馬鹿みたいに
ここ2日の間、高校の屋上に上がり、雨水の排水口の清掃をひとりでしていました。
風が運んできた土が長年にわたり排水口を塞いでいたので、それを除去する作業です。一棟につき排水口は12口。それを3棟。
2日かかりました。
2日目にしてわかったことがあります。
学生の頃、よくこの校舎の屋上で過ごしました。
その頃から、屋上は立ち入り禁止だったと思います。落下すると危険ですからね。また、生徒が良からぬことをしていても、先生の目の届かない場所でもありますから。
当時、私は他の生徒が授業をしている最中、屋上に上がり馬鹿みたいに眺めていました。何を眺めていたのか憶えてはいないのですが。
日が落ちても眺めていました。ある時期になると家に帰るのは朝の5時で、少し寝て、昼を過ぎるとまた登校して屋上に上がるのです。馬鹿みたいに。
屋上という目の届かない場所で私に目が届いていたのは、風と雲と太陽と鳥と星、だったと思います。
私に目が届いていたはずの、その、風と雲と太陽と鳥と星が私を叱らなかったので学校生活はそのように過ごしました。
風や雲や太陽や鳥や星にくらべれば教師など、ちっぽけなものではないですか?
36年が経ち、私は同じ学校の屋上で排水口の掃除をしている。
照りつける太陽に焼かれながら、それでも吹き抜ける風が時折り心地良い2日目。屋上の下では生徒が授業中で、職員室では先生方が難しい顔をしてパソコンを開き、体育館では掛け声と掛け声が作り出す茶色いリズム。
遠くに6月の山が霞んで、田んぼの畦に草刈機の音があり、町の屋根はさざ波。
ああ、そうだ。
あの頃、馬鹿みたいに、一生懸命に何を眺めていたのかは今でもわからないのだけど。
大人になって、屋上に上がりわかったことがあります。
学校の屋上という場所は世界中で一番素敵な場所なんだということです。
誰もが一度はその人生において訪れるチャンスを与えられていながら、訪れたことがない人もいる場所。
そして大人になれば訪れることを許されない場所。
その屋上を吹き渡る風は確かに色が違っていました。36年が経ってもその色を言い表すことはできないけれど。
そこに青っぽい鳥が屋上すれすれに飛ぶのです。
この世で唯一、死なない鳥です。
夫が今朝、ポンと他所で投稿した記事です。
今年の春から高校の用務員(事務補助員)の仕事をしています。
36年経って、どうですか?と聞いてみたい。
馬鹿みたい?馬鹿みたい。
馬鹿ですかね。
馬鹿は、私は、わりと好きです。
世の中の、何が馬鹿なのかも、利口なのかも、私にはさっぱり分かりません。
私は自分を馬鹿だと思います、だって利口じゃないから。と書きながら、何を言いたいのか自分でもよく分かりません、ゆらぎ世代です。
夫の、最後のところ、すごく好きだと思いました。
そうだね、言いたいのは、多分それだった。