好きなこと
運命の相手とか、これが運命とか、ずっとなんとなく一緒に生きてきた運命って言葉。最近、私に運命という言葉を使うときは「いつかあなたにも運命の人が現れるよ」なんて使われ方をすることが多い。いつか、いつ?私、いつもいまの好きな子が運命だと思ってるけど。それってだめなのかな。
たぶん一般論で言う運命の人って、お互いのことをいちばんに好きで、結婚とかして、一緒にずっと生きる相手のことを言うんだろうけど、わたしはなんとなくずっとその一般論が嫌い。
昨今ずっと「多様性」とか言うのに、運命に多様性ってあんまりないよね、あるのかもしれないけど、認めてはくれない。
私はきっと運命のハードルが普通より低い。好きなアイドルと、同じ時代を生きて。同じ国に生まれて。同じ言語を話して。同じ人間で。それだけで運命だなって。たぶん運命は、「私とあなただけに起こった出来事」を指すから、「そういう人はいっぱいいるね」って言われてしまうのだろうけど、わたしはそうは思わない。私の出会いは私だけのもの。私の出会いは誰かの出会いと一緒じゃない。誰かと一緒だって分かってたらわざわざ「運命」なんて言わないよ、誰かと一緒が許せるの、服とか持ち物だけ。わたしは相手が男の子だろうが女の子だろうがアイドルだろうが芸人だろうが運命の人って思うよ。
最近あんまり猫になりたいなとは思わない、だって阿達くんのこと好きになれなかったでしょう、好きになれたとしても私の方が多分先に死んじゃう。だから人間に生まれてよかった。
次何に生まれるか分からない、本当にね。多分現世であんまり良くないこともそれなりにしてるはずだし、それを凌駕するくらいのいい事はしてないし、生まれ変わったらたぶん人間にはなれない。阿達くんは人間になってまたアイドルになっていそうだけど、良くてわたしは阿達くんが身に纏ってるキラキラを画面越しで追いかける猫くらいじゃないかな?うーんそれもいい身分すぎるかも。じゃあもう阿達くんのいる街を探しているうちに飛び方がわかんなくなって死んじゃう鳩。それでも良かったって思うよ、阿達くんのこと知ってて、阿達くんのこと探しながら死んじゃうなら割と幸せかもしれない。
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