鐘は静かに鳴り響いた
「趣味は何ですか?」「週末は何をして過ごしてる?」
そんな質問をされた時に私が真っ先に思い付くのは「掃除と片付け」。映画を観るのも温泉に行くのも嫌いじゃないけど正直映画なんて月に一本も観ないし、温泉は年に一回行くかどうか。私が毎日続けていて手っ取り早く心が満たされるのは部屋を綺麗にすることだ。
30代独身。OLをしつつ、1LDKの賃貸アパートでひとり暮らしをしている。月曜日から金曜日まで8時間働く。帰宅して部屋をササっと片付けることと毎日洗濯をすること、湯船に浸かって毎晩8時間以上寝ること。それが日々のささやかな幸せ。
モノを出しっぱなしにしないのが習慣になっているので周りからは「茶樹さんって几帳面だね」と言われるが、昔はまるで違っていた。
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今から十数年前、大学生になって初めてのひとり暮らしを始めた。実家暮らしの頃は家事を手伝うということをしてこなかった。母親に「自分の部屋くらい掃除機をかけなさい」と言われてしぶしぶ掃除機をかける程度。勉強さえしていればよし、という教育方針だったので家事の能力は皆無に等しかった。
あの頃は忙しかったのだ、と言えば言い訳になるが、社会人になりたての当時の我が家は汚部屋という言葉がぴったりそのまま当てはまった。部屋干ししたままの洗濯物や脱いだ服の山、ペットボトルやお弁当の空き容器、化粧品がリビングに散乱した。床の余白はなく、誰かが訪ねてくる前だけ慌てて夜を徹して掃除をする。相手を部屋に招き入れる頃にはクタクタだった。
日々の残業で帰宅するのは深夜。自宅は居心地が悪かったし、自分のことも嫌いだった。その全てが悪循環だったように思う。
そんな折、コンビニで一冊の文庫本を手に取った。当時は断捨離が流行り始めた頃で、その本はブームの火付け役となった方の著書だった。
試しにその本を買って帰ることにした。断捨離に強い興味があったわけではない。ただ漠然と「片付けなきゃ、何とかしなきゃ」とは思っていたのだ。思えばこれが私の小さな一歩だった。
散らかった部屋で本の頁をめくる。「いつか使うかも」の「いつか」は来ないこと。不要なものに囲まれて過ごすより、好きなものだけに囲まれて暮らす方がずっと幸せなこと。読み進めるうちに目からぽろぽろと鱗が落ちた。
よし、と思い立ち、その週末に断捨離を開始。本の教えに従った結果、一度収納やワードローブを全てひっくり返してみた。「ひとつひとつ手に取って残すか処分するか判断する」という作業は想像を遥かに超えるほどの重労働で、終わりの見えない作業にしばし呆然とする。しかし引っ張り出してしまったが最後、これを片付けなければ寝る場所もない。迷ったら潔く捨てることを根気強く繰り返した結果、20袋分くらいのゴミが出た。始めての達成感だった。
断捨離がこの一回でうまくいったわけではない。総量は減ったものの、すぐにまた洗濯物の山ができたし、キッチンも直にぐちゃぐちゃになった。コンスタントに片付ける術は身に付いていなかった。
部屋に溢れ返ったモノの山に辟易した頃、また週末になると重い腰を上げてはゴミ袋を広げて断捨離を繰り返した。
思い返せば私は大学で環境行動学という分野を学んでいた。「違法駐輪はなぜ増えるのでしょう」。先生の問いを受け、フィールドワークで構内を歩いてみると、駐輪場ではない講義棟の出入り口付近に自転車がたくさん並んでいるのを見つけた。「これはね、人の動線がうまくいっていないってことなんですよ」と先生は教えてくれた。
設計と人の動線が噛み合っていないから不具合が起きる。
断捨離に伴い部屋のレイアウトを試行錯誤する中で、徐々に動線を意識するようになっていく。服がソファの上に山積みになるのは動線にも問題があったのだ。脱いだコートやバッグをサッと掛けられる位置にフックを設けると、その問題は改善した。
もう一つ、SNSも大いに活用した。断捨離と模様替えを重ねるごとに「部屋を片付けました」と写真を投稿していたのだ。その時は綺麗に片付けたように思えても、フィルターを通すと部屋の一角がごちゃごちゃして見えるのが気になりだした。半年、一年前の写真と見比べながら片付けを繰り返すうちに部屋はすっきりとするようになり、彩色に溢れた部屋はモノトーンに落ち着いていった。
5年くらい前に、ついに汚部屋を完全脱却する。動線を意識した部屋作りを重ね、ようやく片付けのノウハウも身に付いたのだった。
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今では毎日10分程度の片付けを続けることが日課となり、散らかることのない部屋になった。また、片付いていても埃が溜まっていたら台無しだと気づき、こまめに掃除をすることも始めた。床が見えていると掃除も捗る。こうして不可逆的に清潔な部屋を手に入れていった。
「文庫本を買う」という小さな選択をしたあの時、確かに始まりの鐘が鳴り響いた。その選択は私をずいぶん遠くまで連れてきてくれた。振り返ると片付けができるようになっただけではなく仕事も溜め込まなくなったし、規則正しい生活も送れるようになった。断捨離はルーズな性格を一新してくれたのだ。
「三つ子の魂百まで、性格なんて一生変わらない」と思っていたけれど、何歳からでも人間はアップデートできることを我が身をもって立証した。「試しに本を買ってみる」というあの選択が生み為した今の私は結構好きだ。