駄菓子屋で会った女性に、マスクをズラしてニヤっと笑った“夏の日の2023”
実家に帰った盆休み。
イロイロとわかるようになってきた長女と次女を連れて、ボクの母校、そして青春時代を過ごした場所をグルグルまわリ、
思い出話に花を咲かせた。
海、釣り場、公園、図書館、ゲーセン。
「ここにイオンが出来るんだよ」
当時、情報を早期に入手した友人がまるで都会にでもなったかのように話したイオンも変わらずにそこにあった。
思い出がたくさん蘇る。
この過ごした街。
ボクにとっては何十年の時を経ても
色褪せたものは何一つとて、ない。
あそうだ。
駄菓子屋はどうなっているのだろう。
当時、年老いた婆さんが一人で切り盛りしていた小さなお店で、暇を持て余したボンクラ小学生が毎日のように通い、
駄菓子を取り囲んでよくワイワイした。
子どもにとって、駄菓子はジャンキー。
ボクも例外なくそのうちの一人で
「うまい棒」や「よっちゃんイカ」、「ヤッターめん」に「モロッコヨーグルト」
毎日、日替わりで買い漁り、公園でみんなと一緒に分け合って食べていた。
しかし、やがて第二次成長期を迎えたボクらは、駄菓子屋とは次第に疎遠になっていく。
ボンクラから、真性ボンクラへと急降下し、
ボクらの関心は、駄菓子から女体へと移ったのだ。周囲の女の子たちのオッパイが日に日に大きくなっていくのと歩調を合わせるように「駄菓子・ジャンキー」から、重度の「オッパイ・ジャンキー」へと変化を遂げる。いつしか公園はエロ本を持ち寄って、少し年上のオネエさんのオッパイを吟味する場と化していった。
アレ以来、店先すらも通ってない。
いったいどうなったのだろう。
後継ぎなんていないだろうし。
ふと気になって、
せっかくの機会だからと、
あの駄菓子屋があった場所に行ってみることにした。
ああやっぱり。
予感はしていた。
店は跡形もなかった。
隣の市にある駄菓子屋に行った
当時の駄菓子・ジャンキーだった思い出話を娘たちに話していると、2人とも駄菓子屋に行ってみたいと言いだした。
ググると隣の市のショッピングモールの一角にテナントとして入っている駄菓子屋があった。そこに行こうと決めた。
車を走らせ20分。
店に到着すると、
色とりどり、見るからに華やかな店構え。
一円、いっぱいに様々な駄菓子が広がっていた。たくさんの駄菓子を前にして大喜びで目を輝かせる子どもたち。
ああ。
懐かしい。
ボクは、軽く目をとじた。
木製の丸椅子に腰を下ろしていた年老いた婆さん。小学生がワイワイする声。
ボクは一瞬だけ35年前に引き戻される。
パッと目をあけて現実に戻る。
店には先客がいて、小学校4、5年生くらいの女の子と母親の2人だった。
母親が“懐かし〜い”と言いながら、子どもと一緒に駄菓子を見定めている。
良い母娘だな。
そう思ってボクは、しばし2人を目で追った。よくみると母親は、マスクをしていても分かるほどの恐ろしほどの美人だった。
きっとボクと同じ年代。
ノースリーブの白く細い腕と、ピチピチのTシャツで強調された胸の膨らみがコントラストで妙にエロティック。
ん?
ボクは、母親の顔を再びよくみた。
そしてマスクの下を想像した。
アレ?
気になる。
時々チラチラと見ては見ていないフリをして何度もみた。
が、ついに母親と目があってしまう。
あっ。
やっぱりそうだ。
ボクは彼女を知っていた。
彼女の目も、なんとなくボクに気づいたような気がした。
間違いない。間違いなくそれはボクの同級生だった。しかもボクは、彼女を好きになった時期がある。当時からアイドル的な可愛さだった彼女には、いつだってオスたちが群がっていた。知性があってモテモテ。
学生時代の彼女は、俗に言う“勝ち組”だった。
一方で、日陰にいた俗に言う“負け組”だったボクは遠目で彼女を見つめることしかできなかった。当時、何度か目があったことはあったが、ボクの視線なんてまったく気にしていないようだった。
眩しさのなかにいる彼女には、
影のなかにいたボクなんて見えなかったのだろう。
◇
声をかけようか迷った。
99%の確信はあるけれど、1%が否定する。
だから声をかけられない。
互いにマスクをしているからなおさらだ。
こちらがマスクをとれば、もしかしたら相手が100%ボクと確信してくれるかもしれない。
そう思ったボクは、
試しに彼女の目線の先にまわってマスクをズラしてニヤっと笑ってみた。
彼女は「中年のオッサンがマスクを外し笑っている。キモいヤバい、子どもがアブない」
と危険信号を点滅させるような不審な表情を浮かべ、子どもに「行こっか」というと、そそくさとレジへと向かっていった。
いやいや。
ヒゲの永久脱毛はしたよ。
だけどそれ以外はいじっていない。
時を経て、
彼女の中にボクはもういなかった。
わずか5万人の市。
100人程度の同級生。
それでも忘れられてしまっていた。
太陽のキミと、日陰のボク。
寂しかった。
気が付くと2人の母娘の姿は
駄菓子屋から消えていた。
買い物をすませ駐車場に戻り、車に乗り込んだ。
“パパー、暑いー。早くエアコンマックスでつけてー”
長女に促され、強風モードでエアコンをつけて、しばらく車内が冷えるのを駐車場で待っていると、
軽の白いワンボックスカーが、
ボクの前をノロノロと通過していく。
座席が高い位置にある我がミニバンの運転席にいるボクからは、相手の車の中の様子がよくみえる。
あの親子だった。
運転席にはお世辞にも清潔感があるとはいえない白髪まじりの男性がいて、窓を少しあけてタバコを吸いながらノロノロと運転をしていた。たぶん彼もボクの同級生。当時、スポーツ万能でイケイケノリノリの男だった。
後ろの席には子どもと、その横には荷物が煩雑に積まれている。
ありふれた休日の、ごく普通の家族の日常がそこにあった。
母親は助手席に座り、
マスクをハズしていた。
彼女の頬には、ボクら同年代の年齢相応のほうれい線がしっかりと刻まれていた。
学生時代、これまで何度も見ていたはずだが、年齢を刻んだ素顔の彼女は、彼女と認識はできるものの、認識するのが難しかった。
マスクは魔法だった。
マスクで目もとしか見えなかったからこそ、ボクは眩い輝きを放っていた彼女と、今のアラフォーとなった彼女が同一人物と確信することができたのだ。
ボクは思った。
やっぱり皆、一様に歳を重ねるのだ。
眩い輝きを放っていた彼女でも、それは例外なく訪れるんだ、って。
◇
ボクは、高校時代によく聞いた
ミスチルの“終わりなき旅”をかけた。
軽く目をとじてみる。
ギラギラと照りつける夏の日射し。セミの鳴き声。ボクは一瞬だけ高校時代に引き戻される。
そして気づいた。
あの頃、彼女だけが眩いばかりに輝いていたのではなく、ボクも同じように眩しい光の中にいたのだ。
ただただ、その瞬間をボクは“負け組”だと思いこみ、目立った人を“勝ち組”と認定し切り離していたにすぎなかったんだ、って。
目をあけると
彼女の車は視界から消え去っていた。
ステレオから桜井さんの声が語りかけた。
思えば、“勝ち組”とか“負け組”とかそういうつまらない言い方に代表されるように、昔から世の中は、他人と比べて、瞬間的な見た目の結果ばかりに囚われているような気がしてならない。
でもそれは違う。
瞬間的、一過性の結果や勝敗なんていうのは紙一重の差でしかない。だからその結果で将来なんてのは実際のところは、まったく予想がつかないものなのだ。
駄菓子屋で会った今の彼女と、今のボク。
おそらく勝敗なんてない。
いま、負けていたって大丈夫。
明日、負けていたって大丈夫。
20歳で、30歳で、40歳で、、、
負けていたって、その先の未来はどうなるかなんて誰にも分からない。
だから見えぬ未来に、
誰だって卑屈になる必要なんてないのだ。
学生時代、日陰で非モテだったボクが
この歳になっても、眩しい光、輝ける場所に立つことだって、それはあるのだから。
そう。
今年。
ボクの夏はまだ終わらない。
終わりなき旅。
一年前から止まった時間。
いま、この瞬間の眩しい光を求めて、やり残したことがある。
この歳になっても、
追い求めることがあるだなんて思えることは幸せなことだ。
それはまた次週にでも書き連ねたい。
おなじミスチルでも1998年のボクと2023年のボクでは同じようには響かない。
だがそれでいい。
それでいいのだ。
そのときどきの今、
この瞬間を全力で生きるしかボクらにはできないのだから。