月の女神と夢見る迷宮 第五十四話
ラストゾンビはあなたに
フランカス地方第25代領主レミュエラ・カスロン。彼は私たちでも、その名前を知っているほどの有名人である。
フランカス地方というのは、王国の中でも特異な地域だ。王国の領主というのは貴族による世襲制である。世継ぎ問題などでお家騒動でも起こらない限り、代々その地を治める貴族家が領主の座を引き継ぐ。
しかし唯一フランカス地方の領主は、民衆によって選挙で選ばれる。そうなった歴史的な背景は話すと長くなるので省くが、カスロンは歴代最年少でフランカス地方の領主となったエリート中のエリートだった。
「カスロンはの……アルカスの町長の息子だったのよ」
「カスロン……さんはこの町の出身だったんですか?」
「そうじゃ。若くして有能な政治家であった……」
ルシファーが話した事は、にわかには信じられないものだった。
幼少の頃から政治に明るかったカスロンは、弱冠20歳の若さで政治家としてデビューした。そして父親に請われてアルカス町政の仕事を手伝うようになる。
その政治的手腕は素晴らしく、僅か数年でアルカスの町を、フランカス地方随一の観光地にしてしまった。
しかし中央の政治家に転身したいという野望を持っていたカスロンは、更なる実績を積み上げたいと考えていた。ちょうどその頃ルシフェリアと出会ったのだ。
互いに惹かれ、付き合い始めた2人。やがて一緒に暮らし始め、シルフィという可愛い女の子が2人の間に生まれる。
こうして親子3人の幸せな時が流れた。けれどカスロンはその生活に満足していなかった。いずれフランカス地方の領都であるパーリで、政治家として活躍したいと思っていたからだ。
その為には自分の手足となって働いてくれる者がいる。出来るだけ多く、そして従順な者たちが。彼は日々その方法を追い求め、そして1つの答えにたどり着く。それが死霊術だった。
死人(しびと)なら文句も言わず自分の為に働いてくれる。汚れ仕事も任せられる。それこそ不眠不休で。そう考え、死霊術について彼は研究を始めた。
しかし彼には死霊術を使いこなす為の素質がなかった。魔力が足りなかったのだ。そこで目をつけたのが娘のシルフィだ。シルフィにはその素質があった。彼女の魔力は常人の域を超えていたのだ。
「カスロン……は貴女には協力を求めなかったの?」
「求めたさ。だが妾はそれを拒否した。何故ならそれを行ってしまえば、カスロンがアルカスからいなくなると分かってたからの」
「あぁ、なるほど……」
「カスロンには悪いが、妾はその時の生活を失いたくなかったのじゃ。彼と妾、そしてシルフィの3人で……アルカスでずっと……暮らしていきたかった」
ルシフェリアの協力を得られなかったカスロンは考えた。どうしたらシルフィが死霊術を使えるようになるか。そんな時アルカスに疫病が流行り始めた。
黒死病と呼ばれるその疫病は、アルカスの町中に瞬く間に広まった。町には大勢の病人が溢れた。ルシフェリアとシルフィは人々を救おうと懸命に薬を造り続けた。しかし材料の枯渇で、人々の救済は難しくなっていった。
「後で知った事じゃが、材料の枯渇は仕組まれたものじゃった。犯人はカスロンじゃった……」
「お父さんが!?」
「なんでそんな事を?」
「死人をゾンビに変える為よ……」
カスロンは、死霊術の研究で得た薬のレシピを2種類用意した。1つは死者をゾンビ化する薬。もう1つは生者をゾンビ化する薬だ。
それを普通の薬のレシピとすり替えたのだ。そしてそれがシルフィの手に渡るように仕組んだ。幼さ故にその事に気づかなかったシルフィは、その薬を造り上げてしまう。
「まさか……《死者への誘い》を造ったのは……」
「そう……シルフィじゃ……」
「そんな……私が……ゾンビを……」
こうして人々をゾンビ化する薬を手に入れたカスロンは、アルカスの町民たちを次々とゾンビにしていった。けれど、彼にも誤算があった。シルフィが誤って《死者への誘い》を飲んでしまったのだ。
「あ……」
シルヴィがヨシュアに薬を飲ませた時の記憶がフラッシュバックする。あの時のように病人に飲ませようとしたなら……
「そう。シルフィは《死者への誘い》を口移しで飲ませようとして、ゾンビ化してしまったのじゃ」
それを知ったカスロンは焦った。シルフィにゾンビ達を操らせ、自分の仕事を手伝わせようと考えていたからだ。ネクロマンサーにする予定だったシルフィがゾンビ化してしまった以上、彼の計画は失敗してしまったも同然だった。
彼は自分が疫病で死んだ事を偽装し、こっそりとアルカスの町を出た。そしてパーリに移り住み、領主の座まで上り詰めたのだ。
「どうやってそこまで上り詰めたのかは分からんが、どうせロクな事はしとらんじゃろうな」
後に残されたルシフェリアは、あまりの悲しみで心を病んだ。愛する夫はいなくなり、娘はゾンビになってしまった。そして町にはゾンビが溢れている。これで正気を保っていられる方がおかしい。
正気を失ったルシフェリアは、遂に死霊術に手を出した。そしてネクロマンサーの力を得た。そして過去を忘れ去る為に、ルシファーと名前を変えた。
「ネクロマンサーになればシルフィを甦らせる事ができるかも知れないと思ったんじゃ。しかし……」
「出来なかったのね」
「ああ、妾の力では無理じゃった。妾に出来たのは町に溢れたゾンビたちを従える事のみよ」
「どうしてシルヴィを失敗作だなんて呼んでたの?」
「それは……奴からシルフィを護る為じゃ」
ルシファーというネクロマンサーがアルカスに現れた。その事がどうやらカスロンに伝わってしまったらしい。そこでカスロンは考える。ルシファーというのはもしかしたらルシフェリア、もしくはシルフィなのではないかと。
カスロンは冒険者を雇い、アルカスの町を探らせた。そして、シルフィが完全なゾンビ化をしていないことを知った。
シルフィが手に入れられれば死霊術の研究が一段と進む。失敗したと思っていたゾンビを用いた統治が、可能になるかも知れない。そう考えたカスロンは、シルフィの拉致を考えた。
死んだと思っていたカスロンが領主になっている事を知り、最初こそ喜んだルシファーだったが、やがてカスロンの目的を知ることになる。カスロンがシルフィを拉致しようと画策している事を知ったルシファーは、防衛策を講じた。
シルフィを失敗作と呼び、お前は失敗作だからと店の奥に閉じ込めた。シルフィを拉致しようと町にやって来る冒険者達を、ゾンビやレイスを使って追い返した。私たちが攻撃されたのは、そういう経緯があったからだ。
そして死者の町を造り上げ、シルフィをそこに匿う。それがルシファーの立てた計画だった。
「ここでシルフィと暮らすというのが妾の願いじゃった……」
「だったらどうしてシルフィを……」
手放すような真似をしたの?
「シルフィはまだ若い。こんな所でこの先死者と永遠に暮らさせるのは忍びない……」
「それで私たちに託そうと?」
「あぁ、其方と兎娘の関係を観ての。もしかしたら妾の出来んかった事が出来るかもしれんと思ってな。一芝居打たせて貰った」
「ちゃんと説明してくれたら良かったじゃない。あの時私がシルフィの元に行かずに貴女を追ってたらシルフィは……」
本当に危なかったわ。消える寸前だったもの。
「その時は妾もそなたに討たれて親子ともども消えるのみじゃ。それに、ゾンビと命を共有するのは嫌じゃと言うとったしな」
「聞いてたのね……」
そうね、確かにあの時はそう思ってた。
「まぁ、それは冗談じゃ。本当は何処に奴の目が潜んでるか分からんからな」
あぁ、確かに。遠くの物や音を見聞きできるスキルがあったわね。冒険者の中には、そういう隠密行動が得意な者がいると聞いたことがあるわ。
「お母さん……私ここでお母さんと暮らしたい……」
「シルフィ……いや、シルヴィ……よく聞くのじゃ。お前の父親は何か良からぬ事を企んでおる。それを止めては貰えぬか」
「どうして私が……?」
「袂を別ったとはいえ家族じゃからな。家族の悪行は家族が止めねばなるまい」
ルシファーの切なる思いが伝わってくる。きっと彼女はまだカスロンの事を愛しているのだろう。
「貴女はどうするの?」
「残念ながら妾はこの場を離れられん。ここで待っておるよ。何時までもな」
「分かったわ。シルヴィの事は任せて」
「カスロンの事も頼む」
そう言った時、ルシファーの瞳から一筋の雫がこぼれ落ちた。
ゾンビが存在できる場所。それは瘴気や魔素の多い場所だ。アルカスの町やこのダンジョンのように。
ここに跳ばされた時に、真っ先に感じたのは生命エネルギーの活性化だった。ルシファーはダンジョンの中に死者の町を築いたのだ。だから彼女はここを離れられない。
何故なら……シルフィと同じく彼女もまた失敗作だから。ネクロマンサーでありながら、ゾンビでもある存在。それはシルフィがシルヴィになった今、ただ1人残った中途半端な……死者と生者の狭間に位置するゾンビだ。そう、この世界で最後の……言わばラストゾンビ。ラストゾンビの称号をルシファー、あなたに。