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昔はできなかったこと~間違うこと
今回は、以前はできなかったけれど、今できるようになったことについて書いてみたいと思います。
意外なところで繋がっていて、面白いと思いました。
人の話を鵜呑みにする
私は、すぐ人の話を鵜呑みにしてきました。
つまり、自分の頭では考えず、自分が「この人!」と思った人の言葉は120%正しい!と全て受け入れてきたのです。
師匠ジプシー
「この人こそ、今度こそ、究極の師匠を見つけた!」
と思っては、ふとしたことで不完全さを見て落胆し、その人から離れる、なんてことをしてきました。
心の成長に関する師匠だけでなく、会社員時代に一方的に「メンター」と思っていた人も、です。
0か100か
そのころの私は、何事においても0か100か。
中間のグラデーションが全くありませんでした。
誰だって完璧ではないし、常に変化していっている存在です。
その変化の途中を受け入れていなかったのです。
理系思考
科学の分野では、
「何かの理論を正しいとするには、最低3つの証拠(再現性)が必要」
「何かの理論は、一つでも合わないことがあれば、正しくない。(反証)」
と言われます。
これと同じようなことを、人に対してもやっていたのです。
一つでも矛盾や、おかしな言動があると、すぐ「✖ばってん」をつけてしまっていました。
人を縛ると、自分も縛られる
人に完璧を求めていると、結局自分にも完璧を求めてしまっていました。
◆ 完璧でない自分は 何も発信してはいけない
◆ 完璧でなければ 人は話を聞いてくれない
◆ 間違ったことを 言ってはいけない
そんな風に思っていたので、新卒で入った研究所では自信がなくて、ついぞ学会発表することはありませんでした。
今、オンライン語学講師をしているわけですが、
やっぱり「間違ったことを伝えてしまっていないか」という恐れを抱いてきました。
人を解放すると、自分も解放される
このところ、ダメなところも含めて自分にマルをつけはじめたら
◆ 人は変わっていく。言うことも変わっていっていい。
◆ 人は間違う。 間違ってもいい。
という考えに変わりました。
そうなると、自分が 師 と仰ぐ人の言葉も120%鵜呑みにせず
自分の頭で考えて「ん?それってどうなのかな?」と思ってもいいのだ
と思えるようになりました。
そして、「ん?それについてはどうなの?」が見つかっても、引き続き「師」と仰いでもいいし、仰ぐのをやめてもいいし
それも、「完璧な師匠に盲目的について行かねばならない!」という思い込みからの解放でした。
そして、このことから、
自分自身も、まだ成長途中だし間違ったことを言ってしまうことがあるかもしれないけれど、今の自分のまま発信していっていいんだ
という考えに変わりました。
完璧になってから、全てを習得してから
なんていっていては、人生が終わってしまいます!
私に関わる全ての人に元気と勇気を!
そしてその人の変化を有形無形で応援していきます!!!
まだ発展の余地がある自分でも、人の訳に立つ発信ができる、そう思っています!
ちか (2024.3.9)