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「黄色い線の内側にお下がりください」は思考停止なのか

私は、日常で「これって何で出来たんだろう。」と考えることがとても多くあります。
大抵のことは深く考える前に、「そんなことより仕事の事考えるか」とシャットダウンしてしまうのですが、最近駅のホームにある「黄色い線」だけは「なんでできたんだろ」と何回も思うようになりました。これは一度考えないといけないと思い、黄色い線について考えてみました。

黄色い線がなかったら

各々で安全なラインまで下がるのかもしれない。安全なラインが分からないから、みんな必要以上にホームから離れるかもしれません。

でもそこで各々が判断したラインまで下がり、結果として電車に巻き込まれた場合、これは鉄道側の責任になります。これでは鉄道側もたまったものではないので、「〇メートル離れてください」という基準を設けるかもしれない。

でも、この基準もその場で常に利用者側が正確に測れるわけではない。そこで鉄道は、明確な基準を用意しました。それが「線」。基準があれば、みんな安全な位置までアナウンス一つで簡単に下がれるし、とても分かりやすくなります。

「黄色い線」は思考停止か

でもこれは利用者が、リスクに対して思考停止になる一つの要素とも言えます。基準ができるまでは、各々でリスクまでの距離を考え、自分で正解を出してその位置まで下がっていた。基準ができたことによって、誰かが作ってくれたその枠組みの上で安全にサービスを利用できるようになりました。

どんなサービスでも、基準やノウハウが一般化された後はギリギリのリスクをとることができません。または、その方法を考えることができなくなる。

自分なりの基準を作らない癖

自分が圧倒的に功績を残したい、ここの分野でやっていきたい、と思った時には「黄色い線」がまだ無い場所を探さないといけないのかもしれない。または、もう「黄色い線」があるけど、その基準を疑って自分なりの「黄色い線」を引くことが必要なのかもしれない。

私は幼い頃から病気がちだったので、親によって常に「黄色い線」を用意してもらっていました。「この線までいかなければ安全だから」「みんなここまで下がっているから」それが癖だったので、線を疑うことはほとんどありませんでした。

基準を用意される気持ち良さ

安全に用意されたサービスを使うのは、快適で気持ちいい事は分かっています。でも、それが癖になると「自分はこの分野なら誰よりもこだわっている」という自分なりの基準がもてない、「自分が何をしたいのかわからない」という状況に陥ってしまう。

基準と発信

世の中のほとんどの事には、既に基準が存在します。それでも、自分が好きな分野くらい、「黄色い線」を無視して自分なりに思うところまで突き詰めていって良いと思います。そしてそれをちゃんと発信する勇気を持つこと。

自分なりの基準は発信しないと、影響力をもちません。自分の主張を持つには、まずはそこからだと思います。


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