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かめれおん、しばしお暇いただきます。

2019年、7月。
その日は突然にやって来た。

昨年の9月、地元のカフェバーの立ち上げ店長として帰って来ないか?そんな選択が舞い降りたとき、4年の東京生活に疲れていたこともあり地元でやっと仕事が出来るチャンスだと腹をくくって東京を後にした。

夢を追いかけて出てきたわたしの東京生活は、決して楽しいだけじゃあなくって、現実や自分の力不足に毎日戦っている。そんな日々だったように思う。

そもそも、田舎から東京に出てきたのは25歳になる数ヶ月前。田舎では周りの同級生が次々と結婚して2人目、3人目と子どもをもうけていても珍しくなかった。


そんな中、なぜこのタイミングで"東京に行く。"と決めたのかには、訳があった。


その年、地元で活躍していた服屋のオーナーが癌で亡くなった。宣告から3ヶ月。あっという間過ぎた。


彼と直接密に過ごしていたわけではなかったが、わたしの生きていく指針になっている尊敬するアフロ(今回は話が長くなるので、アフロの話はまた今度。)が親しい仲だったこともあり、夏にはBBQ、冬には山登りと接する機会も多かった。


とても陽気な人で、周りに愛されていた。


仕事も成功していて、東京の服飾業界で名前が知れた人らとよくお酒を飲んでいて、田舎では希少種なイカしたオヤジだった。


そんな彼が亡くなった。



細胞が元気過ぎたのだ。だから、進行が早かった。なんて声も出るようなパワフルな人だった。



そんな報せが届いた頃、わたしは自分の住んでいる隣の街のデザイン会社でグラフィックデザイナーをしていた。


朝から晩まで、パソコンに向かって答えのない修正にせっせと向かっていた。毎日1時間の往復の通勤と、社長の過去の辛かった話を聞くのが苦だった。


入ったばかりの職場、職種。



辛さを乗り越えた末に、見える景色があると。今回はやりきってプロフェッショナルと呼ばれる人になる。そう毎日思い返しては、画面に向かった。


そんな時に彼が亡くなった。

ああ、人生って思っているよりも圧倒的に呆気ないのかもしれない。明日生きている保証なんてどこにもないんだな。


辞めさせて欲しい。東京へ行きます。



これまで東京へ行きたいと言って、貯めれなかったお金を4ヶ月そこらで貯め、遊びに行くフリをして下見に行き、家と服飾の学校の入学を決めた。


来月から東京に住むから。

父は、何を考えているのか全くわからないといった状況で相談もない急な決断にたいそう怒っていたように思う。


4年の間、服飾の学校を少しいったくらいでは仕事に就けずどうでも良いドーナツ屋でバイトしてみたり、SNSでの発信活動が実り自分を知る人が急激に増えたり、確信を持って挑戦したビジネスでコケたり、一旦は成果が出たビジネスを続けられなかったりと分かりやすい成果を出せないまま月日はあっという間に流れていった。


わたしが東京に行き、起業するきっかけとなった大好きだった彼氏とも別れ、どこにも居場所がないような空虚感にも襲われた。

SNSで見せるポジティブで、いつも笑顔な綺麗なわたし、は本当のわたしではなかった。

お金の心配はいつも付きまとっていたし、夢を追うことにも疲れていた。 何も出来ず家で寝たきりになっている自分を誰にも見せることが出来なかった。

そんな外でのアイデンティティが揺らいでいたように父との関係もずっと本音を言わない仮面親子のようだった。

いつからだったのか、もう遥か遠過ぎていつからそうなってしまったのか思い出せないくらいだ。

そんなわたしの人との付き合い方は、全ての人間関係に反映されていた。

深い関係になっては、こじれる。相手の為と動いたことがきっかけで友人関係が壊れてしまう。人との距離感がわからなかった。

これまで地元で情が厚い、愛想が良い、思い遣りがあると喜ばれてきたと行動が喜ばれなくて困惑した。好きな人に沢山与えたい。最終的に良くなる方向に導きたい。

都会で自分の居場所を必死でこじあけたくって、認められたくって、求められたくって、いつの間にか、わたしの思い遣りはエゴにすり替わっていたのかもしれない。

これに冷静になって気付けたのは、7月からの3ヶ月のお暇をもうけて今やっとのこと。

続く。

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