子育てに悩む全親にラジオ体操を思い出してほしい
10年前から手軽に始める運動の一つとしてランニングに火がつき、全国都道府県主催のマラソン大会の大半が倍率の高い抽選になり、走りたくても走れないほど人気と化した。僕もブームに乗ってランニングを始め、いつしかハマりにハマってウルトラマラソン(100kmマラソン)にまで手を出すようになった。
手軽な運動という意味においてはスポーツドクターの中村格子さんの書籍「実はスゴイ!大人のラジオ体操」が大ヒットした。 関連本が次々と出版され、ラジオ体操がブームと呼べるほど脚光を浴びた。
3年前から僕は近くの小学校で実施されるラジオ体操に子ども達と一緒に行っている。子どもはラジオ体操が始まる前に遊具で遊べることを楽しみで眠い中でも喜んで付き合ってくれる。
ラジオ体操の魅力とは
小学生時代、ラジオ体操は体育があるたびにさせられたが全く楽しくなかった。特に夏休みなのに早起きしてわざわざ公民館に集まってするのは苦痛でしかなかった。なぜやるかなんて特に考えずに、夏休みになったら行くように先生から言われてたから行っていただけだ。
天気予報で翌日の早朝は雨だと分かると夜更かしできてなんか得したようで心が躍ったのを思い出す。
当時、スポーツ少年団でバスケットにのめり込んでいた僕からすると大した運動になるとも思えない、何の役に立つのか分からない代物だと思っていた。
でも今となってみれば 「小学校で習ったことで役に立っていることは何か?」と聞かれたら、ラジオ体操は間違いなくその一つだ。
卒業した小、中、高の校歌を最後まで歌えなくても、ラジオ体操ならば最後までやりきることができる。2番だってわかる。
頭で獲得した記憶は使われなければ忘れるが、1度体が覚えた記憶はなかなか忘れない。
実際に音楽が流れていなくても、頭の中であの軽快なラジオ体操の曲が流れて一通りの体操ができる。もっと言うならば中年男性のおっちゃんの「イチ、ニ、サン、シッ」の掛け声まで脳内再生される。これは、まさに授業で繰り返し体操をしたおかげだろう。子供の頃には、大した運動ではないと思っていたが、今真剣にやってみると身体のふしぶしが痛む。
ラジオ体操の深い歴史
調べてみるとラジオ体操の始まりは1928年。なんと90年近い歴史を持つ。乳幼児は置いといて、日本でこの体操を知らない人はいないのだ。
簡易保険局が昭和天皇の御大礼を記念して「国民保健体操」として定めたのがラジオ体操の始まり。 制定されたときから、ラジオ体操の目的は一貫して「国民の体力向上や健康増進」。
目を疑う。
健康「維持」ではなくて「増進」させるのが目的。そりゃあ動きに無駄がない。本当かどうかは分からないけどラジオ体操協会によると400種類の筋肉に影響を与える運動が詰まっているという。
社会生活基本調査から現代の平均的な日本人男性の時間の使い方をみると、仕事に8時間、通勤に1時間、家では家事・食事・睡眠とテレビにほぼ全ての時間を費やしていて、運動なんてほとんど行っていない。
ラジオ体操はたったの3分間。それも朝の6時半
。大半の人にとっての隙間時間。これで健康「増進」できるならやっぱりやらない理由はない。
育児の成果とラジオ体操の成果の共通性
今の子どもは僕らの頃より忙しい。勉強や習い事、クラブ活動、携帯電話・スマートフォンを使う時間など、毎日を忙しく過ごしている。今の子どもたちは僕らの頃よりももっと普段から自身で必要か不必要か精査して無駄をなくす判断をしていかなければならない。一方で、その時点では目に見える成果は分からなくて不必要と判断したが、後から重要だったと分かるものもある。
僕らは日常生活において、もっぱら仕事においては特に目に見える短期的な結果を重視する風潮がある。しかし育児からは短期的な成果は得られない。
昨日、我が家にヒヤッとするトラブルがあった。息子にはしっかりと教育した。子どもと目線を合わせて語りあうこともした。だからといって今日すぐに成果が出ることではない。
昨日気づいて行動に移したことが正解だったかは今は分からない。そもそも長女を育てて7年経ったけど未だに乳幼児期にしてきた教育が正解だったかですら分からないのだから。
僕たちは短期的成果にあまりにも慣れすぎてしまってて、ほっといたらすぐに短期的な成果に一喜一憂してしまう。
子どもの頃、あれだけ不要と思っていたラジオ体操。まさか30年も先になって成果を感じるとは思ってもみなかった。成果というのは全くいつどこで表れてくるか、何が役に立つかは分からないものだ。だからいつも短絡的ではなくよく考え、計画を作り、淡々と実行する。当たり前のことを当たり前にやっていこう。
短期的な成果が生まれる近道にはたいてい落とし穴がある。
育児から教わったこと
育児は長期戦。成果は30年後にやってくることもある。そのために淡々と、当たり前のことは当たり前にやっていく。