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サポーターズコラム 第一弾

こんにちは、チャレンジラボです!

今日はチャレンジラボの愉快というか、ちょっと癖のあるというか、想いが強すぎるというか、とにかく一言言いたい!というサポーターのコラムを紹介したいと思います。

ちなみに管理者のおもさんはひどいクセ毛で、梅雨が嫌いだそうです。
次のテストに出るので要チェックですよ。

なんのテストかって? そういうことは聞かないのが大人のマナーでございます。

サポーターズコラム企画開始!

さて、本日はサポーターズコラムの第一弾。

支援員経験の長いすーさんが担当いたします。

すーさんは卓越した文章能力が持ち味で、出版経験もあります。


アマゾンで販売中。買ってくれたら喜びます。

福祉業界のキャリアの長いすーさんに「なるべく分かりやすく、平たい文書で一言申してくださいよ!」と頼んだら、作家魂に火がついたのか、全然平たくない文章でコラムを送りつけてきましたので、原文のまま紹介したいと思います。

ビーフジャーキーのように噛みごたえのあるすーさんの文章。
ぜひ味わってくださいませ。

全ての依存症は否認の病だと言ってもよい。

例えば一日中酒浸りの人がいたとする。彼にアルコール依存症の可能性を説いてみても、決めって答えはこう返ってくる。「大丈夫、大丈夫。いつでも止められる自信があるから。大体、俺がアルコール依存症になんかなるかい」と。

これに関しては薬物以前の人たちも同様である。彼らも決まって「いつでも辞められる自信があるから」と言いつつ、今日よりも明日、明日よりも明後日、ますます薬物のスパイラルに飲み込まれていく。

個人的に知る、ある無職の女性はやはり「いつでも止められる」と言いつつ、万引きをしてまで飲酒を続け、最後には自ら命を落としてしまった。彼女の場合、母親と(母子家庭)最後まで敵対関係にあった。冒頭に記したがすべての依存症は否認の病である。最初から本人にアプローチをし、説得なり、何なりすることは難しいし殆ど意味がない。それよりもご家族の教育、また協力を求めることが先行である。対立関係にあればあるほど、当事者の否認は一層強固なものとなる。ご家族の在り方として当初は否認をも含めて受容していく姿勢が肝要である。対立関係になければ、受容と言う姿勢で接すれば本人も「なぜこんなことしているのだろう」とかの疑問が自然と自分の中に湧いてくる。また自ずと自分の心の中に目は行く。これを「関心期」というのだが、「止めるためにはどうすればいか、自力でできないだろうか、それとも支援を受けるべきか……」などと自分を見詰め直す時期がくる。

これは人伝いに聞いた話だが、ある一流企業につとめる40代の男性の話である。彼は義理の父母と家族と一緒に暮らし、会社にはちゃんと行っていたらしいが(と言っても毎日二日酔い。上司がよく家族に相談と苦言を口にしていたらしい)家に帰ると、家族と食卓を囲むこともなく自分の部屋に籠りきりで黙々と酒だけ飲んでいたらしい。

ある日、また上司からの苦言を受けて、今度は義理の父母が「一体、君はこれからどうするつもりなんだ」と説教をした。「いつでも止められますからご安心下さい」と彼は答えた。実際、それから三日間彼は酒を飲まなかった。しかし、四日目の朝彼は首を吊って自ら命を落としてしまった。

依存症からの脱却に当たって何が必要だろう。逆の例もある。彼は元SE.。強迫性障害と鬱により、退職。以来実家暮らしを始めた。しかし、実家に帰ってからも現実の辛さは晴れず、父親のコレクションだった舶来の酒を次から次へと起きている間中飲み始めた。本当に寝ている時間の他は文字通り酒浸りであった。ただ彼にとって幸いだったのはその頃から両親がひきこもりの親の学習会に両親揃って出席していたことだった。両親はそこでひきこもりを始め困難の中にある子供への対処法を学んでいた。だから、お子さんがそういう状態にあっても対立したりすることがなかった。お子さんからすれば安心してひきこもれ!」逆説的のようだが安心してお酒を飲めた。それから何ヶ月か経ってお子さんの方から両親に「今のままじゃいけないと思っている。助けて欲しい」との訴えがあった。それから、彼は二ヶ月間入院した。もちろん、本人の意思でである。退院した彼は顔色がだいぶ良くなり、少し瘦せていた。それからひきこもりの居場所に通い出したりし、活発に動いている、

依存症の脱却に当たって何が必要だろうかと私はもう一度問う。依存症の人たちは色んな段階を踏んで回復していくが多くの時間「混迷期」の状態にある、自信のない状態にある、否認を繰り返すのも自分を守るためではないだろうか。そんな状態にある彼や彼女の人生を、彼らだけに背負わせるのは難しい。家族の力が必要である。

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