月の女神と夢見る迷宮 第二十九話
アナタにそばにいて欲しい
「マリスはね……」
永遠に終わらないのではないかと思える程長い時間泣き続けた後、フィーナは独り言のように語り始めた。
「アタイの主だった。でも、少し前に解放されたの」
黒髪の少女──マリスは私と同じテイマーだった。彼女は様々な魔物をテイムし、冒険者としても優秀だったのだそうだ。
彼女が魔物をテイムするのは、知性ある者に知識を与える為。彼女と繫がることで、彼女の持つ知識や世界の理を魔物も共有する事ができる。そうやって彼女は魔物を一段階上の生き物へと進化させていったのだそうだ。
けれどそれには一つ問題があった。テイマーはテイムした魔物と生命エネルギーも共有し、その身に取り込むのだ。その結果、彼女の肉体は老いる事がなくなったという。
では不老不死の体になったのかと言うとそうではない。どんなに肉体が若いままでも、魂の老いを覆すことは出来ないのだ。
肉体はすり減らなくても、そこに宿る精神はすり減ってしまいやがて終焉を迎える。マリスは長い時を生きるうちにその事に気づいた。そしてマリスがこの世界に別れを告げる時、マリスのテイムした魔物たちが同じ運命を辿る事にも。
それ程遠くないうちに自らの魂の寿命が尽きることを悟った彼女は、テイムした魔物たちを解放した。そうして解放された魔物たちの多くは、今もどこかで平和に暮らしている。
「マリスの与えてくれた知識はね、大抵はみんなが平和に暮らす為のものだった。でも、そうでないものもあったんだ……」
そういった禁忌の知識は、マリス自身心の奥底に封印していたものだったが、感応力の高い魔物に流出してしまったという。その結果、その知識を悪用して他の魔物や人族に災いをもたらす魔物が出て来てしまった。黒狼族の長もそのうちの1頭だった。
「マリスは悲しみを堪えて、自分自身の手でそういう魔物を狩っていったんだ。だからアタイは……」
「解放されてもマリスの元に残ったのね?」
「うん。白狼族の長もね……」
黒狼族と白狼族が対立した本当の理由はそこにあったのだ。黒狼族は禁忌の知識を使ってダンジョンの外の世界を手に入れようと画策していた。それを阻止しようとマリスを始め、フィーナたち白狼族は戦っていたのだ。
「そっか……。あなたの使命は黒狼族がダンジョンの外に出るのを阻止することなのね」
「うん。黒狼族の長を倒せなくても、最悪足止めさえ出来れば……」
「それはどうやって?」
「マリスから与えられた知識はね、消す事が出来るんだ。それが出来さえすれば奴等は外でうまく行動出来ない。仮に外へ出ても人族には対抗出来ないはずだから、ここに止まらざるを得ないのよ」
「……分かったわ。私も協力する」
もし黒狼族の目論見通りになってしまったら、外の世界は大変な事になるだろう。チャイムたちの牧場も、カルム村も無事では済まない。出来るか出来ないかではなく、やらなければならないのだ。
「アタシたちの事も忘れちゃ困るわよ、シーナ」
そこにはお嬢様を始めパーティーメンバーが揃っていた。いつから聞いていたのかは分からないけど、随分前に追いついて来ていたようだ。
「シーナ、ラパンとミントは……?」
「ミントは分からない。ラパンは……」
そこで私は言葉に詰まってしまい、瞳から涙が溢れた。私の尋常でない様子に、全員が何かを悟ったのだろう。皆沈黙している。
「そう……」
お嬢様はそう言って私をギュッと抱きしめてくれた。フィーナの前ではずっと堪えていた感情が爆発して、私は涙を止めることが出来なかった。
「貴女も大切な人を失ったんだね……」
そう……フィーナはマリスを、私はラパンを失った。この心にぽっかりと空いた穴をどう埋めていけば良いのだろう。ラパン……私はアナタと共に生きていきたかった。ずっとずっと……
でも、もうそれは叶わない。大切なものはいつだって失ってから気づくのだ。
「ラパン……アナタが大好きだった……」
絶望感に囚われながら、私はそう呟いた。この想いはもうアナタに届くことはないのだと知っているけれど……
「近くに敵は存在せず。警戒モードから通常モードに移行します」
その時周囲の探索を終えた白髪の少女が、私の側にやってきてそう告げた。
「えっ? ラパンいるじゃない?」
お嬢様を始め、全員が呆気にとられたように白髪の少女を見ている。
「この娘はラパンじゃないんです。見た目は似ていますけど……」
私はさっき起こった事を全員に説明した。最初は信じられないと言った表情で私の話を聞いていたみんなも、ラパンの後ろに控えるグリーンドラゴンを見て認めざるを得ないという様子に変わる。
「アタイが最初に見たのもこの人たちだった!」
「何者なの?」
「シーナが呼び出したのか?」
「どうやって?」「召喚……?」
みんながそれぞれ疑問を口にする。でも、私にも分からないのだ。ホントに何も……
「マスター、そろそろ我々を解放して頂いた方が良いかと」
「どういうこと?」
「今もマスターの生命エネルギーが我々に注がれ続けています。命に別状があるわけではありませんが、マスターの肉体的なパフォーマンスが低下しますので」
「つまり貴女たちがここにいると、私がどうにかなるってこと?」
「疲れやすくなります。後は身体能力が多少落ちます」
白髪の少女は無表情のまま答えた。声にも感情がない。そう、まるで操り人形のように。
「解放するとどうなるの?」
「それぞれ依り代の姿に戻ります」
「それぞれって……?」
「マスターがラパン、ミントと呼ぶ個体です」
「ええっ!?」
白髪の少女が元はラパンってのは何となく分かっていたけど、グリーンドラゴンはミントだったの? そう言えば、最後にミントの声が聞こえたような……
待って。ミントは元に戻っても問題ない。でもラパンは……。ラパンは魔物だ。ダンジョンの中で命を失った魔物の体は消えてしまう。もし、白髪の少女がラパンの姿に戻ったら消滅しまうんじゃ……
「待って! 貴女は残って」
例え本当のラパンじゃなくても。それが肉体だけであっても。せめてダンジョンの外に出るまでは。その体をチャイムたちの待つ牧場へ帰してあげたいと思うのは、私の我が儘なのかも知れないけど。それでも私はラパン……アナタにそばにいて欲しい……
「了解しました。では、私だけ残ります」
そう言うと白髪の少女は、グリーンドラゴンに向かって合図らしき仕草をした。その途端現れた時と同じように、グリーンドラゴンの体が光る繭に包まれた。そしてその繭が弾けた時、そこにはミントの姿があった。
「ま……ま……?」
「ミント……?」
「ミントは無事だったのね!」
お嬢様は喜びの声を上げたが、私には違和感が残った。
「なんか……成長してませんか?」
ヨシュアの言う通りだ。ミントの姿が幼児から少女へと変化していた。年の頃は人族ならば10代前半くらいだろうか。以前は5歳くらいの姿だったから倍以上の年齢に見える。もっとも妖精の年齢が、見た目通りなのかという問題はあるが。
「それはマスターの生命エネルギーが原因だと思われます」
「……はい?」
「マスターの生命エネルギーが注がれた結果、依り代であるミントの肉体が変化したのです」
「つまり……?」
「端的に言えば、1段階レベルアップしたということです」
「えっと……ミントの体がパワーアップしたってこと?」
「その通りです。生まれ変わったと言っても良いでしょう」
その時私の頭に途方もない考えが浮かんだ。私の希望的観測にしか過ぎないと分かってはいるけれど──その考えが正しければ、もしかしたら……