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嫌われたり、迷惑をかける日があってもいい。

嫌われるのって嫌ですよね。
私も、嫌です。

あとは、「迷惑な人」と思われるのも、嫌です。

でも、どんなに優秀な人であったとしても、嫌われたり、迷惑をかけたりするときは、必ずあります。

例えば「赤ちゃん」の頃。

この時期は、誰もが「迷惑をかける存在」です。

赤ちゃんは、栄養の摂取も、着替えも、入浴も、全て一人ではできません。

当然、お金を稼ぐことも、赤ちゃんには、できません。

そして、私たちは、一人の例外もなく、最初は「赤ちゃん」だったのです。 


しかし、現在は、どうでしょうか?

いま、この文章を読んでくださっているということは、「字が読めている」ということであり、さらに「スマホやパソコンの操作もできている」ということでもあります。 

赤ちゃんには、こんなに難しいことはできません。

つまり、赤ちゃんの頃に比べて、私たちは、はるかに成長し、たくさんのことができるようになっています。
これは、本当に、すごいことです。

とはいえ、「赤ちゃんより優秀」であったとしても、嫌われたり、迷惑をかけたりするとことは、大人になってからでも、数えきれないほど、あります。


そこで、この記事では
「嫌われたり、迷惑をかけたりしたくない、、、」
と思いつつも
「嫌われたり、迷惑をかけたりする日があってもいい」と、私が考えるようになった経緯を
お伝えしていきます。

こんな記事を投稿すること自体が、誰かに嫌われたり、迷惑をかけたりすることに繋がるような気がして仕方がありませんが、、、

この記事を読んでくださっている心の優しいどなたかのお気持ちが、「ほんの少しでも、軽くなったらいいな」という想いを込めて書きました。

最後まで、読んで頂ますと、とても嬉しいです(⁠◍⁠•⁠ᴗ⁠•⁠◍⁠)


「嫌われたり、迷惑をかける日があってもいい」と考えるようになった出来事

私は重度の精神疾患を抱える友人と、半年間暮らしたことがあります。
そのときに一緒に住んでいた友人は「迷惑ばかりかけてすみません」と、頻繁に口にしていました。
過去に、うつ状態になった経験がある私は、そんな台詞を聞く度に、彼女の気持ちが、痛いほどわかるような気持ちがしていました。
私にも、迷惑ばかりかけている自分は、生きている価値などないと、自分を責めてばかりいた時期があったからです。

でも、私は、その友人に何度も謝られるうちに「迷惑はかけるものなの!」と怒り返してしまったことが何度かあります。

いまふりかえると、もっと優しい言い方があったのではないかと、自分の未熟さを感じてしまいます。あの頃のことは、本当に、心から反省しています。

でも、一緒に暮らすほど大好きな友人に、怒りをぶつけてしまうくらい「迷惑をかけることは、どんな人にもあること」と思わずにはいられない理由が、当時の私にはあったのです。


迷惑をかけてばかりいたあの頃のこと

実は、その頃の私は、専門学校を卒業して、新卒で働き始めたばかりの頃だったのです。

そして、当時の私は、会社で迷惑ばかりかけていました。

その会社は、軍隊みたいに厳しい会社で、業務のほとんどは、先輩の背中をみて覚えるスタイルでした。そして、あるとき、「そろそろ、やってみる」と先輩から言われ、初めての業務に挑戦すると「それは違う」「あれはダメ」「これは直して」と、あとから厳しく指導されることが、その会社では毎日のようにありました。

ミスを犯したあとから注意事項を指導される度に「最初から言ってくれれば、私だって気をつけたのに」と、私は、理不尽なやり方に、内心、悔しさを覚えることが、何度もありました。
しかし、そんなスパルタな指導だったからこそ、短期間で覚えることができたことや成長できたことが、たくさんあったのも事実です。


「迷惑」が「成長」に繋がることもある

あの会社の新人指導の仕方を真似するのはおすすめできませんが、業務を間違えて「迷惑」をかけたからこそ、成長をすることができた自負が、私にはあります。
また、先輩から理不尽な指導を受けて「このやり方はよくない」と学ぶことができたからこそ、自分がなにかを教える立場になったときには「あのやり方はやめよう」と考えることができるようにもなりました。

パワハラ的な指導の仕方も、新入社員にとっては「迷惑」のひとつといっていいかもしれません。
しかし、この「迷惑」な行為である「パワハラ的な指導」が、あちこちで繰り返されたからこそ、「パワハラをしてはいけない」という風潮やそれを取り締まる法律ができていったのです。 


このように考えると、実は「迷惑」は、「社会の成長」にとって、必要不可欠な要素でもあることに気づかされます。

また、「個人の成長」にとっても、迷惑をかけられたり、かけられたりする経験は、重要な経験であることは間違いありません。


迷惑をかけたら、嫌われます

とはいえ、迷惑ばかりかけていたら、嫌われてしまうこともあります。

迷惑をかけてばかりの人と「いつまでも仲良くしたい」と考える人は、多くはないからです。

そのため、嫌われないためには、「迷惑をかけないことが大事」だと、、、
思ってしまいがちです。

でも、私は、、、
その考えは、ちょっと変だと、感じています。


例えば、迷惑をかけてばかりの「赤ちゃん」について、考えてみてください。

もちろん、赤ちゃんが苦手な方もいらっしゃいますが、赤ちゃんは「迷惑をかける天才」であるにも関わらず、周りから愛される人気者である場合が、かなりあります。

少なくとも、私自身は、私のことを困らせてばかりいた「赤ちゃんの頃の息子」のことは「宇宙一かわいい生き物なのではないか」と思ってしまうくらい溺愛していました。

「すごく迷惑ばかりかけるのに、愛される」
そんな不可思議な現象は、実は、身近に、存在しています。

そう考えると、「迷惑をかけること」と「嫌われること」は、あまり関係がないような気がしてきます。

例えば、長い付き合いがある関係性の人は、長い付き合いだからこそ、「私に迷惑を多くかけられている人」でもあるはずです。

それなのに、私との関係を続けているのは、私のかける「迷惑行為」が、相手にとって「それほど負担になっていないことの証拠」なのではないでしょうか。

誰かにとっては「許せないこと」でも、違う誰かにとっては「普通のこと」や「共感すること」ことであることは、よくあることです。

なにが許せて、なにが許せないのかは、人によって、異なります。

ちなみに、私は、ちょっとしたルールや約束を守れなかったり、空気が読めない行動をしてしまったりする人は許せるタイプですが、迷惑をかけた人を過度に非難したり、悪口を言ったりする行為をする人は、かなり許せないと感じてしまう傾向があります。

このように、人によって、許せる行為の範囲は、かなり差異があるものです。 


とはいえ、、、
例えば、私が一緒に住んでいた友人のように、働くことができず、収入がない状態だと、「迷惑をかけてばかり」、「誰の役にも立てていない」と悩んでしまいやすくなるのは、とてもわかります。

でも、本当に、そうでしょうか?

実際、自分で排泄の処理もできない赤ちゃんに比べたら、全然、迷惑をかけていません。

また、私の価値観からすれは、収入が高いことを鼻にかけて、他者を傷つけるようは発言や行動を繰り返すような人よりは、収入が少なくても、批判や悪口を言わず、誰のことも傷つけずに過ごしている人のほうが「迷惑をかけていない」ように感じます。

「役に立てていない」ことと、「迷惑をかける」ことも、イコールでは繋がりません。


✨️迷惑をかけても、関係が続くことが、最高の関係性です✨️

私は「役に立つ、立たない」なんかで揺らがない、そんな関係性こそが、最も強い絆で結ばれた「幸せな関係性」であると考えています。   

「嫌われたり、迷惑をかけたりする日があってもいい」と、私が主張するのは、このような価値感を持っているからです。

あなたのことが本当に好きな人は、簡単にはあなたのことを嫌いになりませんし、迷惑をかけたって、それをきっかけに成長して、もっと愛されるあなたになっていくことだってできます。  

未来は、そんなに急に、暗くはなりません。


【最後に】

どんな人間も、完璧ではありません。
迷惑をかけたり、嫌われたりすることは、必ずあります。

そして、だからこそ、迷惑をかけたり、嫌われたりしたからといって、「この世の全てが終わる」なんてことは、起こらないのです。

迷惑をかけたり、嫌われたりすることが、嫌なのは、痛いほどわかります。
でも、そんなに心配しすぎなくても、大丈夫です。

誰かに迷惑をかけても、嫌われても、
違う誰かが、優しさをくれることもあるからです。  

嫌われたり、迷惑をかける日があっても、あなたの価値は変わりません。


「嫌いな人」の目を気にして
「無理して生きる人」より 

「迷惑」をかけながらも
「自分らしく生きている人」が
  私は大好きです✨️


ここまで読んでくださり、ありがとうございます(⁠◍⁠•⁠ᴗ⁠•⁠◍⁠)

私の「個人的な価値感」に、全く共感できない方もいらっしゃるとは思いますが、、、

「こんな考えの人もいる」と知って、、、
ほんの少しでも「心が軽くなったな」という方がいたら、本当に嬉しいです🍀



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