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ふるさとについて語ろうー私のふるさとは北朝鮮ー#45
これから私のふるさとについて語ろうと思います。
私が生まれたところは港町の小さな街です。
近くには化学工場がたくさんありました。
代表的なのはビニロン工場。
皆さんはビニロンという製品を知っていますか?
繊維業界で働いている方以外はあまり耳馴染みのないワードかもしれません。
日本では、繊維強度が高く、耐候性・耐薬品性に優れているなどの特長から、工業用、産業用として広く用いられているとのことです。
そして、注目すべき点としてこのビニロンは
「京都帝国大学の桜田一郎および共同研究者の李升基(リスンギ)、大日本紡績(現:ユニチカ)の川上博らによって1939年に初めて合成された」
と日本で初めて作られたそうです。
ここで登場する李升基博士はその後、韓国を経由して北朝鮮へ渡ってしまうのです。
「戦後に李升基を受け入れた北朝鮮では、ビニロンは同国の発明品とされ、同国主席の金日成が命名したビナロン(비날론、Vinalon)という名称で呼ばれる」
「同国(北朝鮮)の発明品とされ」という一文を読み、(北朝鮮で教育を受けた私はまさにそう思い込んでいたので)呆れました💦
北朝鮮でビニロンで作られているものは生活に直結するものが多いです。
例えば雑巾!日本では麺のタオルを縫い使いやすくしているものが多いですが、北朝鮮は紐状のビニロンを束ねて真ん中を結んでいるもの(約20㎝ほど)が一般的に使われています。
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その他は、ビニロンに水を入れて弱い火にかけると糊(のり)になります。これで子ども達の工作や壁紙を貼る時などに使われています。
少し余裕がある家庭では、家の壁紙の上にビニロンを薄く伸ばしてフィルム状にしたものを貼ります。北朝鮮の壁紙は質が悪いため持ちを良くするため、ビナロンフィルムを貼るのです。
ビニロンだけで長くなりましたが、私が生まれた地域はビニロン工場のような化学工場が多く、空気がとても悪かったです。
そこで父が賄賂を使って、もともと住んでいた場所から、約20〜30km離れた金日成の銅像がある地域に新築を建てたのです。(詳しくは以下の記事をご参照ください)
「金日成の銅像がある地域」は治安がとても良いです。近くには「安全部(日本の警察署)」があり、学校や幼稚園もあります。
近所の人は党や行政、軍の幹部が大きな家を建てて、たくさん暮らしていました。そして、ちらほら私たちのような少し生活に余裕がある帰国者(日本から帰国した人)も住んでいました。
日本からの帰国者は皆、仲が良かったです。時々、お互いの家に遊びに行くことがありました。
両親は日本の思い出話をしたり、日本の歌を歌ったり、情報統制のため掴むのが難しい世界情勢についても知っていることを話していました。
そういった場で、子どもだった私はジブリの映画を観ることができました。1時間15分の映画でしたが、停電などで中断することがあり、3回かけてやっと観終えました。
当時、日本語がわからなかったのでストーリーはさっぱりでしたが、魔女や可愛い女の子が出てくるのを食い入るように観ていたのをよく覚えています。
来日してからそれが「ハウルの動く城」だったと知りました🤭
1994年からの北朝鮮は「苦難の行軍」の時代です
当時は食べ物だけではなく、燃料もなく、山の木はほとんど燃料として使われました。
しかし、金一家の銅像や金一家が一度訪れたことがある場所の木は絶対に切ってはいけないという鉄の掟があり、そのまま残っていました。また、たくさんのお花も植えていました。
そのため、家の近くは自然が豊かで散歩コースとしてとてもきれいな場所でした。
定期的に金日成の銅像を掃除するため、きれいな雑巾や箒を持って訪れました。
金日成の銅像は街を眺められる高い場所にあり、すぐそばには川と橋が架かっていて、特に眺めが良かったです。
来日して約5年ぐらいはふるさとにいる夢をたくさん見ました。
毎度、「私は脱北して日本にいるはずなのに、どうしてまたここにいるのか」と恐怖で体が動かなくなる、といった流れでした。
「北朝鮮」というのは思い出したくもない悪夢のような場所であり、漂白でもして頭の中を真っ白にしたいと何度も思ったものです。
そんな状態だった私ですが、日本に来て知り合ったたくさんの人に癒やされ、そして、新たな人生を必死に生きていく中で少しずつ立ち直っていきました。
今はこのように故郷を思い出しても淡々と振り返ることができるようになりました。
世界には数万人の脱北者がいて、いろいろな場所で多くの証言をしています。
意外に思われるかもしれませんが、証言をしている脱北者同士がお互いに“嘘をついている”と誤解しているケースが散見されるのです。
実際に自分の経験を過剰に証言したり、聞いた内容を自分が経験したかのように証言する人もいますが、たいていは真実を伝えています。
しかし、なぜそういった誤解が生まれるのか。
その理由は、北朝鮮には移動の自由がなく、徹底した情報統制がなされているため、自分が住んでいる地域で見聞きすること以外は知りようがないからです。
日本のように移動の自由があって、インターネットで情報を得られるとしてもその場所にいかないとわからないものはあると思います。
そして、北朝鮮の中では貧富の差が激しいです。
食べ物も無くて山で草を取って命を繋げていた人もいれば、水以外は日本や韓国などの食品(日本では国産食品が良いとされる傾向があるが、北朝鮮では海外のものが良いとされる)を食べるケースもあります。
家がない人もいれば、高級マンションの一つの階(通常3〜4世帯が住む)をお金持ちの1世帯が買取り贅沢に住むなど格差が大きいです。
貧乏人にもお金持ちにも共通な点としては、発言を一つ間違っただけで、裁判など受けることもなく、処刑や追放(山奥や辺境へ送られること)、政治犯収容所などに送られて死ぬまで出られることができないような目に遭うことです。
「人権」という言葉自体存在していない国で、「自由」も知らずに、ポーズが決まったまま動けないマネキンのように、録音した声しか流れない自動音声のように、生きていかなければならないというところです。
いかがでしょうか。私のふるさとは。
共感できる部分は一つもありませんね(^_^;)
しかし、そこにも3000万近くの人が暮らしています。
金一家に洗脳された人たちがたくさん存在しているのです。かつての私のように。
普段、知られることのない名もなき人々の人権や生活にも関心を持ち、そこで生きてきた人々の話に耳を傾けていただければと切に願います。
今回は少し重くて真面目な話になりました😅
最後までお読みいただき、ありがとうございました。