大人と文章

わたし、上手く文が書けなくなった。私は何年か前、毎月ひとつは文章を書いて、noteでしか繋がっていない人にハートをもらったりしていた。
noteの上では悲しいも寂しいも有効で、誰にもバカにされないし。気持ちの奥底の部分が黒くたって透明みたいに見せて。うん、きっと繕うのが上手かった。
繕うのが上手かったということは、繕う部分が多かったということで。

わたしは最近、何も繕うものがなくなった。
好きな物も嫌いな物もはっきりわかってきたから、好きなもので頭を埋め尽くすのが上手くなった。そのままの人間性でしか人と話せないことに気づいたから、誰かに好かれたりしたい気持ちもなくなった。

なんて言えばいいんだろう、すごく健康になってしまいました。文章が書ける時はどんな時だろうと思い出すと、すごく心が不安な状態のときだった。
最近は、ホルモンバランスが乱れて、ああもう無理 となる時はあっても「そんなもんだ」と、一旦は流せるようになってしまった。
私が文章を書くには、そういう根拠のある不安な状態に、心から絶望しなくちゃダメだったみたいだ。

学生のときって、絶望の根拠がわからないからひたすら渦にのまれるしかなくて、ずっとどこか寂しいまま人と寄り添いあって生きていた。
大人になるってこういうことだ。分かってきちゃうんだ、何もかも。分からないことが私のアイデンティティを作っていたんだなと今思う。

言葉が好きです、と言って貰えることが多かった。19歳まで。20歳になって、言葉を上手く使えなくなったから、なんにも言われなくなった。
それで良かった。
わたしの心が大人になった証で、元気になった証だ。文章を上手に書けなくなってよかった。

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