想いを形に。
こんにちは、チャレンジラボです!!!
前回記事で、物件探し難渋の件を紹介しました。
このnoteに「スキ」をしてくれる皆様のおかげで無事に物件も見つかり、現在素敵に改修工事中でございます。
あ、ちなみに私の特技はごますりでございます。
先日のすーさんコラムにはたくさんの「スキ」をありがとうございました。
その旨をすーさんに伝えるべきか、伝えないべきか非常に迷いました。
というのも、「すーさん!いっぱいスキがついたよ!!」と伝えると「ホントですか?3分おきに送りますね!!」となりかねないためです。
そして、興奮により誤字脱字が6倍に増える可能性が示唆されたため、苦渋の決断でしたが、すーさんにはnoteに「スキ」がついたことは伝えずに、個人的に「スキだ」と伝えてしまい、関係が複雑化してしまったことをここに報告いたします。
さて、今日は新連載の一回打ち切り番組「サビ管さんいらっしゃい♪」の前哨戦をお届けします。
想いを形にしていく
想いというのは人それぞれに持っていますが、それを実現可能にする。私の例でいうと就労支援するとなると、かなり複雑な要素が絡み合います。
本人の意欲、現在の能力や生活環境。体力。受け入れ先の理解度。お給料。
支援する側の一存だけでは決めかねることがあまりに多い。
となると、「就労支援する!」と一口に言っても、「何をどうやって?」は簡単には見出せない。どこから手をつけたらいいか分からないという事態になりかねないわけですね。でも、反対に言えば「どうすればいいか分かっていることなら改まってやる必要なくない?」とも思うわけです。
何か新しいことをやるか。あるいは過去のパターンとは異なるやり方を見つけるか。
僕は自他共に認める凡才ですから「新しいこと」を作り出せるとは全く思ってないです。だから、素直にパクる。
学ぶ(まなぶ)の語源は真似ぶ(まねぶ)だそうですね。
だいたい凡才が思いつくようなことはすでに先人が考えていたり、実行したりしているわけです。
哲学書に目を通したことありますか?
愛とか魂がどうだか、時間の存在とか、そもそもの存在とは何かとか。
僕なんかよりも相当賢くて、相当暇だったんじゃないかと思えるような偉人たちが様々な思索を言葉として残してくれています。
自分のぶち当たっている悩みなんていうのは、すでに考え抜かれた問題だったりもするわけですよね。
「あー、なんだそんなもんか」と楽観的に受け取って、「そしたらこう考えたらどうだろうか」と思いつくもんですから、人の話を聞くというのはアイデアの宝庫なんです。なんせ「自分以外」ですから。
アドバイスは解釈するな
頂いたアドバイスを自分なりに解釈する人もいますが、僕は基本的にそれをしません。
なぜなら、相手のアドバイスが高級なものだとして、それを自分なりに解釈すれば、今の自分の理解できるレベルに下げて解釈することになるからですね。分からなくていいんです。特にやってもないことを分かる必要はないんです。「そんなもんか」と頭の片隅に残しておけば良い。
然るべき時に「あ、あの時言われたのはこのことだったんだ」と分かる時が来ますから。
アドバイスはアドバイスのままに取っておく。
その言葉を、その言葉の通りに受け取るのは本当に難しい。
どこまでいっても同じにはならない。
そこにもどかしさもあるし、伝えたいことが伝わらない悔しさや歯がゆさもある。時には相手の理解のなさに嘆くこともある。
でも、そこで諦めて「あの人は〇〇だから」とレッテルを貼った瞬間にその人は「〇〇」に変わるんです。一度貼られたレッテルはなかなか剥がせない。そうだと決めつけとく方が楽ですもんね。
諦めずに伝え方を変え、手を変え、品を変えやるかどうか。
これですよね。
承認欲求を自ら満たそう
人は承認欲求にまぁまぁ振り回されます。
認められたいですよね。
この欲求自体は否定しませんし、自分の子どもなんかと接していても褒められるとテンション爆上がりするところを見ていると、誰に教わらずとも褒められれば嬉しいし、無視されれば悲しいもんだなと思います。
ただこの承認欲求の満たし方って意外と教わらない。
簡単に言えば、認めてくれる人に出会うか。認めさせるかですね。
僕は幸いにして認めてくれる人にめちゃめちゃ助けられてきました。だから、不屈の精神でゼッテー認めさせてやるぜ!みたいなテンションで生きてきてはないです。でも、折角期待してもらえるならなんとか応えたいという素直かつ爽やかさ満点の生き方を選択してきました。
仕事のキャリアで言えば療法士として過ごした時間が長いですから、患者さんや利用者さんからの相談だけでなく、同業者からも相談を頂いたり、療法士としての経験に期待を持たれることは多くありました。ありがたいことです。これから始める就労支援に関しては、ほとんどキャリアはありませんから、期待のされようがないです。笑
「人として」と言葉をいただくこともありますが、冷徹なようですがあまりに当てにならない言葉だと思っております。とても嬉しい言葉ですが、それと同時にこわい言葉とも。がっかりさせたくないですもんね。
その「がっかりさせたくない」に気持ちがシフトすると、結局何をしているか分からなくなったりするので、あくまで自分がやるべきこと、やれることに常にフォーカスするために、耳触りの良い言葉に甘えないことも大切です。
僕はそう考えてはいますが、人は期待されたい面もきっと持ってますよね。
それはいわゆる正常なもんだと思います。
であれば、僕自身は他者に期待したい。誰にも期待されないっていうのは関係に生きる人間としては辛いこと。なくても辛いし、過剰になっても辛い。
期待は度が過ぎれば押し付けになる。その「度が過ぎれば」のギリギリを見極めて、綱渡りをするかしないかが僕のチャレンジになるのだろうと思っている。
それは僕だけではできない。場所があり、仲間がいなければ。
次回は仲間の紹介をしたいと思う。
僕はあくまで縁の下の太鼓持ちに徹しよう。
それでは、また次回お会いしましょう!
ナイスチャレンジ!!!