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【サポーターズコラム】 お金の話

こんにちは、チャレンジラボです!!!

今日もすーさんコラムの紹介がありますが、先にお知らせを。

「チャレンジラボ」のロゴが新しくなりました。


なんこれ。かっけー!

ここから訪問看護リハビリケアには、療法士業務の傍らでデザイン上手なスタッフが複数名いるので、「こんな感じでうまいことよろしく!」と言えば、天然パーマのはねた前髪を直している間にささっと作ってくれるんです。

「これはメランコリックな感じでデザインしてみました!」
「え?アイソメトリック? なるほど静的な感じね!」
と全く噛み合わないやり取りをいくつか交えて、シンプルながらもパッと見でインパクトのあるスタイリッシュなデザインに仕上げていただきました。

あえて、色を使っていません。ラボに集まるサポーターやスタッフが色をつけてくれるからですね。白い灯台はよくあるけれど黒の灯台があってもいいですよね!
シロウトではなく、クロウトを目指して。

さーて、すーさんコラム行きましょー!

今日はみんな大好きお金の話。

1000円の価値

私が生まれて初めてしたバイトは警備の仕事、交通誘導員として交通整理をする仕事だった。要は街でよく見る工事現場で車を行かせたり止めたりする仕事である。高校生の時は学校からバイトが禁じられていたから(そもそも山奥の全寮制の学校だったのであるバイトなど不可能だった)、初めてバイトをしたのは大学生になってからということになる。横浜のどこにあったのか、もう忘れてしまったが、横浜のある雑居ビルの一室がその警備会社の支店だった。2日間支店長や先輩たちから研修を受けた。警備員としての心構え、例えば事故が起こった時は制服を着ている人間が取り敢えず頼りにされるからそのつもりでいるように、とか会社が用意したヘルメット、鉛入りの靴などを決して忘れないように、忘れた場合は減給の対象になる(1日一回見回りの人が点検に来る)とか、健康維持に気を付けろとか、その一方で体調が悪い時は現場につまり発注先に迷惑を掛けるのでなるべく早く支店に電話をするようにとか叩きこまれた。ほかにも黒塗りのベンツや右翼の街宣車、また警察車両など厄介な存在は絶対に止めるなとかきつく念を押された。

警備の仕事は当時前日に支店から翌日行く現場の住所と目印が伝えられる。そのために研修の期間に大きな地図を買わされる。遅刻は許されない。法律的に警備の人がいないと工事を始められないからだ。日給は9000円だったが、1分でも遅刻すると1000円減給となる。支店長がその1000円の有難みについてよく熱っぽく語っていた。1000円あれば牛丼の大盛に卵を付けて、タバコが買えて(当時マイルドセブンが220円)缶コーヒーが飲めるんだよと。

20歳の若者が1日9000円稼ぐまで

2日間の研修はどちらかと言えば楽しく終わった。当時親から貰っていたお小遣いは月に10,000円ぐらいだったと思う。それに比べて警備のバイトは日給は9000円。1日働けば小遣いに肉薄するぐらい稼げるのだと随分と私は張り切っていた。

始めて出た現場のことは今でも鮮明に覚えている。横浜のある街の道路で水道管工事をするために現場に出た。真夏のことである。実は私は最初、このバイトを相当甘く見ていた。交通誘導なんて誰でもできるし、場合によっては立っているだけの現場もあるらしい。1日立っているだけで9000円とは何て美味しい仕事だろう。だが、現実はもちろん、そんなに甘くはなかった。工事現場の赤いコーンの中を通ると家までの近道だという老夫婦を親切のつもりで足元を見つつ、誘導したりして現場の三白眼で鼻が上を向いた親方に怒鳴られたり、現場に普通に入ってこようとする車を必死に止めようとしたりしていたら、その車が現場監督の乗った車だったり、ほかにも数え切れないぐらいミスをした。
私はその頃、音楽が大好きだった。お金を貯めてはCDを買っていた。働く前は1日現場で働けば9000円、たった1日でCDが3枚買えるとまさに捕らぬ狸の皮算用をしていた。その日1日の仕事を終えるとほっとした。心底嬉しかった。だが、1日怒鳴られながら働いてもうCDを欲しいとは思わなくなっていた。

怒鳴る人見守ってくれていた人

それから更に3日間同じ現場に出た。相変わらず私は小さな失敗を繰り返し、三白眼の親方に怒られてばかりいた。頭から金槌を振り下ろされ、振り下ろされ、自分がどんどん小さくなっていくような気分だった。現場の傍にタバコ屋があった。毎日昼頃になるといつもその店の隠居したと思われるお婆さんが店の前に椅子を出し、現場の方にぼんやりと目を向けながら日光浴(多分)をしていた。親方の怒声と罵声と金槌を頭から振り下ろされ、振り下ろされ、すっかり自信を失い小人のようになっていた私にはこのお婆さんの目も怖かった。時々このお婆さんはじっと私に目を注ぐ。それが見世物にされているように思えたのだ。

お金を稼ぐっているのは本当に大変なんだなと思いつつ、20日間経ったらこの仕事を辞めようと思っていた。なぜ20日間というと、20日間勤めないと研修の時の給与が帳消しになるからだった。

ギラギラとした真夏の太陽の下、また私は何かをやらかし三白眼の親方に怒鳴られた。私は再び身長が150センチも縮んだような気持になっていた。同時にその時、例のタバコ屋のお婆さんが立ち上がって私の方に近寄ってくるのが分かった。私は身震いした。このお婆さんにまで何か言われるのではないかと思った。お婆さんは尚もゆっくりとした足取りで私の方に近付いてくる。そして、私の目の前まで来ると、お婆さんは、

「お兄さん、暑い中いつも大変だね」と言った。

 それから、私の手に冷たい缶コーヒーを握らせると、「お兄さん、これでも飲んで。元気出して頑張って。もう少しじゃない」

 私は茫然とした。お婆さんは面白がって私を見ていた訳ではなかったのだ。心配そうに私を見守ってくれていたのだ。次の瞬間にはもう私に背中を向けていたお婆さんに深々とお辞儀をして「ありがとうございます!」と言っていた。やがてお婆さんはタバコ屋の中へと消えて行った。

仕事をする理由はないに等しいほどでいい

 その3日間で稼いだお金は27000円だった。大学生の私には大金だった。その内、仕事にも慣れてきた。警備の仕事は大体、2人1組でやる。暫くすると、私は仕事の前に相棒にこんな賭けをすることを提案していた。黒塗りベンツを止めたら、50点。あの喧しい右翼の喧街宣車を止めたら100点。もっとうるさい警察車両を止めたら200点と。総計で買った方が1000円を支払うのである。仕事に託けて遊ぶ余裕まで出てきていた。1000円と言うお金は牛丼の大盛に卵を付けて食べられ、タバコを吸えて、缶コーヒーが買える金額なのだ。

 あの頃、私はなぜバイトをしようと思ったのか。社会勉強をしたかった訳ではない。社会のお役に立ちたかったからでもない。もちろん、遣り甲斐や生き甲斐を求めてのことでもない。CDが欲しかったのとただ単純に遊ぶ金が欲しかったのだ。若い頃、働く理由などそれで十分だ。


いかがでしたでしょうか?
働く意味ってなんだろう。仕事ってなんだろう。
こうした疑問ってきっと誰しも多かれ少なかれ考える得ること。
食うためにお金が必要。働けないのであれば、情報網を使って何かしらの助成金を得たりすることも必要になる。
お金のために働くことは決して間違ってないと思うし、ましてや悪いことではない。
それは他人がとやかく言うことではないと思う。
それでも「働く意味とは?」というような疑問が脳裏によぎるようになると、「お金のために」が着地点になることは少ないのかもしれない。
生きていくためには「働くこと」は大切だ。
それは、お金? それともやりがい? 

やりがいを求める前に、まずはお金を稼いでみるということを純粋にしてみても
いいのかもしれない。
支援する側は「やりがい」が好きなタイプが多いのかもしれないが、支援を受ける側は「やりがい」は二の次かもしれない。
やれることが稼ぎにつながり、そしてやりがいにもつながればラッキーだ。
もちろん、そこをラッキーパンチではなく、仕組み化する。
それがチャレンジラボの試みである。

ナイスチャレンジ!!




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