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【デキる先生の仕事術】TAKERではなくGIVERへ

TAKER=奪う人
GIVER=与える人

‘TAKERではなく、GIVERへ’
というのは、わたしの生涯の目標でもある。


自己紹介

こんにちは。ちゃま先生です。
11年間、公立の学校で働いていました。
2024年の3月に退職し、現在はOLをやっています。
先生やっていた頃は、政治・経済を教えたり、水泳部の顧問をしたりしていました。

このnoteでは、日々の愚痴も含めてちゃま先生が日々感じでいたことをつらつらと投稿しています。過去の記事もありますが、そのままにしてあります。
現在は、ホームページ(https://chama-dx.com/)にて、先生たちの業務削減のためのナレッジや、公民科に関する情報を発信中。
少しでも皆さんの負担が軽くなり、先生たちと子どもたちの笑顔いっぱいの教育界になりますように。



ラッキーエリートのわたし

学校現場で働き始め10年目を越えた。
順調にキャリアを積み、いま感じることがある。
「あ、わたしラッキーエリートだ。」

採用試験は不合格だった

実はわたし大学4年生のとき、教員採用試験が不合格だった。
成り行きで始めた教職課程コースだったし、教員になる自分がイメージ出来なかった。
部活指導で母校に顔を出していたものの、まさに「先生?なにそれ?」状態。(笑)
でも他にやりたい仕事があったわけでもないから、とりあえず採用試験受験。
一次、無事通過。
プライドもあったし勉強は得意な方だった。
一次に小論文の試験があったが、30本以上書いてから受験した。
当時はそれなりに努力をしていたわけだ。
就活もしていなかったし、無職は避けたかったというのもある。

ちなみに、私学適正は受験していた。AA。
勉強はまあ、得意なのですよ。それなりに。

ただし、二次試験の面接はボロボロだった。
集団面接では百戦錬磨の先輩方の前でなす術もなく(社会科は免許取得できる学部が多いのでどうしても高倍率になり、経験者の受験が多いらしい)、しどろもどろに話したと記憶している。
なりたい教員像もないし、特別な想いも語れない。
「最後に何かありますか?」の質問に対して、
「特にありません」と答えた。
そんな志望者はどれほどいたのだろうか。

結果は、もちろん不合格。
結果を見た時は、試験の時のことを思い出した。
面接が終わって退出した後、他の試験会場からは熱意あるスピーチが響いていた。

ただし、幸運なことに、補欠合格者の名簿には搭載されていた。
ラッキー1つめ。

突然始まった教員生活

そこからは運次第。
祈るような気持ちで待ち続け、4月になった。
今年は声かからないか..と思って講師登録などで動き出した4月12日(金)に、電話があった。

そのまま面接に行き、採用が来まる。
翌週の4月15日からわたしの教員生活がスタートした。
これは、ラッキー2つめ。
名簿搭載があっても、声がかからない人はたくさんいる。
1年目は様々な困難があり、それが今のわたしを形作る重要な年であったのは間違いないけれど、それはまた後日に紹介することとする。

そのあとはラッキー続きでここまで来た

①補欠合格(期限付)名簿への搭載
②4/15からの期限付採用
③そこからの正規採用
④公募制度を利用して異動2校
⑤主任選考最短合格

ナンバリングしたのはラッキーの数。
期限付のあと正規採用されない人もたくさんいるし、公募なんて受かるわけないと思ってたし、主任も難しいと思っていた(一方、コロナの影響で最大のチャンスの年でもあったのも事実)。

主任試験は、受験資格に年齢や経験年数の制限があるため、最短でキャリアアップを実現したわけである。
校種により倍率は異なるが、昇任試験のなかで最も難しいと(他の昇任試験の受験希望者の数が少ないこと対する皮肉を込めての意もあるが)いわれる試験らしい。


でもわたしは優秀なわけではない

でもわたしは有能なわけでは無い。
仕事の仕方はごく普通。
どちらかというと、だらだらやってしまうし、ミスも結構する。
授業も、可もなく不可もなく。普通。

だから、冒頭で述べた「ラッキーエリート」なのである。
実際に、わたしより遥かに有能で、わたしが質問や相談ばかりする先輩教員のうち、何人かは主任試験に不合格だったそうだ。
正確な数は知らないが、それなりに狭き門だというのは本当らしい。

どうしてラッキーエリートになれたか?

もちろん、この先全てこのやり方で通用するなんて思ってないし、本当に【環境に恵まれた】だけなのだと思う。
だけれど、たぶんこの方法が、わたしをラッキーエリートたらしめた要因な気がする。
わたしはこれまでほとんど不自由を感じることなく力をつけてきた。



1.なんでも「とりあえずやってみた」

初任者研修では、研究授業がある。
もちろん全員自校でやるけれど、模擬授業的に、研修内の仲間うちに見せ合う機会がある。
それを、とにかく積極的にやった。
みんなやりたがらないのをいいことに、「しょうがないなあ、わたしやるよ」的に。
教科の研修会でも、たくさんやらせてもらった。
研修会としてやるので、偉い先生方に来ていただける。
イチャモン、否、ご指導いただきながら何度も何度も教材作りをした。
結果、度胸もついたし、財産もたくさん出来た。
ついでに研究をやってみたいかと誘われ、やってみたりしたのも含め、経験を詰むことができた。
そのスタンスは今も変わらない。
学校で始まる新しいプロジェクトなどには、積極的に首を突っ込むし、勉強もする。
教育のトレンドは、とりあえず手を出してみている。
自分のものになるかならないかは、また別モノだけど。

2.無理をしない

全部チャレンジしよう、やらなきゃ、とはやってるけど、無理はしていない。
出来ないことは、出来ないし、役割分担すればいいと思っている。
有能な人はたくさんいるし、お互いの良さを引き出す仕事をすればいい。
初めの頃はそういう風に思えなくて全部やろうとして失敗したり、いろいろあったけれど。
生徒に対するキャラクターも含め、自分らしく、やりやすい方法で。
そういう意味で、これまで職場にはとても恵まれている。
なんでも出来るスーパーエリートばかりの職場なので、任せられるし、やりたいといえば自由にやらせてもらえる。
分からないことは、すぐに教えてもらえる。
本当に、ありがたい環境だし、自分もそういう1人になりたい。


3.TAKERではなくてGIVERに

これまで述べてきたように、人にたくさん助けてもらって生きてきた。
失敗もたくさんあったし、厳しいご意見をいただいたことも、たくさん、たくさん、ある。
今だって、ポンコツ教師の1人である。
てもどんな時だって、すっと声をかけてくれた、手を貸してくれた人たちのおかげで、今の自分がある。
関わってくれた生徒にも、保護者にも、先輩方(最近は恐ろしいことに後輩もできた)、そして地域社会の方々にも、本当に支えられてきた。
だから、わたし自身も、小さなことから人に手を差し伸べることを心掛けている。
人にしてもらって嬉しかったことは、なるべく。
もちろん余裕がなくてそんなの出来ないときも多い。
それでも日頃の感謝をちゃんと伝えることはいつも心に留めている。

特にわたしの「ラッキーエリート」の理由は3つめに起因しているように振り返ると思う。
なぜなら、わたし、みんなに助けてもらえるからである。
わたしが、余裕があるときに手伝ったりしているから、逆にわたしに余裕なくて相手に余裕あるときは、助けてもらえる。
分からないこと、困っている時、人手が欲しいときなど、人の手を借りたいときはいくらでもあるが、みんな、快く協力してくれる。
もちろん、元々がそういう気質の人たちだ。
きっと何もなくても助けてくれる人たちなのだけれど、時折声をかけてくれるのは「いつもやってくれるからね」の一言。
これは、自分がミスをしたときにも大きい。
忘れるなんて日常茶飯事だし、100に対して80程度しか完成していないとか、そんなのいくらでもある。
もちろんそれを改めなければいけないのだけれど、普段のコミュニケーションがある分、ミスをフォローしてもらえることが多い。
こちらも上記と同じ理由で、恐らく何もなくてもフォローしてくれる人たちなのだけれど、そのあとの関係が全然違う。
許してもらえるというとまたニュアンスが違うのだけれど。


Do to others whatever you would like them to do to you.

人にしてもらってうれしいことはなんでも人にしてあげなさい(マタイによる福音書7章12節)

この言葉がわたし自身の軸となっているように思う。
いつだって、人から奪う人ではなく、与える人になりたい。

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