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展覧会 感覚の領域 今、『経験する』ということ 3・藤原康博 4・中原浩大
大岩さん作品の後は、飯川雄大さんのをみたのですが、彼の作品は会場全体にも関わってくるので、一番最後に書きます。
3番目は藤原康博さん。まず、その青い色に見覚えがある感じ。それはこの絵を見たときに、あぁそうか、って。
記憶の中に存在する青さ、まどろみの中で見る色、誰しもが持ち得ているのかのような青い記憶。
なんだかとても不思議な感じ。極個人的なものを共有してしまったような。鎮守の杜もそう。あの田圃の中にぽつんと浮かぶこんもりした森はなぜに記憶の中にも同じようにありながら、青いフィルターがあることで、それが夢なのか現なのか境目がわからなくなる。
そして、奥にある空間にあった非連続の間では、たまたまなのかな、何か階段をコツコツ歩く音のようなものが聞こえて。たまたまその隣での誰か歩く音が響いただけなのかもしれないけれど、なんか不思議な感じで、全体的に、なんか、見ててトリップするような、夢の中で記憶を整理しているような、不思議な感覚でした。
お次に見たのが、中原浩大さん。前には男のコ、その前には女のコが大きい本のページを係員さんと一緒にめくっている。女のコは何ページかめくると、ありがとうございます、と本を閉じ。次の男のコはまた閉じられた本を最初からめくっていく。なんだろう、私が待っているというプレッシャーか、係員さんとの共同作業だからか、はたまた、これが作品だ!というプレシャーからか、めくる指がとても震えていた。そうして、3分の1ほどで、あ、もういいです、と去ってしまった。
さて、私の番、幸にして順番待ちの人はおらず。係員さんに、途中から見ちゃダメなんですか?って聞くと、はい、最初から見ることになってます、とのこと。私、小説とかでも、最初読んで雰囲気捉えると飛び飛びで読んで結末をしっかり読む、ってところがあって。係員さんへの質問はそんな性格の表れですね。
こんな感じで、机に向かって左が私、右が係員さんが立ち、大きい本をめくっていきます。中にはさまざまな色だ描かれた円。
始めは、その色の並びに意味があるのかな、とか、円の形が微妙に違うとか、なんて考えていたけれど、途中から、あぁこの色好きだな、とか、この色と似た色さっきあったけれど微妙に違うんだろうな、になり、プラスで係員さんとの呼吸を合わせたページをめくるという行為がなんだか面白くなってきて。
最後のページに辿り着いた時、係員さんが
「はい、終わりです、最後の色はこれですね」
と言った瞬間に、笑えてきて、
「ありがとうございます」
って思わず手を合わせてたよね。外国の人が日本に来て、ありがとう、って手を合わせる感じね。なんで咄嗟にしたのかは不明。
最後のページは白紙だと思ったんだけれど、そうではなくって、その前の色が最後だった。けれど、あれは私の中では白紙かな。そのページをめくった上での思考の移り変わりが凝縮されているようでね。
体験することでしか得られない感覚。ページを捲るというシンプルな行為から派生する思考の移ろい。これもね、すごい良い作品でした。
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関係ないけれど、一時保存した記事をまた書き加える際に、改行したら一行あいてしまうのなんでなんだろう。。。
この記事はそれで変に一行開いてしまってます。note初心者、わからないこと多し。