衆院東京15区補欠選挙で政治団体「つばさの党」の候補者と党員が他の候補者の遊説場所に乗り込み、大音量で質問を行うことで、演説の聞き取りを困難にしました。これは民主主義の根幹である選挙を妨害する行為(昭和23年最高裁判断)ですが、近年、一部のマスメディアは政権与党に対する同様の行為を強い論調で正当化してきました。
平成29年に東京・秋葉原で行われた安倍晋三首相(当時)の都議選応援演説では、組織的な呼びかけに集まった一部聴衆が「安倍やめろ」「帰れ」と大合唱し、執拗(しつよう)に演説をかき消しました。安倍氏はこの妨害者に対し「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と抗議しましたが、一部新聞は「批判を連呼しても主権者じゃないか。このむき出しの敵意、なんなのか」(朝日)、「首相、聴衆にまで激高」(毎日)、「敵と味方に分断」(東京)などと安倍氏を徹底的に非難し、ヤジを正当化しました。
また、令和元年の参院選での安倍氏の札幌演説で「安倍やめろ」「帰れ」という大声を演説にかぶせた人物を北海道警が移動させた事案に対しては「市民を排除。ヤジも意思表示のひとつの方法」(朝日)、「警察の政治的中立性に疑問符」(毎日)、「市民から言論を奪うな」(東京)などと非難しました。
これらの論調に多くのテレビメディアも同調した結果、安倍氏は選挙妨害者との接触を避けることを強いられ、遊説場所を告知しない「ステルス遊説」と揶揄(やゆ)された選挙運動を展開するに至りました。また、警察の萎縮もうかがえます。例えば安倍氏暗殺事件では、テロリストが安倍氏に近寄って2発を発砲するまで取り押さえることもできませんでした。
そもそも「安倍やめろ」「帰れ」というヤジは意見表明でなく、演説者に対する恫喝(どうかつ)的な命令であり、非言論で言論をかき消す「言論の自由」への挑戦行為です。1人のヤジを認めれば、他のすべての人のヤジも認めなければなりません。秋葉原の事例と比較してはなはだ小規模で、候補者が他の候補者に質問する体裁を取る「つばさの党」の妨害者を警察が警職法で排除することは、法の下の平等の原則から不可能です。
何よりも、このような時・場所・方法を選ばない身勝手な「表現の自由」による最大の被害者は、候補者の政治的主張についての「知る権利」を侵害された一般聴衆です。
今回の事案で多くの国民がヤジ正当化の欺瞞(ぎまん)を強く認識するに至ったと推察します。「言論の自由」を守る使命を持つ言論機関の一部が非言論による選挙妨害を堂々と正当化してきたことは、民主主義の破壊行為に他なりません。
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藤原かずえ
ふじわら・かずえ ブロガー。マスメディアの報道や政治家の議論の問題点に関する論考を月刊誌やオピニオンサイトに寄稿している。