自分が未来に残せるもの
すっかりnoteを書くのをサボっていました。
今年はアウトプットする、発信をすることを年初の目標に掲げましたが、なかなか実行せずにいました。
サボり癖ってやつです。
もう一度、こころ改めて。毎日、少しでもいいので何かをアウトプットすることを日課にします。
今日は3月3日です。世間の多くは、この日はひな祭りですね。
でも、私が身を置いている業界では、「3」が耳の形に似ているからとか、電話を発明したグラハム・ベルの生誕日であるとか、”奇跡の人”ヘレン・ケラーとアン・サリバンが出会った日であるとか、いろいろと由来はあるようですが、、、つまり、この日は「耳の日」ということになっています。
自分にとって"それなり"の記念日なので、というキッカケを無理やり作って、noteの再開をしてみます。
とあるブログを読んで
今日、とあるブログに、”自分が死んだ後に何が残せるだろう?”について書かれていました。
私も今年で50歳。アラフィフというより、正真正銘のフィフティーです。
まだ先のこととはいえ、人間はいつかは死んでしまいますから、”自分が死んだ後・・・”を考えておくのは必要だと思いました。
自分には、ずば抜けた芸術的才能や文才があるわけではないので、作品を残すことは現実的ではない。
何かを発明して、多くの人の生活を豊かにできるほどの知力もない。
多くの財を築くほどのビジネスセンスや野心も、おそらくない。
そんな自分なので自分より若く、未来を歩んでいく人たちに役に立つような『資産』を残せるとは到底思えない。
であるのなら、『資産』は残せない(かもしれない)けど、『負債』は残さないようにしようと考えた。
『負債』になりうるもの
はじめはチリのような問題だったので目立たなかったけど、だんだん堆積してきて少しずつ目立つようになってきたものは多くあります。
ゴミの問題であったり老後の生活コストの問題であったり医療費増大の問題であったり。
ひとりひとりにできることは、たかが知れているかもしれない。だけど何も考えずに生活しているより、いま顕在化している問題だけでも意識して生活していくことで、未来に与える影響は変わってくるのではないか。
いま特に意識しようと考えているのは、医療費増大の問題。
日本はどの国よりも先に超高齢化社会をむえる国であることは間違いない。高齢者が増えれば医療費も増えます。その医療費を賄っていく労働力人口は確実に減っていきます。しかも、外国為替における円の価値が下がっていくことが予想されていて、ますます経済が厳しくなっていきます。このままでは、借金が増える一方。それを返していくのは、後の世代になればなるほどきつくなるのは目に見えてます。
もしかしたら、頭のいい人なんかは日本に見切りをつけて海外に生活拠点を移してしまう方も増えてくるかも。
そうなれば、さらに厳しくなります。
そんな未来にならないよう「高齢者が増えれば医療費も増える」の図式を壊す。
要は健康寿命の延伸に何ができるのかを模索していこうと考えた日でした。
また、何か思いついたら追記します。
とりあえず今日のところは、健康寿命延伸に貢献しようと思いついたまで。