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Fly me to the beautiful moon-prologue-

「おまえさん、本当の月を見たことがないんだろう」

祝祭の夜、皆で小さな炎を囲って夜空を見上げていると、村の占い師のばあさんはふと僕に言った。かわいそうに、と他の大人たちは顔を見合わせ、肩をすくめた。

僕はムッとする。

この村では子供が生まれる前の満月の夜、出産の無事を祈って祭りを開くのだが、僕はもう月や星を見るのに飽き飽きしていた。僕だって月を見たことくらいあるし、綺麗なのも知っている。

「僕だって月くらい見たことあるさ、だいたい今だって。。。」
僕は夜空に浮かぶ満月を指さそうとすると、

「ハンナばあさん、あまりかわいそうなことを言ってやるなよ。こいつはあの時まだ生まれてなかったんだから。」

と、ある農夫がばあさんに言って僕の動きをそっと制止した。
行き場を失った僕の指は、満月の少し下あたりの小さな星を差し示している。

「関係ないさ。そういうことを言っているんじゃないよ、わたしは。」

とばあさんは目を細めて言った。

僕はとてつもなく悔しくなって足元の砂を蹴り上げ、
昼間よく遊ぶ森の方へと走り出した。
走っている最中に後ろの方から
ばあさん大人気ないぞとか、
暗いからあまり奥へ行くなよとか、みんなの声が聞こえてきた。

僕もこんなに癇癪起こすことではなかったのだけど、もう眠かったし昼間は先生に怒られるしで、感情を抑えてその場に留まることができなかった。僕だって本当は、夜に森へ行くのは怖い。
今さら戻るのは決まりが悪いので、僕はそのまま森へと突き進んだ。

ところでさっき農夫がなんのことを言っていたかというと、話は僕が生まれる数年前に遡る。

ある日、この世界の空は突如として分断された。
何処か遠くの国で始めた実験が、本物の空を奪った。
難しいことは僕にもわからないけど、とても強い特別な光を世界中にばら撒いて、世界中のことを監視できるようにしたらしい。その光のせいか、大人たちは空にぼやけた膜のようなものが貼られているように見えるという。
特に以前より星の光が顕著に違うらしく、色や光の彩度はかなり落ちるようだ。
らしい、というのは当然僕はこの空しか知らないから。今見上げている空が、僕にとっては夜空の全てなのだ。

息が上がり始め、走り疲れてふと立ち止まる。

周りは暗いがまだかすかに村の明かりが届いており、少しホッとする。
でも村から近いのは確認できるけど、いまいちここがどこら辺なのかがわからない。
村の近くなら絶対にわかるはずなのに、なんとなく「空気」がいつもと違うように感じる。

ー ぴちょんっ ー


水の音

目を凝らすと10数メートル先は道が開けており、そちらの方から聞こえてきた気がした。
木々の隙間から月明かりが差していたので、暗いながらもなんとか方向を確認できた。

こんなところに水辺なんかあっただろうかと思いつつ、僕は月明かりを頼りに音の方へ木々をかき分け進んだ。

ゆっくり近づいて、ゆっくり光が強くなる

目の前を邪魔する枝が消えていき、
視界が開けていく

小さな広場の中央に、浮かぶまんまるの池。

中心めがけてぼんやりさす月明かりで、
池は浮かんでるように見える。

僕は無意識のまま、吸い付けられるように池に近づく


かすかに果物の香りがしはじめると
頬に一瞬刺すような痛みが走り、
僕は我に帰った。

「いっっ!」


思わず目を瞑り、頬を手でなでながらゆっくり目を開けると

「大丈夫?」

まっしろな空間に金色の満月が二つ。
それからピンクの蕾。

徐々にまっしろな空間が肌色に気色ばんでいき、
影の陰影が着き始める。

目の前に現れたのは、女の子であった。

金色の瞳でこちらの様子を窺っている。

「ねえ、大丈夫なの?」

瞳に見入ってしまっていた僕は意識を戻し、

「ああ、うん、大丈夫」

と、なんとかそれだけ答える。

「あら、そう?なら早くそういいなさいよ。」

心配して損をした、とでも言うように、女の子は軽く口を尖らせた。僕はまだ呆気に取られている。

女の子は白く長い髪をしており、透き通った白い肌に汚れひとつない真っ白なワンピースを身に纏っていた。


女の子はふと森の葉を手に取り、ひらひら揺らしながら僕に見せてきた。

「これよ、この葉っぱがきっとあなたの顔に触ったの。」

女の子の手元の葉を見ると、とてもギザギザした形をしていた。
なるほど、確かに触れ方によっては痛そうだ。
まだかすかにヒリヒリする。

「こんな暗い夜に森に来るからいけないのよ」

「や、そうだけどさ、君だってこんな時間に何してるんだよ。どこから来たの?」

そうだ、こんな子は村で見たことはない。

隣の村まではだいぶあるし、この辺りまで夜中に子供1人が歩いて来れる距離に村はない。

「うっさいわね、わたしはずっとここにいるの。ずっと。」

「ずっとって、嘘つくなよ。」

僕は咄嗟に彼女を嘘つき呼ばわりした。
だけど、言った直後に本当にそうなんだろうか、と迷ってしまった。彼女の綺麗な白い髪、肌、金色の瞳が、とてつもなくくだらないことを自分が言ったのではないかという気にさせた。

「ふんっ、世の中にはね、あなたのようなガキにわからないことがたくさんあるの。この森がどうしてできたのかとか、星が瞬く理由とか、、、そう、子供がどうして生まれるのか、とか。」

女の子は言葉の最後、嘲るような笑みを僕に投げる。
僕は昼間のこととかさっきのばあさんのこととか、今日の悪いことという悪いことが一気に思い出されて、

「くそっ、おまえも僕を馬鹿にするのかよっ!おまえだってガキだろっ!」と啖呵を切った。

すると女の子ははあっ、とため息をついてやれやれといったジェスチャーをする。

「あなたね、そんなことで怒るのがガキだって言ってるのよ。それにね、レディに向かって「おまえ」なんて、怒っても絶対に言っちゃいけないの。覚えておきなさい。わたしの名前は”ヒイラギ”よ。」

ヒイラギと名乗った女の子にまっすぐ視線を向けられ、ぴしゃりとそう言われた僕は、歯を食いしばって睨み返すことしかできない。逃げ出したい。こんな変なやつ、僕はもう知らない。帰って寝てやる。

「わかったっ!僕がガキだったっ!もうわかったから、僕は帰るっ!」

そう言って僕がくるっと背を向けようとすると、

「まって!」と声がかかり、ヒイラギに腕を掴まれた。

「ねえ、その石をよく見せて?あなたが首飾りにしている、その綺麗な石。」

「えっ?」と僕は驚く。

「綺麗な石ってこれのこと?」
首にかけている石を手のひらに乗せてくいっともちあげると、彼女はこくっとうなずく。
僕は首にかけている石を外して、彼女に渡す。

「わあ。。。なんて綺麗なの。あなた、とっても素敵なものを持っているじゃない。なんていうのかしら、この石。」

「河原で拾ったんだよ、たまたまさ。名前なんてないよ。」

僕は早口でそっけなく答えたんだけど、ほんとはとびきり嬉しくなってしまった。僕は石が大好きだ。時間があると石を拾いに行って、家で磨いて飾っている。今まで誰かに僕の石を褒められたことなんかなかったから、とても新鮮だった。この石は先週見つけた少し変わってた石なんだけど、少し透明がかった茶色の断面が何層にも重なっていて、光の当たり方によってキラキラ光る。

目を輝かせて石を見つめるヒイラギ。
やっぱり、金色の瞳が綺麗だなって思う。空に浮かぶ偽物の星よりよっぽど綺麗だ。
本物の星ってこんな感じなのかなって、なんとなく思った。

「そんなに気に入ったんなら、あげるよ。それ。」

「えっ??」

キョトンとした顔で僕を見る。

「いいの?これ、あなたの大事なものじゃないの??」

「うん、いいよ。そんなに気に入ってくれるんなら。
石はまた拾ってくればいいさ。」

「ほんと!?あなた、素敵なところもあるのね!
ええと。。。あなたなんて名前なのかしら??」

さらっと腹の立つことを言われた気がしたけど、僕は名前を名乗った。

「アル!ありがとうっ、アル!っ」

ヒイラギが僕の名前を読んだとき、僕らの周囲が明るくなった。

いや、正確には石が急に光って、池の広場全体をぼんやり明るくした。僕とヒイラギは、思わず目を合わせる。

「わっ、ヒイラギなんだろこれっ!」

「知らないわよ!アルが持ってきた石でしょ!」

僕たちは光に包まれてわけもわからず笑い合った。
石はどんどん強く光っていった。

「すごい、すごいわアル!どんどん光が強くなる!」

石はますます光る。
とてもまぶしい。
光の強さでヒイラギの顔の輪郭がぼやけていく。

「ねえ、眩しくってよく君の顔が見えないっ!」

「わたしも!どうしよう、これっ!」

光はさらに影を奪っていく。
夢の中にいるみたいだ。

「アルっ!ねえ、どこにいるのっ!そこにいるのっ??アルっ!」

「うんっ、いるよっ!」

光の中、かろうじて伸びてきたヒイラギの手を取る。

もう何も見えない。真っ白だ。
「アルっ、わたしずっとここ・・・」

「えっ、なんていったの!?ヒイラギっ!」

ヒイラギの声まで遠くなってきた。
気づけば、木枝が揺れる音や風の音すら聞こえなくなっていた。

完全なる光。
もう感じるのは、彼女の手の感触だけ。

あったかくって、柔らかくって、懐かしくって

薄くなっていく意識をしっかりさせるように、一生懸命感触を辿った。



また、会えるように。


ずっと覚えていようって。



ーほんとうの月を、見たことがないんだろうー



これは僕が、ほんとうの月を探しにいく物語

ーつづくー





















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