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それはパクリかオマージュか?美大生、著作を学ぶ。


はじめまして。

グラフィックデザインを勉強している大学生です。

さっそくですが、先日面白い雑誌を読んだので紹介させてください。


そこには、海賊版が堂々とオリジナルの隣に陳列されていた

博報堂が発行する雑誌『広告』です。

昨年7月に販売された リニューアル創刊号 価格1円(税込)が話題になったので、ご存知の方は多いと思います。

今回紹介するのは3月26日に発売されたその最新号です。



おーい!誰かコンビニでコピーした紙の束、置き忘れてるぞ!

と思わず言いたくなるような光景でした。

地元の馴染みある本屋のいちばん目立つ棚に、違和感たっぷりの荒いコピー、ホチキス留めのそれは並べられていました。

特集は著作。そして、問題提起としてオリジナル版2000円とオリジナル版をコピーしたセルフ海賊版200円が同時に発売されました。

前回の1円雑誌に引き続き、コンセプトのかっこよさにぶん殴られました。かっこいい。

2000円のオリジナル版と200円のセルフ海賊版。

もちろん、内容は同じです。どちらを買ったかというと、少し迷って両方買いました。

完売状況を見ると、オリジナルの方が売れているようですね。10倍の値段をするオリジナル版の方がよく売れているというのは、意外な結果でしょうか?

デリケートでピリピリとした近寄りがたいもの。

コンセプトに惹かれて購入しましたが、なかは著作というなんとも難しそうな特集。

わたしはデザイナーとして仕事を受けたり、個人制作もしています。著作権とは特に密接に関わりのある立場です。

デリケートで難しそうだし、ピリピリしていて一歩間違えるとあっという間に燃えてしまいそうで怖いし、近寄りがたいな……。

正直、そんな印象を持っています。

しかし、著作権はハードルが高いもの、近寄りがたいものではなく、自分のすぐ隣にあるものでした。


オリジナルだと信じていたものは無自覚のパクリだったのか


パクリって言葉、なんだかすごく嫌な感じがしませんか?


自分の作品が、知らないだれかのパクリ作品だと言われてしまうかもしれない。

これは美大生あるあるかもしれませんが、課題提出した後にPinterestを漁っていると

「うっわヤベー、これちょっと似てるかも……パクリと思われたらどうしよう。」

このように、わたしは自分の作品と似たものを発見したことがあります。これはもしかしたら、自分が無意識のうちに影響を受けていた可能性だってあります。

もちろんパクリるつもりはなく、しようとも思いません。

しかし、この出来事は自分の作品を、とくにSNSで発信することが怖くなったきっかけでした。


それから自分の作品、オリジナルだと思って作ったものがだれかのパクリだと指摘されることへの恐ろしさや怯えが常にありました。

これだけは自分の個性であり、オリジナリティを持ったものであると思っていたものは、実は知らないだれかから影響を受けていただけの、無自覚にパクった個性だったのでしょうか。

デザインは世の中に溢れていて、少しでも似ているものを持ち出してパクリだと否定されたら一体どうすればいいのでしょうか。

パクリじゃない作品を作ることなんて出来るのでしょうか。もはや、今までにまったくないものを生み出すなんて、もう不可能ではないのでしょうか。


自分には個性を出しオリジナリティのある作品を生み出すことなんてできないのではないのではないでしょうか。


個性。

オリジナリティ。

周りを見ていても感じることですが、このような悩みを抱えている人は少なくないと思います。


“「普通の人は面倒だと思うけど、その人は面倒だと思わずにやり続けていること」っていうのが誰にでも何かしらあるんじゃないかと思うのですが、そういうものこそがオリジナリティと勝手に結びついていくんですよね。”                            引用-『広告』34 著作とオリジナリティ 作詞家いしわたり淳治×『広告』編集長小野直紀 

対談のなかでの、いしわたりさん言葉です。

自分をすべて消してしまってもなぜか滲み出てきてしまうものが個性なら、それは無理をして探そうとするものではなく、わたしはただわたしの思うままに制作をして良いのだと心が軽くなりました。


だから今度は自分で、パクリを恐れ個性を闇雲に探し制作にかけていた制限を取り払おうと思います。この対談はわたしにとって、背中を押されるような内容でした。


はじめて知る、著作のこと。


著作権の目的は文化の発展であり著作者の権利保護ではない。


ハッとしました。

著作権はパクられることで作者が不利益を得ることのない仕組みだと思い込んでしました。

35 著作権は文化のためになっているか では、いまの制度は著作権は商品ではなく、社会をよりよい方向にあと押しする基礎となり機能しているのか問題提起しています。

誰が作つくったかのかはっきりしない作品が大量に溢れたネットの海は混沌としていて、いまの著作権制度は現状に対応しきれていません。

そこで、作者を守るものでも出版社を守るものでもない著作権制度の姿を、そして時代に沿った形で著作権制度をハックする試みを紹介しています。


フェア・ユースって何?

フェア・ユース とは一定の条件を満たしていれば、著作権所有者から許可を得なくても、公正な利用であれば著作権侵害にはならないと定められた米国の著作権制度のことです。

……え、いいの?

いやいやいや、許可なく利用ってダメでしょ!と思いましたが、読み進めるとフェア・ユースという制度は非常に納得のいくものでした。

そこで、50 現代美術とフェア・ユース で挙げられている、フェア・ユースにあたるかという裁判の事例の一部を紹介したいと思います。

それは、ジェフ・クイーンズの『Niagara』というペインティングです。

このペインティングのなかに『Allure』誌に掲載された別の写真家が撮った写真を無断使用されていたというものです。

裁判所は、このクイーンズによる写真の利用はフェア・ユースにあたると判断しました。つまり、許可を得なかった利用にも関わらず、著作権侵害にはならないということです。

自分が無断使用された写真家の立場を想像すると理不尽で、腹がたって納得できないでしょう。しかし、先ほども述べましたが読み進めるとすとんと腑に落ちてしまいました。

それは、ブランチの写真を利用した理由に明確な意図と、オリジナルへの敬意を感じられたからだと思います。クイーンズが作品で何を表現しようとしたのかを考えると、写真の利用はただそこにちょうど良い素材があるから利用したのではなく、『Allure』誌に掲載された、その写真でなければならないという強い動機を感じました。


たとえば、転売だって許される。

この『広告』の大きな特徴のひとつは、一部記事を除きクリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CCライセンス)が付与されていることでしょう。

“CCライセンスとはインターネット時代のための新しい著作権ルールで、作品を公開する作者が「この条件を守れば私の作品を自由に使って構いません。」という意思表示をするためのツールです。”                                                                          引用元 https://creativecommons.jp/licenses/

つまり、記事によっては、わたしがさらにコピーし、改変し、転売することも可能です。

たとえば、わたしが周りのデザインを学ぶ友人達にコピーしたものを配ることで、著作について関心を持つきっかけを与え、将来的に著作への関心知識を持つデザイナーが増えるというポジティブな影響を与えることもできるかもしれないということです。


パクられないための著作権ではなく、新しい可能性を見つけるためのにこのような選択もあるのですね。

今後デザイナーとして自分の作品とその考えを発信するために一番有効な選択は何か考え、意思を示すことを検討したいと思いました。

恥ずかしながらアート・デザインを勉強しているのにも関わらず、『広告』を読み初めて学んだことは多かったです。


著作に対しどれほど親しみを持てているでしょうか。


すぐ隣にある著作の存在をよりよく知り、考える為にも『広告』を読んでみるのはいかがですか。


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