田舎人のボクが、関西人に憧れて「ありがとう⤴」を連呼するようなったのは言うまでもなく、関西弁の女子にモテまくる土俵に立ちたかったからだ。
「ありがとぅ⤴」
『おぅ!おおきに!またきてなー”』
関西では、ご飯を食べて代金を払った客が、店員さんに“ありがとう⤴”と言う。
田舎で生まれ育ったボクが18歳で大阪にやってきて真っ先に衝撃を受けたのがこれだった。そして、この文化を一瞬で好きになった。
おつりをもらった時に店員さんに、
「ありがとぅ⤴」
バスから降りる時に運転手さんに、
「ありがとぅ⤴」
そういった日常のあらゆる場面で、人に何かをしてもらったら、それが“お金を払う側”であっても、軽く会釈をしながら
「ありがとぅ⤴」というのが関西人のフツーなのだ。
これはモテる。
ぜったいに。
直感的にそう思った“非モテ”のボクは、すぐにこれを真似た。
デートを断られても
「(検討してくれて)ありがとう⤴」
クソミソに文句を言われても、
「(言いたいことを言ってくれて)ありがとう⤴」
密室で放屁をかまされても、
「(気を使わない関係に扱ってくれて)ありがとう⤴」
当時大学生だったボクは、
理由もなく関西人に憧れていた。「ありがとう⤴」が何かも分かっていないのに、「ありがとう⤴」が口癖だった。
「ありがとう⤴」と言ってみたいだけだったのかもしれない。
どうやら“9年前の一般人”のツイートが話題になっているらしい。
「所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に『ごちそうさま』と言う」
笑
内容の批判や賛同は、
物好きな方々にお任せして、、
牛丼チェーン店の店員さんに対して
「ごちそうさま」
を言ってもいいし、言わなくてもいい。
全然かまわないでしょ。
この程度のこと、人それぞれの「考え方の相違」で納得できる。
それよりも、
9年も前のこと。
当時は話題にもならなかった一般人のツイートを“ネトウヨのまとめサイト”が拾い上げただけなのに、一部の有名人がこれを袋叩きにし始めた。この構図。
熱すぎた放屁のあとに、パンツが汚れているかどうか気になるような感じで
これがなんだかムズムズと気になりだして、とても気持ちが悪くなった。
たしかにこのツイートにはクセがある。
でも、9年も経過すれば、いまはきっと違う考えになっているであろう。
いや、当時だってそもそも仲間うちに冗談半分でつぶやいたにすぎなかったかもしれない。
それなのに有名人が
自分の高収入をここぞとばかりに提示して「億超えのオレは〜」とシャシャリでる。
このあとに、
別有名人から
「絶対多いがな、、」
とのリプライが入る。
もはや茶番である。
叩きやすいネタにのっかって、
礼儀、マナーとしての正論でマウントをとるとみせかけた、金持ちアッピール大会が始まったんだな、 と、斜に構えてボクはそう思った。
エセ関西人で、関西かぶりで
“ありがとぅ⤴”
と退店時に言うボクは、
それが、店員さんへの“ごちそうさま”の意味の括りで捉えられるのかは分からないけれど、
思い返せば明確に「ごちそうさま」というフレーズを、チェーン店のレジ打ちのアルバイトに言ったことが、ボクはない。
でも、食べた後のテーブルでは
ちゃんと言う。
“いただきます”も
“ごちそうさま”も、
生命を捧げて食材になってくれた動植物への感謝を示すのが礼儀だと、
親からそう言われて口癖になっているので、
それがボクにとっての当たり前であり、その当たり前を言わないのがイヤだから、
条件反射的にちゃんと言う。
でも、繰り返しになるが、
ごちそうさまの代わりになっているのか分からないが、牛丼屋の店員に“ありがとう⤴”と、帰り際にお礼を言っちゃうのは、感謝の気持ちもあるがメインはそれとは違う。
貧乏人だとか、
年収億超えとか、
礼儀正しくとかではなく、
クソ田舎から、大阪にやって来た少年が、
関西の立ち居振る舞いに憧れて、身につけただけの習性である。
これを習得することによって、関西弁の女子にモテまくってブイブイ言わせられる土俵に初めて立てるものだと
ただただ勘違いしていたのだ。
店員に、“ごちそうさま”とお礼を言おうと言いまいと、
ボクは、それが年収の多い少ないの指標にはならないのはもちろんのこと、礼儀の有無を推し量るものだとも思わない。
それよりも、
礼儀、マナーの議論でいうならば、
カネを払えばお客様は神様だー、
と勝手に上下関係を作り、何をしてもオッケーみたいなスタンスをとっている言葉や態度、そして考え方をもつ客の方が、圧倒的に見過ごせない。
“ごちそうさま”
と言ってる客であろうとも、その後の店員の「ありがとうございます」の返答をみて
「ありがとうございます、を言うなら目を合わせて言わなければダメだろう」
と、思うのであれば、
礼儀を知ってる人だとはボクは思わない。
お客様は神様ではない。
たかだか2、3千円程度払ったくらいで、王様でもあるかのような態度で店員に接し、
「完璧さ」を求め、
ちょっと腹が立ったら汚い言葉を投げつけ、家に帰っても気持ちが収まらなかったら責任者に脅迫じみた電話をしたり、 誹謗中傷を書き込んだりする。
自分で設定した枠以上はやらないくせに、相手にはその枠以上を求める。
ごちそうさまと言おうが、
言わまいが、「考え方の相違」で納得できるが、
“お客様は神様だ”、“何をしてもオッケー”みたいなスタンスは、考え方や見解の違いをこえて営業妨害につながるから、
見過ごせない。
客と店員。
礼儀、マナーの議論は、
むしろこっちじゃね?と思う。
関西人の“ありがとう⤴”を習得したボクだが…
ネイティブ関西人の日常で
最もお気に入りなのは、
「自分を過剰におとしめて笑いを取る」という独特のコミュニケーションスキルである。
関西、とくに大阪では「笑い」が、
人の価値を測る最重要基準である。
学校でモテる人は笑いが取れる人。
「おもろい」人が、
「イケメン」よりも上なのだ。
どんなにイケメンでも、
ボケもつっこみもできないようでは
「あの子、かっこええけど、おもんないな」なんて、理由無き非難を受けることさえある。
だから自分の“アホさかげん”や、“どんくささ”とか“ダメっぷり”を強調して笑いをとる、いわゆる「自虐ネタ」があちらこちらで披露される。
本人がどんなに頭が良くても、能力が高くても、お金もあって異性からモテモテでも、
なんらかのダメな経験を自分でちゃかして笑いをとる。
それにたいして、近くにいる人がすかさず「アホか!」「ナンデヤネンっっ!」と叫びながらとんでもなく鋭いツッコミをいれて、
ドッと場が和んで、
みんな笑顔、ニコニコ。
この空気が、
ボクは好きすぎる。
関西に来てよかったなーと。
このクセの強いツイートに、
なんとコメントをするのが正解かはわからないけれど、
明石家さんまさんなら、
笑福亭鶴瓶さんなら、
松ちゃんなら、
なんて返すだろうなあ。
と考える。
「億超えのオレは〜」とは言わないだろう。おそらく真逆の自虐。
そう。ボクは、いつだって、
レベルは違えども、そちら側のコメントができる人でいたいなあ、と思う。
25年も関西でビシビシ鍛えてもらった
エセ関西人、関西かぶれの代表としてね。
……ああ、もうこんな時間か。
パンツが汚れているかどうか
いよいよ気になってムズムズしてきた。
さ、今日のところは、
これで終わりにしよ。
放屁を軸とした3000文字の駄文を見事に完走してくれた“ど暇な”みなさん、
いつもありがとう⤴
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