじらせがあったので、労働にトライすることは、自分に対して、挑戦することだった。やりながら、向いていない、と思うことが、本当に多い。短期でもできるというのは、誰にでもある意味でできることなのだが、やはり、お店の方々(経験者)と比べると、私の動作は遅い。何回も繰り返せば、その動作は早くなるのだろうけど、今のレベル1から、彼らのレベル20だとして、せいぜい5くらいになれば、満足する。言い方はわるいが、ドウデモイイ作業を一生懸命覚えようとは、思わない。極めようと思わない。なら、なにを私は極めたいのだろうか。

この毎日働くことを続けてみて、よかったのは、じぶんは働けるという感覚を得た。ほかにも、上司や環境がいいと、のびのび働けるだとか、みなさんは当たり前に体感してきたかもしれないことを体感した。わたしも、的確な指示をだして、他の人が気持ちよく働けるような、そんな人になりたい。そっちのほうが、お互いが、得だから。楽しいから。そして、なにより、続けることはすごい。もし、これを、自分がきょうみのあることで、続けて、生活も維持できるようになれば、めちゃめちゃすごいことになるぞ!と思った。

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新造真人 / ARTISTO🍉
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