バナナが食べたかった、と“ポジショントーク“をするボクは、人間である以前にやっぱり“モンキー”なのだ。
バナナが…、、ない。
春もなお遠く、
寒さの身にしみた先週、日曜日。
それでもワイルドなノリと、とんでもない鼻息で、
大阪マラソンに出走してきた。
疲労が頂点に達し、
うおーダリぃカッたりぃ死ぬ死ぬと感じる頃合いで、力の源になってくれる給食、
それがバナナ。
侮ることなかれ。
食べると万事。
内側からふつふつとほとばしるエナジー。
ランナーにとってバナナは最高の補給食である。
しかし、、
ない、なかったのだ。
ゴールするまでの3時間50分、
この万能食に辿りつけなかった。
こうなると、もはや“腹が減った“では済まされない。“腹が立った“のだ。
胃に何かを入れたい。
走りながらに常軌を逸した感情が押し寄せてきてイライラ、イライラ。
ふとした瞬間に、脂ぎった額にシワを寄せながら、一心不乱に鬼の形相をした自分に気がついた。
ああ魂が、魂が震える。
これはヤバい。
鬼ヤバい。
ヤバい空気感でヤバい空腹感。
早めにゴールしないと逆にヤバい。
ヤバいと思うこと自体がヤバい。
そして、いま書きながら発見したが、
ヤバいの対義語もヤバい。
という、
ボキャ貧もしくはハイパードキュンの類いのワケのわからないことを
勢いと若気の至りならぬ“おっさんの至り“で冒頭から綴ってしまい、
みなさまからは
なにやら雑魚が発狂しとるワロタ
ということで迅速に処理されてしまうのかもしれないが
ボクにとってはそのときはもう
死活問題であった。
その失望を感じた瞬間、
ボクは少なくとも自身に宿るモンキー性を自覚した。
やっぱりボクはランナーである以前に人間であり、人間である以前に“モンキー”なのだ。
モンキーどころか、
ゴリラであったかもしれない。
マウンテンゴリラ。
あのイラつきを晒した鬼の形相、痴態。
大阪という大都会の公道を舞台にして、人の皮をかぶったゴリラが“しゃにむ“にバナナを求めてイライラしているのだから、
他所様からすると
滑稽の極み以外、
ナニモノでもなかったであろう。
高騰するマラソン大会の参加費
2019年までの参加費は、12,340円。
3年のコロナ中止を挟んで、
今年は、な、な、な、なんと24,550円。
衝撃を受けて涙のでてきた“我が家の1月の電気代“ですらさえも可愛く思えるまでに、
いまトレンドの“物価高“であった。
元々、都市型マラソンは高騰傾向ではあったが、今回はそれにコロナ対策の費用が上乗せされて大きな増額となったようだ。
大阪マラソンといえば東京に次ぐ大会規模で、値上がり前は当選倍率4倍超の人気を誇っていた。
それがまさかの
定員割れ。
急遽、先着順で追加募集をかけるものの、
それでも期間内に32000人の枠は埋まらなかった。
そりゃそうさ。
ランニング馬鹿のボクでさえも、
小遣いから捻出するには高すぎた。もちろん見送り、断念。
が、
9月になって、
急遽、ウルトラマラソンにリベンジするべく大命題が生まれてしまい、
そのタイミングで
ボクの心情を推し測ったかのように追加募集が掲げられ、
それがチラチラと目に入ったボクは、ボロボロの泣きっ面をかましながらエントリーせざるをえなかった、という有様であった。
バナナがエイドにないのは
食用部がむき出しのものを提供しないコロナ対策の一環であり、参加費の高騰は安全に走ってもらうための警備費の増大によるものという。
ランナーは、大会一週間前からアプリで体温の入力送信、ワクチン3回未接種ならPCR検査証の提出が義務付けされる。
もはや校則並に厳格なのだ。
ボクには良くわからないけれども、
本当に、対策にかける“費用“と、“効果“は
バランスがとれているのだろうか。
こうした徹底した感染症対策に、
必ずついてくる“賛否“の意見。
正直なところコロナ禍での
イベント開催への賛否の意見を、これまで散々みてきたが、結局のところ、人の“意見“とか“賛否“って、
ポジショントークであることを避けられないんだよな、
と、痛感してきた。普遍的な正論に決して行きつかないことにバチバチ意見をぶつけあう。
東京五輪しかり、飛行機のマスクしかり、音楽ライブしかり、高校野球しかり、県外旅行しかり……
もちろんボクもこの場で散々、
ポジショントークをしてきた。
でも『ポジショントーク』って、
悪い意味で受け取られることが多いけれど、人にはみんなそれぞれ自分が置かれた『立場』があって、そこから全く縛られずに『中立』にはなれないのだから仕方がない。
いや、なれる人もいるのかもしれないけれど、やっぱりボクには無理である。
だから
“ボクには良くわからない“
と、先ではお行儀よく言ったが、
本音を言うと、
しつこいけど、
食いたかったのだ。
バナナ。
3万人が、思いっきりゼーゼーハーハーするマラソンの中で、こんな対策になんの効果があんねんな。給食少なすぎやねん、なんぼカネ払うとる思うとんねん。
今回の大阪マラソン。
ポジショントークだよ、
でも、悪いけどそう思ったさ。
“ポジショントーク”の最たる男女間の“おごり、おごられ“問題
“賃貸派、持ち家派”論争と並んで、
定期的に炎上が繰り返される男女論の花形、
“おごりおごられ“論争。
こんなのはどっちもアリの
“ポジショントーク“であるから、
結論なんて出るわきゃない。
だから、
結局、色んなことを言う人がいるけれど、
他人の意見は全く気にしなくてもいいのだ。とにかく「無理をしない」こととお互いにとって心地いい金銭のやり取りをすればいいだけである。
で、
我がnoteを読んでくださっている皆さまなら容易に想像がつくであろうが、
散々、いままで包み隠さず、
人間のゴミと言われるリスクをとりながら“金銭面“の低俗な欲望を発表し続けてきたボク。
そのボクの、
ただ1つの事実。
恋愛としての興味や、
エロ的な下心もない近き年齢の女性との食事は、
すまん。
奢ったという記憶がない。
という、非常に力強い真実がある。
リアルでも非モテを公言し、
それが認知されちゃっているボクは、相手から“モテ男“のふるまいをそもそも期待されていないし、
平凡リーマンだぜ?
薄給なんだから、ということで常に割り勘が平常運転である。
つまるところ、
論争の土俵にすら立てていないザコキャラなのだ。
ザコは一日にして成らず。精進あるのみ。
ボクのようなクソを目指すことはないが、ザコとしての地位を確立するなら、ザコにあぐらをかかずに、どんどん“ザコさ加減“を発信していくのだ。
しかしまぁ、そんなザコのボクでも、
会社の部下であったり、
明らかに年齢の離れた人には、
ザコながらにもええカッコウしてきた。
で、奢る側になって思うこと。
やっぱりさ。
奢ってもらいたかったならば、
男女でみてはダメ。
「奢り甲斐のあるかわいいヤツ」を認定される努力をしなければならない。
「かわいい下っ端」としての振る舞いをするに限るのだ。
基本的には注文は自分が率先する。
食べる時は「おいしいっすねぇ!」とその店を選んだ「おごり主」の顔を立て、支払いの時は財布を出した姿を明確に見せ、「いいですいいです」「いや、そういうわけには!」「本当にいいですいいです!」「いえいえいえ、払います!」の一連の流れをしっかり抑え、
奢ってもらったら店の外で深々とお辞儀をし「ごちそうさまでした!いやぁ、おいしかったです!」と言う。もしも夜の飲み会であれば、別れた後に「今日はありがとうございました。ごちそうさまでした!」
とLINEやメールを送る。
恐縮しきったこの態度こそが、古典的ではあるが正しい作法で「奢りのワンセット」になっているのだ。
これが、次も奢りたくなるカワイイヤツである。
結局のところ、
奢られ側の正しい作法を身につけ、「奢り甲斐のあるかわいいヤツ」を認定されると、男女そして年齢関係なく、
ますます奢ってもらえるようになる。
結局はそれだけであり、
顔とか性別とか云々かんぬんも多少はあるかもしれないが、奢られている人はそのことをわきまえてちゃんとやってる。
だから、奢ってくれなかった相手を攻めるより、自身の不努力に目を向けるべきなのだ。
コロナ禍の大阪マラソン、でも良かったですよ、ボクは。
また、来年も参加して
ポジショントークしたろう、思うてます。
スタート地点に並んでいたら、ボクの横に颯爽と完全究極体・無双モードのスゴいオーラを引っ提げた超人が入ってきた。
こらアカンわ、自分の恐るべしザコキャラと並ぶことで残酷なコントラストをなす。
写真撮影に快く応じてくれた上、話もめちゃくちゃノリがよくて、これぞオトコ前のステキな人でした。
あぁ、モテ男の鳥谷さんは、
女性に奢らないなんてないやろなぁ。
そう思ったな笑