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月の女神と夢見る迷宮 第七十一話

悪党の最後

バーバラ

 「さて……そろそろ冒険者の仕事をさせて貰うことにしよう……」
 そう言いながら、バーバラさんがリッチに向かって一歩踏み出す。
 「実の父に剣を向けるとは恩知らずな娘よ」
 そう言ってリッチが一歩下がる。

 目を逸らす事の出来ない緊迫した空気が周囲に流れる。そんな強者同士の戦いが繰り広げられようとしていた。

 「そのような姿で今更父親と言われても……なっ!」
 ヒュッ!
 バーバラさんの剣が、リッチの足下を狙った一撃を放つ。
 
 ガキンッ!
 その攻撃をリッチは右手に持つ杖で防いだ。
 「『不死殺しの剣』か……またやっかいな物を……」
 リッチが苦々しげに言う。

 「親父殿に敬意を表して……なっ!」
 ヒュンッ!
 今度は右腕を狙った一撃。これをリッチは下がりながらかわす。

 「まだ親父と?」
 皮肉めいた笑い顔をリッチが浮かべる。
 「私とて都長の任を無為に過ごしてきた訳ではない。社交辞令くらいは言うさ」
 そう言ってバーバラさんは『不死殺し』を振りかぶった。

 「成長したな。じゃが……父として簡単に負けてやるわけにはいかん。ほれ、これならどうじゃ?」
 リッチがそう言った途端、バーバラさんの頭上に炎の塊が現れる。ファイヤーボールのゼロ距離攻撃。こんなのかわせる訳が……

 だがバーバラさんは、まるでその攻撃が来るのが分かってでもいたかのように左に飛んだ。目標を失った炎が、さっきまでバーバラさんのいた場所を抉る。

 かわしただけでなく、そのまま一歩踏み込むと横凪に剣を払う。バーバラさんが行うその一連の動きは、美しくキレがあった。

 「凄い……」
 まるで剣舞でも踊っているかのよう。その動きには一分の隙も感じられない。

ライト

 「流石だな。これが剣聖の戦いか……」
 ライトさんが呟いた。
 「剣聖?」
 「ああ、彼女は元剣聖だ。右手を失うまでは……な」

 バーバラ・ハリス──第四十八代剣聖。それがかつての彼女の肩書きだった。その強さは、彼女がドラゴンスレイヤーと呼ばれている事からも分かるだろう。

 彼女がかつて右手と引き換えに倒したドラゴンの首は、今も王宮に飾られているそうだ。しかしその戦いで右手を失い、剣を握れなくなった彼女は剣聖の座を退いた。その為現在剣聖の座は空位となっている。

 彼女に右手が戻った時、再び剣聖の座に返り咲くかと思われたが、彼女はそれを固辞した。「パーリ都長としての職務があるから」というのが表向きの理由だったが、その役目をカスロンに一任していた事を考えると、別の理由があったのかも知れない。

 バーバラさんとリッチの戦いは、その後もお互い一進一退の攻防を続けた。バーバラさんは剣で、リッチは魔法で。どちらも一歩も引かない戦いは、永遠に続くかと思われた。

 しかし、何事も永遠に続く物などない。その均衡は突然崩れる事となる。バーバラさんの放った一撃が、リッチの杖を打ち砕いたのだ。

リッチ

 「ちっ……最初からこれを狙っておったのか……」
 「術者にとって杖は魔力を増幅させる依り代だからな。これで貴様の魔力も半減したはずだ」
 そう言いながらバーバラさんは次の一撃を放つ。リッチのような高位アンデットにとって、魔力が減るという事は単純に能力が低下するという事に等しい。バーバラさんは最初からこれを狙っていたのだ。

 「小賢しい真似を……じゃが……」
 「なにっ!?」
 リッチを取り巻く空間が突然闇に覆われた。その闇は周囲に広がって、バーバラさんの視界をも奪う。

 「お前には何も視えまい。じゃが、ワシには視えるのよ……お前の姿が」
 「舐めるなっ!」
 バーバラさんが剣を振る音が聞こえた。
 「無駄じゃよ……」
 「うくっ……」
 「魔法など使わんでもな、いくらでも戦い方はある。ほーら、ドレインタッチを喰らった気分はどうじゃ?」

 リッチが勝ち誇ったように言った。ヤツは闇に紛れてバーバラさんに近寄り、ドレインタッチを仕掛けたのだ。ドレインタッチは魔法ではなく、アンデット特有のスキルだ。魔力は関係ない。

 「おのれ、卑怯な真似を……」
 「戦いに卑怯もないの……あるのは勝つか負けるか……それだけじゃ」
 リッチが嘯く。
 「さて、最後の仕上げにかかると……うぉっ!?」
 ブオンッ!

 暗闇の中から凄まじい剣圧を感じた。恐らくバーバラさんが渾身の力で剣を振ったのだろう。リッチの声にも焦りが滲む。

 「まだこんな力を残しておったか……」
 「舐めるな……と言った」
 「ふん、じゃが……その右手ではもう剣は振れまい。気づいてないとでも思うかの?」
 「くっ……」

 彼女の右手は既に限界を超えていた。かつて失った右手。それは形こそ元に戻ったが、能力や耐久性までは戻らなかったのだ。それ故彼女は剣聖の座を辞した。都長の仕事をカスロンに任せ、冒険者に戻ったのはリハビリを行う為だった。

 「まだ左手があるっ!」
 「そんなにわか仕立ての剣筋が通じるとでも?」
 「おのれっ!」
 「ほら、もう一度ドレインタッチを喰らえっ!」
 「がっ……」
 暗闇の中にバーバラさんの苦悶の声が鳴り響いた。

 そして数瞬の沈黙が続いた。

 「待たせたの……」
 暗闇の中からリッチの声が聞こえた。
 「その娘を……シルヴィと言ったかの……渡して貰おうか」
 やはりヤツの狙いはシルヴィだった。いや、シルヴィの造るポーション(超)が本当の狙いなのだろう。

 「逆らっても無駄じゃよ。この暗闇の中では何も視えまい?」
 リッチが囁くように言った。
 「来ないでっ!」
 シルヴィが叫ぶ。

 どうしよう、どうすれば……
 ここはダンジョンじゃない。私の生命エネルギーも活性化していない。このままじゃ誰も護れない……
────────────────── 
 ──トクン──
 胸の奥が熱い。
 ──トクン──
 いつもと違う感覚。
 ──トクン──
 何かが視える……これは……何?
 ──トクン─トクン──
 光? これに触れる……の?
 ──トクン─トクン─トクン──
 アタシの中に光が満ちあふれる……これは……
 ──トクトクトクンッ──
アタシ……アタシは……誰……?
 ──ドックン──
 アタシは……ディアナ……月の女神

ディアナ

 「なんじゃっ!?」
 暗闇の中を切り裂く光。それは陽の光ではなく月の光だ。
 「顕現せよ、我が剣(つるぎ)!」
 アタシは叫ぶ。まるで産まれた時からそうするのが決まっていたかのように。私の手にしたミスリルソードが、月の光を帯びる。

 「ムーンライトソード!」
 アタシは暗闇を薙ぎ払う。闇は光に呑み込まれ、一瞬で消え去った。

 「何者じゃっ?」
 驚くリッチ。
 「何言ってんの、村長さん。アタシの顔を忘れたの?」
 アタシは笑顔でそう返す。するとリッチはハッとした表情を浮かべ、それを否定するように首を左右に振った。
 「そんなはずが……そんなはずがない。この世界にいるはずが……」
 「喋りすぎて疲れたでしょう? ご老人はそろそろお休みの時間よ」
 アタシはそう言うと我が剣、ゴッデスソードを空高く掲げる。

 「ムーンライトクリスタル!」
 ゴッデスソードが月の光を浴びて、クリスタルの剣に変わった。その剣は透明であるが、内部に月の光を蓄えている。

 アタシはそれをゆっくりと振り下ろした。リッチに向かって。
 「さよなら、村長さん。ムーンライトシャイン……シュート!」
 ゴッデスソードから放たれた月の光は全てを浄化する。その光に呑み込まれたリッチの姿は、溶けるように消えていった。

──────────────────
 何が……起こったの?
 私は目の前で起きた事がまだ信じられずにいた。お嬢様が急に輝き出して、一瞬でリッチを殲滅したのが見えた。まるでブランシェみたいな圧倒的な力だった。

 「お嬢様……?」
 「うん、シーナ……なぁに?」
 お嬢様という呼びかけに答えるその人は、まるで別人のよう。何か懐かしいような、それでいて触れるのを躊躇うような雰囲気を纏っていた。

 「何があったんですか?」
 他のみんなも聞き耳を立てている。するとお嬢様は微笑みながらこう言った。
 「ただピンチを切り拓いただけよ? 自分自身の力でね」
 

 
 

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