もうすぐおばあちゃんの一周忌
去年6月1日、俺のおばあちゃんが死んでしまった。
神奈川に住むおばあちゃんがもう危ない。と親から聞いたのは、5/31の深夜だった。
母「おばあちゃんが、明日か、明後日がもうヤマだって。」
病気ではなく、老衰にも関わらず、そんなに直前に連絡がくるものなのか。と思った。
俺は大阪に住んでいて、すぐには行けないから、土曜日である明後日に神奈川に向かう予定だった。
しかし、その8時間後、訃報は来た。
あっさりと来てしまった「その時」に実感はなかったが、早くおばあちゃんに会いたくなった。
しかし、葬式が一週間後に行われるとのことで、その日を待つことにした。
遠く離れてるとはいえ、日に日にその実感は増し、小さい頃の記憶を思い出しては風呂場では泣いていた。
俺は小3までおばあちゃんと会っていた。
それから高1まで会わなくなった時期があった。
なぜか。
おばあちゃんは母親方のおばあちゃんだった。
俺が小3のとき、俺の両親が離婚したのだが、
母親は実家に戻されることを嫌がり、離婚したことを隠したがったからだ。
その年の俺の運動会の日、おばあちゃんは前日から遊びに来てくれた。
昼にご飯を食べようと、俺はおばあちゃんと俺のために、なにか電子レンジに入れていた。
その何かには、アルミホイルがかかっており、電子レンジで温めた時に火花が散る。
おばあちゃんは、俺に甘く、俺がやることに対して「ダメ」って言ったことがなかった。
そして、今回は俺の無邪気な善意があったため、余計に言えなかったのだろう。
母親がパチパチという音を聞きつけて飛んできて俺を怒る。それは正しい怒りだったと思うが、全てが全て俺が悪いと罵る口調ではあった。
俺は泣き、おばあちゃんはかなり心を痛めてしまった。
「おばあちゃんのせいで、KNTちゃんが怒られちゃった…ごめんね。おばあちゃん帰るね…」と泣きながら言い、帰ってしまったのである。
今思えば「思いつめスギィ!!」くらい言えるのだが、俺は帰ってしまったこともショックでギャン泣きしていた。
翌日の運動会ではおばあちゃん見せのために一応父親を手配していた、母親。母親にとっては煩わしい手配だったのだろう。
母親は即座に、帰ったおばあちゃんがいかに悪者かを俺に刷り込んだ。あの出来事はおばあちゃんにも悪い部分はあったのかもしれないが、孫かわいさじゃないか。
そして母親は自分が実家にいた時に、どんなことをおばあちゃんにされたか、などをどんどん話す。
親子の関係なんだから、そりゃ嫌なこともあるだろうが、俺は俺でショックがあったのでそのままおばあちゃんが悪いんだと思ってしまったのである。
翌年の運動会から、おばあちゃんも父親も来なくなった。
毎年、正月も父親と、母親の実家に帰っていたが、それもなくなって、
俺の「弟がおしゃべりだから。」という理由で、俺ら兄弟はおばあちゃんに会うことはなくなっていった。
高1になったころ、何がきっかけだか分からないが、親戚で集まることになった。
俺は金髪ピアスになっていた。
母親曰く、マジメを好んだおばあちゃんとおじいちゃん。母親は厳しく躾られていたので、俺の出で立ちは受け入れて貰えないんじゃないかと踏んでいた。
しかし、おばあちゃんは「KNTちゃんの、そういうの、おばあちゃんはいいと思う。」と言った。
俺は母親からの話の印象の方が、もう強くなっていたから、驚いたし、嬉しかったから「ほんとに?ありがとう」と返す。
いまでもこんなに覚えてるくらいだ。
なぜ親のいいなりにならず、自分の意思で考えておばあちゃんに会いに来なかったのか。
どう悔やんでもおばあちゃんは帰ってこない。
そして葬式になってしまった。
葬式でみたおばあちゃんは寝てるみたいだったし、花に囲まれたおばあちゃんはかわいかったな。とても死んでるとは思えなかった。「KNTちゃん?きたの?」と起きそうな気配さえ感じられた。
葬式のとき、俺は泣かなかった。
会わなかった期間が俺にその場で泣く選択をさせなかった。
それでもなんども涙がでそうになった。
最後におばあちゃんに会ったのは、死んでしまう1年半前だった。
その時も「危ないかも」と言われていたから、翌日の土曜日には神奈川の病院に俺は駆けつけた。
おばあちゃんはかなり痩せていた。
いつもパーマの黒髪のおばあちゃんだったが、ストレートの白髪の頭になっていた。
パーマの黒髪は地毛だと思っていたが、
(おばあちゃんて、ずーっとキレイにしてたのか。)と初めて気がついた。
最後に、おみやげでカエルの置き物を渡した。
ベタだけど「無事に帰る」という意味を込めていた。
背中にその文字を書き、「KNTちゃんより。」と付け加えた。
おばあちゃんは、死ぬ時までそのカエルをずっと握っていたと、告別式の時におじいちゃんから聞いた。
カエルは葬式の時もおばあちゃんのそばに置かれ、納骨のツボにもおばあちゃんのメガネと一緒に入れてくれた。
それから1年が経つが、まだ思い出すと嗚咽が出るほど泣いてしまう。
1年では、人の死が乗り越えられないということを知る。
人は自分が死ぬ時に「やらなかった後悔」をするというが、
大事な人が死んだ時も、同じように「やらなかった後悔」をする。
生きてるうちにしか出来ないことはした方がいい。
どんなに思い出を語っても、今居ない現実が悲しすぎてしょうがない。
なにが書きたかったかと言われれば、ただ、おばあちゃんのことが書きたかっただけだ。
最後まで読んでくれた人がいるなら、本当にありがとう。
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