【エッセイ】 ブルーベリーをぶちまけた
ブルーベリーをぶちまけた。
私は、まだ購入する前のパックに入ったブルーベリーを一粒残らずぶちまけてしまった。
私は声にならない声を上げた。それは誰がどう聞いても何かヤラカシタとすぐにわかる声だった。
そこから私は何秒かそのまま固まってしまった。
体感では『Happy birthday to you』を歌って誰かの誕生を祝福できる程の時間に。
そんな私に、一連の流れを見ていた男性が「気にするな。蓋が緩かったんだろう。そんなこともある」と言ってくれた気がする。
海外生活はそこそこ長いけれど、英語がクリアに聞き取れる日と、全く聞き取れずに理解できない日がある。その日は後者のようだった。ただショック過ぎて何も情報が入ってこなかっただけのような気もするけど。でも優しさはちゃんと伝わった。ありがとう、お兄さん。
私は「そう言ってくれてありがとう」とだけ返した。
幸いにもブルーベリーは床に散らばることなく、積み上げられた商品の上に大半が乗っかってくれていた。
床に散らばったんじゃなくてじゃなくて本当に良かった。
私はブルーベリーを優しく掴みパックに丁寧に戻していった。
自分の失態を自分で処理しているだけなのに、なぜかとても恥ずかしい。私は恥ずかしいうえに情けなさも相まって冷静さを少し失っていた。
そこに性悪な妄想が私に襲い掛かる。
今脳裏に浮かんでいるのはブルーベリーを拾っている私の悲しい後ろ姿。
みんなが見ている。みんなが「あーあ、やっちゃった」と思っている。みんなが私がこの後どうするかを伺っている。お店も監視カメラで私がこの後どうするか見ている。みんなの視線を感じる。
他人にはこう見えているんだろう、という嘘か本当か確かめようのない客観的妄想が、私の心を乗っ取ろうと画策している。
なんかちょっと泣きそうになる。
でーーーーい!!しっかりしろ!私!
大切なのは、これをどうするかだ!!
私はすっかり放心状態で体の中を彷徨っている自分をグッと無理やり芯に戻した。落ち着け私。
こんな時に気が向いた時にしかやらない瞑想が役立つとは思わなかった。5分もできないのに。すごいよ仏様。これからも瞑想を続けていこうと誓った出来事だった。
私はブルーベリーを拾いながら、他人はこんな時どんなリアクションを取るのかを考えてみた。
私みたいに恥ずかしさを押し殺しながら甲斐甲斐しくブルーベリーを拾う人、気にせずそのまま放置していく人、恥ずかしさと罪悪感で怒ってしまう人。人間性が明らかにでる瞬間であることは間違いない。できることなら、観察される側ではなくする側になりたかったと思う。
拾えるブルーベリーは全て拾い、パックの中を確認してみる。が、明らかに足りない。転がっていった一部のブルーベリーは隙間に落ちていってしまったようだ。さて、どうする私。
このブルーベリーは2パックで6ドルのセール品。グラム売りではないところがミソ。
少し容量が足りなくなってしまったこのブルーベリーのパック、私はどうすべきか?
選択肢は、
1. シレっとそれを棚に戻し、別の満タンに入ったパックを買う。
2. 店員さんにぶちまけてしまったことを伝え、謝り、別の商品を買う。
3. 自分の責任なんだから、それを買い取る。
1の選択肢はあり得ない。私の代わりに誰かが損をしてしまう。
では、2はどうか?店員さんはきっと快く交換してくれるだろう。私も損はしない。でも、心のどこかで私はこう思っている「落としちゃった?だからなんだよ」と。
では3を選んだ場合は?私の本音は3を選びたい。でも、なんだかバカをみている気がしてしまう。それはきっと、2の選択肢を取れば私は損はしないとわかっているからだ。
これは、自分が損をしないことを選ぶか、自分の道徳観を選ぶかの問題だ。正しさはここにはない。
詰めなおしたパックをジーっと見つめ考えていたら、私はふとこんな言葉を思い出した。
「迷ったときは、自分の気持ちがいいと思う方へ」
そっかー、そうだよねー。私はそのパックを購入することに決めた。後悔はちょっとある。でも、これでよかったと思っている。
何日か前にインスタで見かけた耳障りの良さそうなだけのこの言葉に助けられるとは思わなかった。物事の受け取り方はちゃんと自分の都合のいいようにできている。ありがたい能力だ。
帰宅し、夫にこのことを話したら、夫は「店員さんに言って替えてもらえばよかったのに」と言った。
なにをおっしゃる。私の予想だと彼は今はそう言うけれど、私と同じ立場になったら責任を取って買ってくる人だ。
冷静でいる時の自分と、恥ずかしさや罪悪感があるときの自分は全くとまでは言わないけれど違う時がある。巷では、失敗した時こそ人の本性が出るなんて言われているけれど、本当にそれがその人の本性なのだろうか。人間性の一部ではあるけれど、本性と言い切ってしまうことに対しては、私は疑わしく思ってしまう。私だって今回はストレスがたまたまなかったから自分で責任を取ろうと思っただけなのかもしれない。今後同じことが起きても、同じ選択をするとは限らないのだから。
(ただ、嫌な人にはそれが本性だと決めつけたい願望も私にはあることは認めたい。ご都合主義万歳!)
今回私が学んだことは3つ。
どんな感情に支配されるかで人の言動や意思決定は変わってしまうこと。
短くても瞑想は効くこと。
パックの蓋はきちんと持つことだ。
ちなみに。そのブルーベリーはちょっぴり酸っぱかった。
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