【エッセイ】イチ、ニ、サウナー!
ここ1年ですっかりサウナにハマった。いまでは、週2〜3ペースでサウナに通っている。俗にいう「サウナー」だ。
マレーシア・クアラルンプールでは、サウナ付きの物件に1ヶ月住み、1ヶ月サウナ生活。札幌ではサウナのあるホテルに1週間泊まり、サウナではじまりサウナで終わる一週間。
タイ・バンコクでは、お寺の中にあるハーブサウナにも行ったりした。
もう立派なサウナーである。
写真の掛け声は、「イチ、ニ、サウナー」だし、「それな!」のイントネーションで「サウナ!」と相づちをする‥。これが、サウナーの日常である。(なーんてね。)
学生時代は、毎日のように飲み歩き「とりあえず、ビール」の日々だった。いまでは、友人の誘いに対し「とりあえずサウナ」の日々。
アツアツのサウナ室で汗を流し、キンキンに冷えた水風呂に入り、そしてベンチで休憩。
ベンチでの休憩がサウナの醍醐味。
交感神経から副交感神経へのスイッチ。厳しい環境から解き放たれた体は、一気にディープリラックス状態に。
この感覚をサウナーは「ととのう」と呼ぶ。究極の「ととのう」を追い求め、サウナーらは日々サウナに入っている。
とはいえ、「ととのう」未経験の人、つまり「ととのうバージン」にとって、サウナは苦行のようにみえるだろう。実際、友人からも、「苦行だろwww」と鼻で笑われた。
確かに、苦行の要素は否定できない。でも、苦しみの先にこの世の全ての快楽をギュッと集めたかのような「気持ちよさ」が待っているのだ。
サウナは人生と同じ。時にはアツくなり、時には冷たくあしらわれ、苦しい思いをするだろう。
でも、その先には心地の良いものが必ず待っている。
サウナは人生の原点にして頂点だ。
ありのままの姿で、ありのままの感覚に浸る。そこには複雑なものは存在しない。
「熱いと冷たい」のみ。
その向こう側に、人は心地よさを感じる。結局、シンプルが一番なのだと、サウナが教えてくれた。
現代社会は複雑で難しい。混沌としたこの世界で、息苦しさを感じる人もいるだろう。
そんな時、サウナに入ってみるといい。そこに言葉なんかいらない。いや、言葉の入るすき間なんてないと言った方が正しいのかもしれない。
気付けば、何もかも忘れて、自分の世界に浸っているはず。ようこそ、サウナの世界へ。
スマホのない世界で、自分の感覚だけが真実。「真実はいつも一つ!」とコナンは言っているけれど、こんなところに真実があったとは。コナンはサウナーなのだ。
そしてサウナに入れない時間に、ふとあの感覚を思い出してみる。
3つ数えると、よみがえる。
「イチ、ニ、サウナー」