ビジネス本にさようなら
子供の頃、図書室が大好きだった。
図書袋と呼んでいた、分厚いビニールの袋に、マジックで母が書いてくれる、堂々とした名前のバランスも気に入っていた。
昼休みと6時間目が終わった後は、図書室で制限時間ギリギリまで、色んな本を夢中で読んだものだ。
伝記、日本の歴史も大好きで、中でも淀君がお気に入りだった。
その頃から「意志のある女性」に惹かれていたんだな、と改めて思う。
毎日のように貸出上限の数を借りる私の図書袋はすぐにボロボロになったから、何度も母は名前を書くはめになったけれど、どこか誇らしく幸せそうだった。
私はテレビや漫画を禁止する家庭で育った。
だから、クラスメイトのお笑い番組の話に全くついていけなかった。
それが恥ずかしくて、見たふりをして話を合わせる私はきっと、とっても滑稽だっただろう。
だから、友達との会話は楽しくなかったし、彼女たちも私がいない方が盛り上がるみたいだった。
友達に選ばれない自分を恥じたり責めたりもした。
物語を読んでいる時間だけは、自分を責めず、誰に責められることもない優しい時間だった。
友達と仲良くなるヒントなんて、何一つ書かれていなかったけど、そんなこと、求めてもいなかった。
今思えば、多くの友達を必要とする子どもではなかったのかもしれない。
私にとって、本の中の主人公になって、物語を体感することは、エンターテイメントそのものだった。
小説を読まなくなったのは、30歳をすごし過ぎた頃。
離婚して、フルコミッション営業の仕事を始めたころ。
自分の生活をちゃんと立てて行かなくちゃいけない。
順風満帆に家庭を築いている、同世代の女性に劣りたくない。
仕事で結果をださなきゃ。
唯一無二の存在にならなくちゃ。
なんとしても成功しなきゃ。
選ばれる人間にならなくちゃ。
そんな風に自分に圧力をかけ続けた。
そんな時、答えを求めて必死で手にとり続けたのは、ビジネス本だった。
依存症のように、買っては読み漁った。
私にとって、本は小さなプライドを満たすためだけの命綱になり下がった。
選ぶ時も読む時も、ヒントや結果を求め続けた。
本がエンターテイメントだった頃のことなんて、もう随分長い間、忘れていた。
会社では出世をしたし、転職して難関と言われる国家試験に受かって先生と言われる立場になった。
同世代の女性と比べたら、はるかに高いお給料を手に入れることもできた。
だけど、私の心ははちっとも豊かにならなかった。
こんなんじゃダメだ。
私は誰にも選ばれない
何かにならなきゃ。
休みの日は何もすることがなくて。
私生活では誰にも必要とされない自分を認めたくなくて、ほとんどベットの上ですごすようになっていた。
目が覚めては、時間を無駄にただ歳を取っていく自分を責めた。
ビジネス本は、私を出世させてくれたけれど、私の本との付き合い方は、人生を枯渇させた。
変なプライドだけ高くなった私は、仕事をしてなければ、ただの孤独な有機物になってしまっていた。
ふと思い出した。
子供の頃の平和な世界。
図書室に包まれていた私。
私の人生を取り戻そう。
自分を責めない世界。
誰にも責められない世界。
今日からまた、たくさんの物語に触れよう。
文学が私のエンターテイメント。非日常。
テーマパークに一緒にいく家族がいなくても。
連休になんの予定もなくても
私の心を弾ませてくれる。
豊かさを与えてくれる。
自責の時間を減らしてくれる。
自己憐憫の時間を無くしてくれる。
ビジネス本にさようなら。
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