合理的な予想や、性善説的な期待が裏切られた時、理想とは遠くても「より悪くない」選択をしなければならないことがある。ロシアによるウクライナへの全面侵攻に対し、これまでの立場を大きく転換したドイツの左派政権の対応は、象徴的な例だろう。
日本にとっては、中道リベラル寄りと目され、「新時代リアリズム外交」を掲げる自民党の岸田文雄首相や、権力の座から10年近くも遠ざかっている野党の左派リベラル勢力が、米欧中心に築かれた「戦後秩序」を脅かすウラジミール・プーチン露大統領の暴君ぶりを前に、これまでの政策を修正するのか、しないのかを考えるうえで、参考になる。
世界を驚かせた独ショルツ政権の転換
欧州では過去、ロシアの蛮行に対する各国の足並みがそろわなかった最大の要因はドイツだと言われてきた。
理由はいくつかある。
歴史的には、東西に分断されていたドイツの再統一を、ロシアの前身だったソ連が受け入れた「恩義」が指摘されている。
経済的には、ロシアの天然ガスに対するドイツの依存度の高さがある。
この四半世紀のドイツのエネルギー政策は、1998年に中道左派の社会民主党(SPD)と環境問題解決に向けた急進的な政策を掲げる緑の党の連立政権ができて以来、「脱原発」と「再生可能エネルギーの拡大」の両輪で進められてきた。
今や総発電量に占める再生可能エネルギーの比率は40%を超え、原子力の比率は2000年の約30%から、ここ数年は12%前後まで減った。
その分、00年まで10%以下だった天然ガスの比率は、今では15%前後で推移している。「脱原発」を続けながら、再生可能エネルギーの比率を現状の倍にするまで安定的な電力供給を行うには、天然ガスの利用が欠かせない。
ノルトストリーム2のパイプライン=AP
問題は、ドイツ国内で消費される天然ガスの90%以上が輸入で、その50%超をロシア産に頼っていることだ。ロシアの天然ガスをドイツに運ぶ海底パイプライン「ノルトストリーム2」の建設は、ドイツがより安く天然ガスを輸入することを可能にし、同時に、ロシア依存を強めることになるはずだった。
米国はドナルド・トランプ前大統領の当時から、ロシアがエネルギーを盾に周辺国や米欧諸国を威圧して自国の利益を不当に主張することを警戒し、ノルトストリーム2に反対する姿勢を示してきた。
21年に、就任から日の浅かったジョー・バイデン米大統領を説得し、ノルトストリーム2を容認させたのは、アンゲラ・メルケル独首相(当時)だ。
中道保守のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)を率いたメルケル氏は、05年にSPDとの「大連立」で首相に就任して以降、再生可能エネルギーの拡大と脱原発の政策を踏襲しつつ、電力料金の高騰などに対応するため、原子力を「つなぎ」として活用する政策へと修正した。10年のことだ。
ところが、直後の11年に東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生し、メルケル政権は「脱原発」の先送りを撤回したため、ノルトストリーム2による天然ガス輸入は、以前にも増して重要となった。
ベルリンで記者会見するショルツ首相(左)(2022年1月)=ロイター
メルケル氏の政界引退表明後に行われた21年秋の総選挙の結果、同年末に発足したSPD、自由民主党(FDP)、緑の党の3党連立によるオラフ・ショルツ連立政権は、30年までにドイツ国内の電力供給の80%を再生可能エネルギーでまかなうとする、これまで以上にハードルの高い目標を打ち出した。
野心的なゴールは、ロシアの天然ガスの存在感をますます高めた。
こうした背景もあって、ショルツ首相がウクライナ危機の当初に見せた煮え切らない態度が、プーチン大統領に「どうせ、G7(先進7か国)は大したことはできない」と思わせた可能性は否定できない。
それだけに、ショルツ首相がロシアのウクライナ全面侵攻直前の2月22日にノルトストリーム2の計画凍結を電撃的に発表した時は、ロシアのみならず全世界が驚くことになった。
「核シェアリング」維持とF35購入が示すもの
ドイツの政策転換は、ほかにもある。
これまでは原則、紛争地域を除外し、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)加盟国などに限定してきた武器供与を、NATO非加盟国でロシアと戦火を交えているウクライナに行うと決めた。
2月26日には、米国、欧州連合(EU)、英国、フランス、イタリア、カナダとともに、ロシアの侵攻に対する追加制裁として、世界最大級の国際決済網である国際銀行間通信協会(SWIFT、本部・ベルギー)からロシアの金融機関を排除する方針を発表した。
ドイツの対応次第では実現が疑問視されていたものだけに、ショルツ政権の決断が果たした役割は大きかった。
ショルツ首相は、ドイツ防衛費を増額し、NATOが求めていた国内総生産(GDP)比で2%を超える水準に高めることも表明している。
一連の政策転換には、日本政府関係者も衝撃を受けた。
ロシアに対して約1300億円の与信残高を持つ日本の政府系金融機関、国際協力銀行(JBIC)幹部は「ドイツは腹をくくった」と驚く。
「ノルトストリーム2の凍結宣言からは、『脱原発』を当面、棚上げする意図が伝わってくる。SWIFTからのロシア締め出しも、ドイツ経済に大きく跳ね返る可能性が高い。保守派のメルケル政権であればともかく、左派のショルツ政権がここまでやったことに驚かされる。日本で、岸田政権や野党のリベラル派に、こんな決断ができるだろうか」
発足からまだ100日間の「ハネムーン期間」だというのに、ショルツ政権にはウクライナ危機をはじめ、次々と試練が襲いかかった。かりにロシアが侵攻に踏み切らなかったとしても、ドイツの左派政権が安全保障政策で「タカ派」的な対応をとらざるをえない国際環境になっていたことは間違いない。
だからこそ、ロシアのウクライナ侵攻以前にも、ショルツ政権は核兵器禁止条約の締約国会議にオブザーバーとして出席することを表明して左派政権としての面目躍如の一方、SPD内に根強かったNATOの「核シェアリング」から脱退すべきだとする声を抑え込み、その継続方針を明確にした。
NATO加盟の非核保有国が、米国の戦術核の提供を受けて使用することができる核シェアリングの枠組みについては、中国、北朝鮮、ロシアという権威主義や独裁体制の核保有国に囲まれた日本の安全保障環境をふまえ、安倍晋三・元首相が議論の有益性を示唆したことで、日本でも注目されるようになった。
日本では、プーチン大統領が核兵器の使用を示唆して欧米諸国をどう喝するようになった後も、岸田首相をはじめ中道リベラルや左派を中心に、核シェアリングを否定する意見が大勢だ。
ドイツが導入する予定のF35戦闘機=AP
ショルツ政権の「本気度」は、核シェアリング維持に伴い、核攻撃での使用が想定される戦闘機トルネードの後継機種にステルス性の高い米ロッキード・マーティン社製F35の購入を決めたことでも分かる。
敵のレーダー網をかいくぐって爆撃を行うステルス戦闘機のイメージは、二度と侵略戦争はしないと誓った戦後ドイツの国是にそぐわないとの受け止め方があり、左派勢力の間では評判が悪かった。このため、ドイツ政府は過去に、トルネード後継機の候補からF35を外した経緯がある。
F35の購入は、核シェアリングに真剣に取り組む姿勢をアピールする効果もあり、戦後ドイツの安全保障政策の転換を象徴するとの受け止め方もある。
メルケル前首相に比べて影の薄かったショルツ首相が、自由と民主主義を脅かす独裁国家の本性を目の当たりにして、党是に反しても、自国が経済的な不利益を被ってでも、守らなければならない「価値観」があるという確信を行動で示したと言える。
「米国第一主義」の急進左派の影響力からの脱出
米国のバイデン大統領=ロイター
米国でも、民主党内の急進左派に押されがちだったバイデン大統領が、ウクライナ危機をきっかけとして、本来の中道路線に回帰しようとしている。
バイデン政権がリベラル左派路線に軸足を移した背景には、2020年の大統領選の苦戦があった。
民主党候補を決める予備選・党員集会で、元副大統領としての実績と知名度で臨んだ中道のバイデン氏が、急進左派のバーニー・サンダース上院議員を相手に当初は劣勢を強いられた。
序盤に行われた9州での予備選・党員集会で、バイデン氏がサンダース氏を上回ることができたのは4州だけだった。
初戦のアイオワ州での党員集会では、同じ中道ながら年齢的にはバイデン氏より40歳近く若く、今はバイデン政権の運輸長官を務めるピート・ブディジェッジ氏に水を開けられ、サンダース氏が2位、バイデン氏は4位に終わった。
その後、各州での大統領候補選びが続く中、ブディジェッジ氏ら中道派の候補がレースから次々と撤退し、こぞってバイデン氏の支持に回る一方、急進左派側はサンダース氏とエリザベス・ウォーレン上院議員の有力2候補をなかなか一本化できなかった。バイデン氏の指名獲得は、急進左派の“敵失”に救われた面もあった。
だからこそ、民主党候補に選ばれたバイデン氏は、当時の現職だった共和党のドナルド・トランプ大統領に勝つために、自らの政治理念を前面に打ち出すより、左派も含めた民主党内の結束を優先させた。
16年の大統領選で民主党候補のヒラリー・クリントン元国務長官が党内の急進左派やサンダース氏の支持者を取り込めず、トランプ氏に競り負けた苦い経験があるからだ。
左派の求める最低賃金の引き上げや、子育てや教育への思い切った財政出動を政策綱領に反映させながらも、バイデン氏は急進左派にとっての「本丸」とも言える「国民皆保険」の実現や、大胆な地球温暖化対策への「満額回答」を避けたという意味では、「左」へのシフトは、大統領選を乗り切るまでの方便ではあった。しかし、大統領選とともに行われた連邦議会の上下両院選で民主党は思うように議席を伸ばせず、二大政党の議席数が 拮(きっ)抗(こう) している上院では急進左派の数人が政策の成否を左右するキャスチングボートを握っているため、「左」シフトを続けるしかなくなった。
一方、共和党は今年11月の中間選挙に向けて、バイデン政権の「大きな政府」路線など「左傾化」をターゲットにした批判を繰り広げている。
根強い支持者を持つトランプ氏を中心に、バイデン政権が外交・安全保障で成果を出していないと非難する声も続いていたことから、それまで内政問題にエネルギーを割かれてきたバイデン政権が、ウクライナ危機を契機に外交・安全保障政策に本腰を入れるようになったのは、当然の流れだった。
結果として、ロシアの武力行使を止められなかったとはいえ、G7をはじめ国際社会に連携を呼びかけ、一枚岩ではなかったEUの結束ももたらし、バイデン大統領の大統領選での公約であり、「売り」でもありながら空回り気味だった「国際協調主義」を、名実ともに前進させることにもなった。
民主党の急進左派にくすぶる、トランプ前大統領と似た「米国第一主義」の発想に基づく軍事費の削減を求める主張や、海外の紛争と距離を置く傾向がウクライナ危機の前にかすむことがなければ、バイデン大統領はどこまで自分の流儀を取り戻すことができただろうか。
ドイツとは事情も発想も異なるものの、ロシアのウクライナ侵攻が米民主党内の左派と中道派のバランスを変えたと言える。
丁寧さが求められる台湾有事の議論
日本はどうか。
ロシアの行為を非難する点で、保守派とリベラル左派の間に溝はない。
むしろ、対露制裁を決めるタイミングなどをめぐり、「もっと果断に」と求める意見は、野党側からも強まっている。
ロシアにとってのウクライナと、中国にとっての台湾を重ね、「台湾有事」になれば日本は傍観者でいられないとして、安全保障政策を転換する「覚悟」を求める保守派の声は高まっている。
対するリベラル左派も、台湾有事に絡めた防衛費増額や、米軍と自衛隊の一層の連携を求める主張に対しては、「一時の勢いで決める話ではない」といった慎重論は根強いものの、台湾有事の可能性に触れることそのものが危機を招くとして議論にさえ後ろ向きだった態度は、変わりつつある。
ただ、中国・台湾事情に詳しい専門家は、「日本の世論に比べ、台湾の世論の方が中国の軍事侵攻の蓋然性を低くとらえる傾向がある」として、「台湾有事をめぐる議論そのものを深めるのはいいが、より 緻(ち)密(みつ) な議論にしていく必要がある」と、前のめりになり過ぎることへの警鐘を鳴らす。
ウクライナでも、ロシアによる侵攻直前まで首都キエフがにぎわいを見せ、侵攻は起きないという楽観論も聞かれたというから、世論が正しいわけでもない。それでも、「過剰反応」が議論をゆがめる可能性には、留意した方がいいのだろう。
例えば、プーチン大統領の核兵器使用を示唆する発信を受けて、安倍元首相が口にした核シェアリングについては、これまでの経緯を無視した過剰な積極論も、耳にするのもけがらわしいと言わんばかりの過剰な反発も、益がない。
米国の「核の傘」に依存した日本の安全保障政策を再検証し、「核抑止」のあり方を考えるべきだという意見は、専門家の間では以前からあった。これまではリベラル左派を中心に、議論そのものに対するアレルギー反応が強かったものの、ロシアの蛮行やドイツの選択を受けて、頭から否定するのではなく、一つの選択肢として議論する土壌を作った方が、より有益な答えが見つかるように思える。
岸田首相
岸田首相は国会答弁で、核シェアリングは非核三原則の「持ち込ませず」と相いれず、非核三原則を堅持する立場から検討はしないと明言している。
今の自民党総裁が岸田首相ではなく、保守タカ派の安倍氏だったとしても、実際に政権を預かる立場で核シェアリングの議論を軽々に打ち出したとも思いにくい。
自民党内でも賛否は割れ、福田達夫総務会長のように、議論自体をタブー視すべきではないといった立ち位置が落としどころのようにも見える。
NATO内の核シェアリングと日米同盟の中での核シェアリングでは、環境も条件も異なる。
核抑止の再検討を訴える専門家の間でも、一足飛びに核シェアリングに行くのは国内世論の支持を得ることは難しく、まず、非核三原則の「持ち込ませず」の是非から着手した方がいいという意見がある。
そうした要素も勘案し、丁寧に「緻密な議論」を進める姿勢が大切だろう。
話をすること自体が危険だと敬遠する風潮が続けば、「万が一」への備えは不十分になる。
経済的な利益や党是より、優先して守らなければならないものがある。
その発想があってこそ、リベラル左派も保守タカ派も、あらゆる政治勢力が共感できる「新時代リアリズム外交」を見いだすことができるように思う。
プロフィル
伊藤 俊行( いとう・としゆき )
編集委員。1988年、読売新聞入社。金沢支局を振り出しに、93年から政治部で政党、選挙、外交・安全保障を取材、96~97年にハーバード大学国際関係センター日米関係プログラム研究員、2003~05年にワシントン特派員。調査研究本部主任研究員、国際部長、政治部長を経て20年から現職。