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「知的」「障がい」ってなんだろう?

こんにちは!チャレンジラボです!!

梅雨も明けて夏本番になってまいりましたね。年がら年中夏男のおもさんにとっては、熱い日差しに「今年も会えてよかったぜ、ベイビー!」と夏を擬人化して捉え、夏に恋をするという重症であります。

ちなみに「ひと夏の経験」の時の山口百恵さんに少年ながら興奮したのを今でも覚えています。
誘惑されたい。。。

さー、本日もすーさんコラム行きます!!!


知的障害・・・とは?

生きていれば誰でも人生観が変えられるほど驚いたり、衝撃を受けたりすることがあると思うが、福祉の世界において私が一番驚いたのはKさんとの出会いであった。Kさんはちょうど私より10歳年長で出会った頃48歳だった。Kさんはかなり毛深い方で毎日丁寧にシェーバーを当てていたが、頬から顎に掛けて青髭が残り、今は亡き志村けんさんの「変なおじさん」を二回りほどふっくらとさせたような感じの人だった。Kさんとはあるグループホームで出会ったのだが、笑顔の絶えない人で、時に職員を「君」付けで呼んだり、他のメンバーにちょっかいをだしたりし、その都度おかしくて堪らないといった感じでいつもケラケラと笑っていた。

Kさんの一日は朝6時の起床後に、電気シェーバーを当てることから始まる。7時の朝食の時間に声を掛けると誰よりも素直に部屋から出てくる。そして、時間を掛けて朝食を食べる。その後、9時から9時半までトイレに籠る。尿意や便意があったのかは分からない。ただそれがKさんのルールなのだ。9時半になると、「ピーッ! 試合終了!」とか言いつつ、トイレから出てきてある地域活動支援センターに出掛けて行く。地域活動支援センターの開所時間は3時までだ。だが、Kさんが真っ直ぐグループホームに帰ってくることは皆無である。大体平均午後9時頃に帰ってくる。その6時間の間、何をしているのか。グループホームから地域活動支援センターまでの間には車の往来が多い。治安もいいとは言えない。何がある前に手を打たなければならない。それで取り敢えず職員3人掛かりで尾行をしたことがあった。Kさんはいつもトボトボトボトボと歩く。それで一人大声で「今日は職員の××さんお休みだったね」とか「××スーパー今日はお休みだったね」などと独り言を言う。そんなだからすぐに通行人の耳目を集める。尾行はKさんと一定の距離を取り、三角形に取り囲む形で当時のガラケーを使って行われた。その時までKさんに私たちの姿は目にも映っていない様子だった。だが、ある信号が赤に変わる瞬間、Kさんが急にダッシュで走り出したのだ。慌てて後を追おうとしたが、私たちの前はすでに大勢の行き交う車に阻まれていた。仕方なくグループホームに戻ると、それから数時間後にKさんは何もなかったような顔をして帰ってきた。ただ私の顔を見ると、アハハと笑った。それから手拍子をしながら腰でリズムを取り、「鈴木君、鈴木君」と言って部屋に戻って行った。

その後も何度か複数人で尾行を行ったが、結果は全て徒労に終わった。どういう訳かKさんは人の気配を察知するのに長け、いつもトボトボ歩いているくせに、職員の気配を感じると急にダッシュで逃げ出すのである。それもKさんは裏道や地図にも載っていないようなところをよく知っていて、瞬く間に職員を巻いてしまうのである。結局グループホームの方針として、夕方から夜の散歩はKさんの趣味のようなものなので、それを受け止め、代わりにお守りケータイを持ってもらうことになった。

44歳で知的障害となった?

さて、前置きが長くなったが、このKさんの過去を理解していく中で、私が一番驚いたのは、Kさんが44歳まで知的障害者ではなかったということである。余り知られていないことだが、実は「知的障害者福祉法」の中にも「知的障害者」とはどんな人なのか規定がない。そのため、障害の認定区分や基準は自治体によって異なっている。Kさんは実家がペンキ屋で中学校を卒業した後、44歳まで昼夜逆転し、自宅にひきこもっていた。そのKさんがひきこもりから脱出できた理由は、少し年の離れた妹さんが出産し、ダウン症と診断された。そして、Kさんの一家は初めて市の福祉課を知った。と言うよりも市が妹さんからKさんの話を聞き、介入してきた。44歳になり、Kさんは初めて手帳を貰い、知的障害者として生きて行くことになった。

現在我が国には54.7万人の知的障害者がいると言われている。欧米には色んな説があるのは確かだが、人口比に対して2~3%の知的障害者がいると言われている。日本の割合よりも余程高い。モンゴロイドがコーカソイドに比べて知的障害者の割合が少ないというデータはどこにもない。ただ単純に我が国にはKさんのように自治体とも繋がれず長い間未発見の知的障害者がまだまだ数多く存在しているのではないだろうか。

私はご本人も家族も障害を受容できるのなら受容した方がいいと思っている。障害者になることによって救われることは多々ある。Kさんも障害者にならなければ、あれほど毎日楽しそうに生きていけなかったかも知れない。今でもKさんが職員を「君」付けで読んだり、他のメンバーにちょっかいを出したりし、心の底から楽しそうに笑っていたことを思い出すことがある。

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