田舎育ちのオトコ4人衆で、初めてキャバクラに行ったあの日の自信。
「自信がない」
という精神状態のときは多くの場合、
アウトプットに影響し、相手にネガティブな印象を与える。では、「自信がない人」がいつも自信がないかと言うとそうでもなくて、
同じ人間でも「自信がある時」と、「自信がない時」がある。
さらに言うと、自信満々な人のほうが自信がない人よりも実力があるかと言えばそうでもなくて、
「自信が持てるかどうか」は本人の心の有り様によるところが大きい。
キャバクラに初めて突入したあの日
大学生の時に、合コン仲間の芋男カルテットで、いつかはキャバクラ行きたいね、と話していた。
時代は流れ、街はうつろい、社会は変容する。それでもオトコの持つ唯一無二のオトコの性というものは決してブレることなく、ただただそこに存在し続ける。
キレイなオネエさんとキャハハハしたい。
あわよくば甘い言葉でチヤホヤされたい。
そんなオトコの自信をとりもどす夢のような時間がキャバクラにはあるのだ。
しかし初めて‘’夜のお店‘’に突入する前のナンとも言いようのない緊張感は表現し難いものがあって、
社会人になって‘’上司に連れられて‘’とか、強制されるナニかのキッカケがなければ、なかなかそのラインを跨ぐことができないものである。
ボクのその日は、唐突に訪れた。
それは、我が芋男カルテットで、保育士と合コンした日のことだ。
‘’明日も仕事で早いから…“
との理由が事実かどうかはおいといて、保育士からの申し入れにより、夜にしては早い時間に会はお開きとなった。
その日の合コンにおける
ボケへの即座のツッコミ、気遣い、声の張り、おもしろエピソードによる盛り上げは、冴えにさえまくっており、全保育士の携帯番号ゲットまでを含めてチームワーク力をいかんなく発揮できた。
俺たち最強。
自信満々だった。
高揚感に浸った我が軍は、
“よし、今日こそはキャバクラへ行こう!”
と盛り上がり、意を決してキャッチの兄ちゃんに手慣れた感じの軽々しいノリで声をかけた。
「兄ちゃん、キャバクラに行きたいけど、どこかいいとこ紹介してーや。」
‘’群れ‘’と、‘’自信‘’は人を大きくさせる。
異次元の佇まい。
ボクらはキャッチの兄ちゃんをぐるりと囲み、まるでお腹をすかせたライオンの群れのような威圧感と物言いで迫った。
当時、そもそもキャバクラというものがどういう料金システムで、どんなエロティシズムな接待を受けられるお店なのか、
誰一人として理解していなかった、、、
にも関わらずに、
「なるべく“安くて”ハードなやつ頼むね」と念押しまでした。
兄ちゃんは手慣れた様子でお店を紹介してくれた。
専門用語をバンバンとばす彼の提案を聞いて
フンフンと知っているかのように頷いた我々は、満を持して尋ねた。
「“もちろん”ボディタッチありっすよね?」
ここで、急に変な空気が流れた。
そりゃそうだ。今考えればわかる。
自信満々にキャバクラに行きたいと言ってきたドヤ顔カルテットが、キャバクラの基本の“き“すら理解していないのである。
キャッチの兄ちゃんは一瞬戸惑い、今度は不敵にニヤリと冷笑し、冷静を取り戻してこう答えた。
「それならオッパブ、セクキャバになりますけど、え?そっち系?高いけど、大丈夫?それやったら、それなりに安くていいとこあるからおいでや、こっちに、、」
兄ちゃんは、手招きをすると裏通りに向かって歩きだした。
交渉の主導権が明らかに交代した瞬間だった。
‘’お、お、お、おっパブ!?‘’
この言葉に、ボクはなぜか分からないけどヒヤッとしたのを覚えている。言葉の響きからして絶対にアレなやつであろう。
一気に、芋男が都会のディープな闇の世界に引きずりこまれるような気がした。
‘’オレたち、今からおっぱいを見れるのか!?‘’
‘’おっぱいに、パブだと?赤ちゃんのパブパブすんのけ?‘’
もうわけわからない。
あ、あかん、、、
これボッタくられるヤツだわ。
危険を知らせる田舎人DNAのセンサーが敏感に反応した。
自信満々だった我々に、一気に緊張感が走った。
あんなに合コンでクリティカルヒットをとばしまくった我が軍は、もはや誰ひとりとしてコトバを発しない。
誰かひとりの返答次第では
「この芋男、全員、童貞か?しょぼ」
と思われてしまうに違いない。
今思えば、動揺を見せないようにして表面上では謎のプライドを持ち続けてはいたが、その時点でしょぼい、こいつらカモだ、と思われていたに違いない。そのくくりで言うならば頭一つ抜きん出た存在であった可能性が高い。
ついて行くの?行かないの?
みんなが行くと言いだしたら、オレだけここで引き下がるなんてみっともなくてできやしない。
おいおい、みんなどう思ってんだろう?
言葉を交わす事無く、牽制しあう4つのお芋たち。
もうこれ以上兄ちゃんを待たせるわけにはいかない。結論を出さなければいけない。
ギリギリのところだった。
仲間の中で一番のビビリのテツくんが、静寂を切り裂いて言い放った。
‘’ひ、ひとつ提案なんだけどさ。き、今日のところはやな、、、。普通のキャバにしとこうか‘’
おまえ、いつから馴れ馴れしく
略して‘’キャバ‘’呼ばわり始めたのかと、
突っ込みたい気持ちはあったが、皆一斉にこの‘’神提案‘’にすがった。
‘’お、おう。普通のキャバで十分やな。アハ、アハハ、アハハハハ‘’
‘’かなり飲んだからな。そやな、明日もあるし抑えめにしとこうかな。アハ、アハハ…‘’
暇な学生、明日なんて全休ではあるが、みな同調した。
びっくりするほど瞬時に。
我々は無言で心の中で手を取り合ったのだ。
キャッチの兄ちゃんは、我々に振り返ってヤレヤレと呆れると、首の根っこをつかむが如く、もうこれ以上は逃さねーぞと言わんばかりに、
イケシャーシャーと普通のキャバクラへと誘導し、ボクらはそこで初めて夜の世界を経験することになった。
コンプレックスに払う値段
数日前。
家族が寝静まった夜遅くに帰宅すると、
ダイニングテーブルにペラ紙1枚、見積書が置いてあった。
見ると発行元が〇△歯科とある。
あぁ、そういや今朝、ママが長女を歯医者に連れて行くと言っていたな。
見積書には、“撮影“、“型どり“などなど、数行に渡って項目の記載があって、それぞれに単価がふってある。
専門的なことはしらない、こういうのは医者に任せりゃいい。
で、いったいナンボ払うんだ。
ボクはザーっと項目を流しみてから
合計金額に目をやった。
ん!?
は、8万円!
ほっほっほ。子どもの歯の治療費ってこんなに高いのや。
まぁ、でも歯は大事だからな。
しゃあないよな、、、、、、、、
ん?
んん?
いやいやいやいや、ちょっとまてまてまて。
イチ,ジュウ、ヒャク、セン、マン、、、、
は、80万円!?
うそだろ、おい、おい。
ここでようやく項目をしっかりとみた。
“小児歯科矯正“とある。
長女が治療するのは歯並びの矯正、もっと具体的に言うと“出っ歯“の矯正である。
たしかに、そう言われてみると
大人の歯に入れ替わった前歯2本が、口の大きさの割には大きくて、
目立っているような気が‘’しないでもない‘’。
見積書に呆気にとられていると、ボクが帰ってきた気配を感じた妻が寝室からリビングにやってきた。
「年齢的には矯正しやすい一番最適な時期らしい。どんな性格の子に育つか分からないけど、たかが歯のことで将来、紙一重のところで自信がもてなくなって、うまくいかないことがあったら可哀想じゃない?本人に落ち度がないことなのに。」
んあぁ、、、、なるほど。
自身の人生を振り返って記憶をたどる。
キャバクラに初めて突入するとき。
自信があれば、その高いハードルを難なく乗り越える勇気が沸いた。
女性を口説くとき。
髪型、服装が理想通りにキマっていれば、自信を持って話せた。
一方で
超高学歴大学生と就活でグループディスカッションをしたとき。
何か言葉にできない劣等感に苛まれて実力が発揮できなかった。
人は“自信”や“劣等感”という先入観によって、ある種のバイアスがかかり、少なからずとも短期的な行動と結果が左右してしまうのは必然であろう。
とくにネガティブなイメージを植えつけられることは、
余計な緊張感を抱える事と等しく、その緊張感は人から余裕を奪い、パフォーマンスを落としてしまう。
人生は長い。「悪い環境」だから人生で失敗するわけではない………が。
人生をところどころで切り取ってみると
同じ人間でも「自信がある時」と、「自信がない時」がある。
でも、人生という長期で見ると
ネガティブな状況だって、それをバネにして上手に利用できるのが人間という生き物のよい部分で、‘’自信のみ‘’が長期的な成果に大きく影響しているわけではない。
ふと思い立ってFacebookやそのつながりのSNSを利用して、今まで会ったなかでボクが羨ましいと思った人の人生を覗き見してみた。
容姿端麗、頭脳明晰、親ガチャ当たりクジ…
過去に学業を共にしたそんな恵まれた人たちをね。
結果はまぁいろいろだった。
もちろん人生が上手くいってそうな人もいたけれど、なかなか苦しい展開に突入している人もいたし、全国ニュースになった事件で獄中にいる人だっている。
やっぱり人生は難しいものだなぁ、
なんて改めて思う。
そして、いま現在の状況を比較してみると、
自分があんなにも羨ましいと思っていた人たちを全然羨ましいと思っていない事に気がついた。
人生は長い。
短期的にはコンプレックスのない‘’自信‘’が結果に影響を与えるかもしれないけれど、コンプレックスによって”かわいそうなまま”で定まってしまうわけではなくて、未来でその傷口から新しい何かが生まれる事もあるのだ。
だから現状を嘆いたって意味がない。
人間は、環境に柔軟に適応する生き方をするんだぁぁぁぁぁぁ。
そう、これが一般的な正論であり正解であろう。わかる。よくわかってる。
ボクだってnoteでそう述べてきた。
でもな。
どうしようもない親バカぶりは困ったものだ。どうやら子どもに対しては違うバイアスがかかるようだ。
子どもがどれだけ大きく育って、ボクの手から離れようとも
劣等感をもつ未来の‘’瞬間‘’を考えると悲しくなってしまう。
いついかなる時も‘’自信‘’をもって生きてほしいと、そう願う。
今まで自分が与えられてきた時には気づかなかったけど、理屈じゃ説明できない感情を子どもにはもって、そして与えてしまう。
そう、それが多分、親なんだろうな。
80万円か。
あと80年生きるとして、1年で1万。
その価値はあるよね、
きっとね。