Chinatsu Design

webデザインを勉強中の30代独身・医療従事者です。体力的にも医療現場でこの先ずっと働いていけないと確信。以前から好きで描いていたイラストやデザインを本格的に志事にするべく日々奮闘中!人見知りでコミュ障ですが、新しい世界での挑戦を私なりに頑張ります。マイペースに継続は力なり!

Chinatsu Design

webデザインを勉強中の30代独身・医療従事者です。体力的にも医療現場でこの先ずっと働いていけないと確信。以前から好きで描いていたイラストやデザインを本格的に志事にするべく日々奮闘中!人見知りでコミュ障ですが、新しい世界での挑戦を私なりに頑張ります。マイペースに継続は力なり!

最近の記事

WEBデザイン始動!!

おはようございます! こんにちは! こんばんは! みなさんお元気でしょうか? 私は久しぶりのブログ投稿です! 前回は父のICUのところで終わってしまい・・・ 記録として残していたのでこれからは消すかもしれません。 記事をまとめておくことはできるのでしょうか? noteをあまり使わないのでわからないw ・・・ 話は変わって w 本格的にWEBデザインの仕事を進めていきます ちょこちょこしていましたが、複業から 本業にしていきます!!!!! 父が倒れた時に始めたば

    • 父 (ICU:19日目)

      とうとうこの日がきてしまった。 昨夜は眠たくても眠れず、母はとてもじゃないが精神的に崩れている。 昨日説明を受けている時から母は下を向き 話が全然入ってこないような感じだった。 それはそうと 先生は話し方はとてもストレートで 内容はわかりやすかったものの、父の命が助かる可能性はリスクがあると そんな感じであった。 母はもう父は亡くなると思っていたからだ。 だが今朝、うまくいけばまだ助かるよ”と私が伝えると 少し元気になってくれた。 だが、手術に行く前に父と面会する時間

      • 父 (ICU:18日目)

        今朝に病院から電話… 嫌な予感が的中。 今朝から父の容態が急変。 血圧が低下したとのことで急遽心臓を補助する装置を留置するとのことで すぐ病院にきてほしいと。 急いで準備して病院へ。 母困惑、私も不安がものすごい勢いで襲いかかる。 病院に到着。 処置が12時過ぎに終わり、 先生から説明を受けた。 父は今朝血圧が低下し、危ない状態になったと。 緊急の処置として、一旦外していた心臓の血圧を維持するための装置を 再度留置しているとのこと。それでなんとか血圧管理できたと。 不

        • 父 (ICU:16・17日目)

          父はかなり意識がでてきたのか 両目を開けて、首を振り、足を伸ばしたりしていた。 だが、心臓は弱いままなのに こんなに体動していいのか… とても不安になったが、母を認識してこちらをしっかり見ているのをみると よくなってきているのか。と期待してしまう。 病院から帰り、私は職場にいき、介護休業の手続きをした。 色々準備することが多く大変。 夜、母と相続に関しての話をした。 父の家族は複雑で、特に兄(私から叔父)はとても話通じない人。 自分勝手で土地とお金がほしいとしか思ってい

          父 (ICU:入院15日目:エクモ離脱3日目)

          お昼の面会時間に会いにいく。 病室に入ると 父は看護師さんに起こされており、 両目を開いていた。 昨日よりも覚醒状態がいい印象だ。 だが意識はあっても、こちらを認識している印象はない。 それでも昨日より浮腫がよくなってきているのを見るだけで 少しずつでも回復していくれているんだと実感。 いきなり意識や脳が起きることはなく 一度脳の血流が途絶えると意識障害は起こる。 その影響は必ずと言っていいほど現れる。 それでも、少しでも私たちのことを 認識してほしいという願いが強

          父 (ICU:入院15日目:エクモ離脱3日目)

          父 (ICU:13日目:エクモ離脱3日目)

          今日は、夕方6時ごろに父に会いにいく。 昨日より目が開いている。 覚醒しており、 声かけに反応してくれた! でも、低酸素脳症の影響がある感じ。 反射や刺激に対する追視なのか まだ意識が朦朧としているのか 父、目を開けてくれただけで嬉しいよ!! もう以前のように話したり 笑い合ったりすることがないとしても 生きていてくれるだけで… でも、ここまでくると 元に戻ってほしいという 願い、希望が強くなる。 特に母はそう思っている様子だが、 私だって、以前の状態に戻ってもら

          父 (ICU:13日目:エクモ離脱3日目)

          父 (ICU:12日目:エクモ離脱2日目)

          エクモ離脱して2日目 今朝から準備して父に会いに行った。 顔色が昨日よりよく 血圧も維持している。 ただ夜間帯に不整脈は少し出るようで、 今後ペースメーカーをつけるのは確定だろう。 (現時点でペースメーカー2つついている) ただ、昨日と違ったのは 左目が開いていたんです!!!! 目がむくんでいたこともあり、開けたままであったが 麻酔も少しずつ減らして、 ずっと深い眠りについていた脳を起こすために 調整しているという。 そばで私が  ”おとうさん! おとうさん!” ってい

          父 (ICU:12日目:エクモ離脱2日目)

          父 (ICU:11日目)

          昨日(10日目)に エクモを離脱する話をして、 夜間帯に強心薬を調整しながら不整脈が出ないかを見るという。 そして 今朝に病院から電話がきた。 いい知らせなのか、悪い知らせなのか どっちにしろエクモは離脱しなくではならなかったので すぐに準備して病院へ向かいました。 当直の先生から、エクモはこれから外していくという話を聞き、 約1時間から2時間程度に手術になると言われ、待機していました。 待機中、感染したり、急変したりして 看護師が私たちを呼びに来るんじゃないかと 不

          父 (ICU:11日目)

          父 (ICU:9、10日目)

          そろそろタイトルがバラバラになっているが あまり気にしないでほしいw ブログ初心者、父の記録を残す意味で書いているわけで 特に読者向けではないので、ご理解ください。 9日目は特に連絡はなく、そのまま過ごした。 10日目の夕方に病院から連絡。 今までの経過、現状、これからのことを話したとのこと。 エクモももう10日目になり、離脱をしていかなければならないと 明日6時ごろに病院に来院してほしいと 電話の声からして、 もう父は長くはない。 もうエクモ離脱するという意味では

          父 (ICU:9、10日目)

          父 (ICU:7、8日目)

          父の心臓の機能はやや良くなったが 不整脈が増えているという報告を受ける とても不安になる。 急性心筋梗塞の再発は不整脈だ 不整脈を防がなければ 再発するリスクがあり、危険な状態になる。 そのため、ペースメーカーを入れる話をされる。 まず入れてみて経過を見ますと。 台風の折り返しでまた待機。 不安がすごい中で家でじっとしていることが苦痛。 かといって、何かできるわけでもなく 落ち着かない状態。 テレビを見てもなにも面白くない 普段だったら笑っている部分もため息がでる

          父 (ICU:7、8日目)

          父 (ICU:5、6日目)

          父の追加での心臓カテーテル治療が行われた。 無事に済んだようだ。 経過を見ていくとのこと。 翌日先生からの電話で 心機能は少し良くなっていますと。 この数日で気持ちが一喜一憂し とてもメンタル面で疲弊 また崖から突き落とされるかもしれない また悪い方向の説明をされるのではないかと。 続き

          父 (ICU:5、6日目)

          父 (ICU:入院3、4日目)

          父がICUに入院して3日目。 お昼に父に会いに病院へ。 状態は思わしくなく、循環器ドクターから 処置に関しての面談と説明をしたいとのことで 面談室へ通されました。 という説明でした。 私は父の心臓のカテーテル治療中のCT画像は動画を見て 心臓の血管が細く、まだ詰まっている部分があるということには気づいていました。やはりその治療もしなくてはならないのだと思いました。 もちろん、母と私はなんとか助かってほしい一心なので 手術を承諾しました。 手術は翌日の朝に急患がなけれ

          父 (ICU:入院3、4日目)

          父 (ICU:入院2日目)

          前回からの続き↓ 家に戻り 一旦お風呂へ とてつもない不安と恐怖と悲しみが降り注ぎ お風呂で涙が止まりませんでした。 母も同じく涙を流し 気が気でいられない状態でした。 不眠で過ごしていたため 仮眠をとりましたが約30分程度しか眠れず そのまま正午になったのでまた病院へ行き 父と面会しました。 今朝みた状態と変わらず 夢ではなく現実なんだと改めて実感。 ICUでこんなにいろんな管がついている状態の患者を 初めて見ました。 それが父だなんて。 どうして父が、なんで今

          父 (ICU:入院2日目)

          父 (ICU:入院1日目)

          父の記録を残します まず、父は現在68歳。 私は30歳で独身。 突然のことでした。 母からの電話、とても恐怖と不安のある声で ”お父さんがモアイ中に倒れた” …と。 ※モアイとは沖縄の風習で、親しい友達で月1に集まる飲み会です。  少し違うところは、お金を出して集めて、  月で順にお金を回収し自分のために使ったり、  モアイ仲間との旅行代として貯めたりと  そのモアイでの目的や、やり方は違います。 一瞬なんのことだかわからず でも急いて準備して母を迎えて病院へ。 病

          父 (ICU:入院1日目)

          WEBデザイナーになろうと思った理由

          こんにちは!WEBデザイナーを目指す30代独身の女です。 本業は医療従事者(理学療法士)をしております。 理学療法士をしている理由は、学生時代に大怪我をし、リハビリという仕事を始めて知りました。 その時に担当していくれた理学療法士の方に感銘を受けて 私もこの仕事を目指すことを決めました。 私は沖縄県出身で、沖縄にも専門学校などはありましたが 大学に行きたい気持ちがあり、県外の医療技術専門の大学に進学。 そこではかけがえのない大学生活を体験しました。 私はもともと人見知り

          WEBデザイナーになろうと思った理由