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【自己紹介】ちゃまるのこと・後編その2
はじめまして。
ちゃまるともうします。
アラフォー・シングル・一児の母です。
前編、後編その1を読んでくださった方も、そうでない方も、興味を持ってくださりありがとうございます。
早速、ちゃまるのこと・後編(その2)をはじめます。
結婚しました
パパパパ〜ン、パパパパ〜ン🔔
出会ったその日に結婚決めちゃった。
義姉の紹介👍️だから、半分お見合い、半分恋愛結婚かな。
生涯の伴侶と出会えたと思っていた
後編その1でも書いたが、出会ってしばらくして退社を決めた。
プチ遠距離だったから結婚するまでに2度ほどしかデートはしていない。最初にもらったプレゼントは和菓子。職人さんだからね。
めちゃくちゃ美味しかった。30過ぎて餡が食べられるようになったのは、きっとこのためだね。
手紙のやり取りも2回ほどした。生涯4通くらいもらったかな。
最初に届いた手紙には、お守りが入っていた。なんとも古風で優しい人。
帰郷したその日から同居が始まった。お義父も一緒。
本当は、しばらく実家で過ごそうと思っていたんだけれど。なんか、このまま一緒に住む雰囲気だ・・・
ここでもまた、流されてしまったわたしである。
半月ほどで籍を入れて、正式に夫婦となった。
出会ってから4ヶ月目のできごとである。
友人から言われたのは
「あなた、生き急いでいるのかと思うくらい、ものすごいペースでいろんな事が起きたね。ひとの何十年に匹敵するよ」
だった。たしかに。
運命ってあるんだと思った。
そうしてなかったら娘に出会えていなかったかもしれない。そもそも結婚もできていなかったかもしれない。
その年の暮れ、主人に病気が見つかった。
最愛の娘誕生
生まれるふた月前に手術して、臨月のおなかでずっと主人のそばにいた。
地元に一緒に戻って2週間だったか。状況を理解していたかのように、娘がこの世に誕生した。
育児と主人の闘病生活が始まった。
娘が加わって3人の生活
この頃は、楽しいこともつらいことも入り乱れて存在する。
感情もとてもとても忙しい時期だった。
だから、とても感動的な娘の成長をえがきたかったが、なんだかうまく言葉にできない。
時間を取って振り返り、追記したいと思う。
素人が個人事業主になりました
主人に見つかった病気は手術して、投薬治療でよくなるものだと思っていたが合併症を発症した。
そんなばかなだ。
あんまりじゃないか。
何百万人にひとりの病気ってなんだ。
必死になって、治療を試しに飛行機に乗って出かけたりもした。
でも、だんだん主人のからだはきつくなってきた。
最後まで職人として生きてほしかった。本人もそれを望んだ。
だから、おうちの横にちいさな工場を建てた。
そこで半年弱。師匠となる主人から餡炊きをたたき込まれた。とても厳しかった。こんな素人になんて言い方かと思った。商売人としての厳しさを教わった。
未亡人になりました
4年だった。老後にはゆっくり散歩しようと言っていたのにあんまりだ。
宝物をふたつ、私にたくして最愛のひとは逝ってしまった。
それからがむしゃらに、ふたつの宝物を守った。
主人の菓子についてくれていたお客様もいた。そして、私の作る菓子のファンもできた。それがありがたく、支えになった。
そして、こんなに必死にやってこれたのは、娘の存在があってこそ。
よく笑い、しゃべって歌って踊る子。
たくさん笑わせてくれた。
歌うことが好きなところ、変顔で笑わせるところ。ユーモアがあるところ。
お父さんにそっくりである。
無邪気で内気、とっても恥ずかしがり屋なこの女の子は、いつでもとても一生懸命にお母さんを笑わせようとしてくれていた。
太鼓もお遊戯もとてもがんばって、その成長にいっぱい励まされて頼もしくもあった。
娘が小学校にあがるのを機に、お義父さんのもとを離れることに決めた。
きままに、おふたりさま生活
ふたりはとても気楽だった。
ただ、やぱりちょっとさみしくもある。4部屋もあるアパートは、和室とダイニングキッチンの2部屋にだけいる。残りは物置部屋と洗濯干し部屋になっている。
学校までは遠くなってしまったけれど、頑張って歩いた。入学して最初のひと月は、初めてお仕事をお休みして娘に寄り添った。
もう大丈夫かな。
そう思ってお仕事を再開した矢先、生きしぶりが始まる。
娘の居場所は学校?おうち?
1年生、親も子も一生懸命だった。学校は行くものだと思って、お互い無理をした。なんとか、登校することができていた。
2年生、だんだんその無理もきかなくなってきた。お互い苦しかった。
娘はとてもがんばった。おともだちも大好き。優しくて好かれる子だった。
ただ、無理していたのが限界がきた。
学校を休んでいる間は、工場に一緒に通った。でもそれももう限界。
3年生を迎える前に、学校に行かないことを親子で決めた。
母が一生懸命仕事に打ち込めるように、娘はたくさん大人になろうとした。
無理したから限界だったのだ。
ずっと母の側にいられることで安心したようだ。使いすぎたパワーはほとんど残っていない。
充電期間。
最初の頃は、お勉強もがんばっていたけれど、それもお休みした。
パワーをちびちび使っても、全然充たされなかったから。
やりたい、楽しいことをふたりの真ん中に
このところ、母はやる気に満ちて執筆している。
とても楽しい。
どうしたことか、ゲームとYouTubeの日々だった娘も変わった。
最近はアニメを見ている。一緒に怪盗キッドを見たことがとても嬉しかったようだ。
推しの子、ドラゴンボールを見入っている。
そして、おやつのレシピをAIに教えてもらって一緒に作ったり。晩ごはんも共同作業だ。楽しい。こんなに楽しくていいのか。
今は整理した本棚からのぞくパズルを引っ張り出して、すべて仕上げようとしている。意欲が湧いてきたようで頼もしい。
しあわせな日々である。
おしまいに
もし、この記事を見つけて読んで下さる奇特な方がいらっしゃったら、最後までお読みいただきまして誠にありがとうございました!
興味がありましたら、また書き加えられるであろう、別の記事でもお会いできましたら光栄です。
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