月の女神と夢見る迷宮 第六十二話
父と娘
「エクストラクエストっ!?」
思わず私は叫んだ。エクストラクエストとは、国の一大事のような時に、ギルドが発動するクエストだ。例えばドラゴンが街のど真ん中に現れた時とか、大きな災害が起こった時みたいな。そんなクエストを、たかだか地方領主の身辺調査に発動するものなんだろうか?
その疑問に答えるように、ギルドマスターは話し始めた。
「かつてアルカスに起こった事と、今現在パーリに起こっている事が無関係とは思えん。あまりにも状況が似すぎている」
た、確かに。似ていると言われれば……
「となれば、次に何が起こるかも予想がつく。既にその予兆は出ているしな」
パンデミック……それによって大勢の人間が死ぬ。かつてのアルカスのように。
「パーリの人口はアルカスの比ではない。もし現実にそれが起こったら……」
「深刻な災害レベルね」
お嬢様が言った。
「何としてでもそれだけは阻止しなければならないのだ。そして、その鍵となるのがカスロンだと私は考える」
カスロンがアルカスからパーリに移った途端、同じような事が起ころうとしている。どう考えても彼が無関係だとは思えない。
「でも、どうやって彼に近づけば……?」
お嬢様が疑問の声を上げる。
「何もしなくて良い」
それに対してギルドマスターはそう答えた。
「何もしなくて良い?」
え? どういう事?
「何もしなくても向こうから近づいて来る。君たちはこの街に止まり、普通にクエストをこなしていれば良い」
「それって……シルヴィを囮にしろって事?」
「悪く言えばそうだ。だが、娘が父親に会う為にパーリまで来たという事なら?」
こちらから会いに来たという事なら話は別……か。
「強引に事を荒立てようとはしないだろう? お互いの利害が一致しているのだから」
カスロンはシルヴィを手元に起きたい。そしてそのシルヴィ自身がカスロンに会おうとしている。それなら普通に父娘の再会を果たすだけで良いはずだ。
「確かに危険に晒されるって事はなさそうね」
「放っておいても、その娘の美貌ならすぐ街の噂になる。カスロンの耳にも必ず入る」
そうなればすぐに向こうからオファーが来るだろう。そう考えればカスロンと近づくのは決して難しい事ではない。
「私、お父さんに逢えるんですか?」
「すぐに逢えるとは思うが……。なんだ、お前カスロンに会いたいのか?」
シルヴィは明るい笑顔を浮かべていた。それはルシファーに見せていた表情とはまるで違っていた。
幼い娘が父親に依存するのはよくある事らしい。カスロンは政治家としては優秀で、カリスマ性も持ち合わせていた。だからシルフィも簡単に騙されたのだろう。しかし騙されていたと知った今も、まだ父親に会いたいと思うものなんだろうか。
死者の町を出る前、この娘はルシファーの元に残りたいと言った。ここまで着いて来たのは、カスロンを止めるようルシファーに頼まれたからだと思ってたんだけど違うの?
自分の従魔なのに理解できない苛立ちが私を襲う。でも、シルヴィを問い詰めてはダメだという警鐘が頭の中で鳴り響いている。この娘は愛情に飢えているんだから。
「まぁ、そうだな。変にツンケンするよりはいいか」
確かに……。父親に会いに来た娘が、会った途端に拒絶するような態度を取る。そんなのを見せられたら相手も警戒するわよね。
「どうやら話はまとまったみたいね。それじゃ今日は宿に帰って休みましょ。流石に疲れたわ……」
話の幕引きはお嬢様のこの一言だった。私たちはギルドを後にして、パーリの街中に出たのだった。
「花の都って割には何か……」
「うん、暗い感じがするわね」
街を歩く私とお嬢様の感想がそれだ。確かに疫病が流行り始めた影響はあるとは思うが、街全体に活気というものが感じられない。
「人々に笑顔がないですね」
ヨシュアの言葉が全てを物語っていた。街が暗く見えるのは、人々の表情が曇っているからなのだ。
決して過酷な労働をさせられていて笑えないという感じではない。むしろ、人々の表情には退屈さが滲んでいた。それが顕著に感じられたのは、宿に着いてからだった。
「予約? 聞いてないなぁ」
「はあっ!? ちゃんと朝、予約を入れたでしょうっ!?」
お嬢様がブチ切れる。
私たちはダークスライムの駆除に向かう前に、この宿に立ち寄っていた。そこでちゃんと部屋を2つ取ったはずだった。1つは5人が泊まれる大部屋で、もう1つは3人用の普通部屋だ。女性が5人、男性が3人だからね。
けれど宿の受け付け係は、そんな話は聞いていないと言う。朝に受け付けした係の者が、引き継ぎをしなかったのではないか。私たちはそう訴えたが、相手は知らぬ存ぜぬを通していた。
「アンタでは話になんないわっ! 支配人を呼びなさいよ!」
お嬢様が受け付けの男に詰め寄る。すると男は
「はぁ? 何言ってんだてめぇ……。てめぇらみたいな冒険者風情が、支配人と話せる訳ねぇだろうが!」
と一歩も引かない。
「客に向かってその態度は何なのよっ!?」
「客だぁ? それがどうした。このパーリの街じゃなぁ、客なんかより労働者の方が偉いんだよ!」
このままでは話が平行線だ。私たちは激高するお嬢様を連れ、宿の外に出た。
「これは……思ったよりも深刻な状況だね」
歩きながらミズキさんが言った。
「あぁ、この街には究極のリバタリアニズムが蔓延っているようだ」
リバタリア……何?
「完全自由主義とか自由至上主義とか呼び方は色々あるけどね……」
以下、ミズキさんの説明を要約するとこんな感じ。
『他者の身体や正当に所有された物質的、私的財産を侵害しない限り、各人が望む全ての行動は基本的に自由であるという考え。リバタリアニズムを主張する者はリバタリアンと呼ばれる』(wickyさん調べ)
「他人から物を奪ったりするのは当然犯罪だけど、それさえしなければ自由に生きて良いって考え方なんだよ」
「つまり、真剣に働こうが働くまいが自由って事だ」
なる程……誰かの為に働こうなんて意識は毛頭ないって事ね。
「それはアンデッドに頼りたくなりますよねぇ……」
ヨシュアが納得したというように肯きながら言った。
「それでスポーツの祭典なんて開いちゃったんでしょ? 呼び集められた選手たちは大変な目にあったんじゃない?」
憤懣(ふんまん)やるかたないという顔でお嬢様も言う。まぁ、あの接客態度ではねぇ……
「取りあえず、今晩の宿をどうするかですよね?」
愚痴の言い合いをしていても埒(らち)が明かないので、私は話を切り替えることにした。
「あの……」
突然シルヴィが話し始めた。
「お父さん……領主に会いに行きませんか?」
え……? 向こうからの接触を待たずして、こちらから仕掛けるの?
「事情を説明すれば、泊めてくれるんじゃないかと思うんです」
「それは……そうすれば話が早いような気もするけど……いきなり行って会って貰える?」
流石のお嬢様も躊躇っている。いつも考え無しの猪突猛……いえ、何でもないです。
「いや、意外といい考えかも知れない」
そのミズキさんの一言が、私たちの未来を変える事となった。