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この世はどうしたって生きづらいが、


どうしたって生きづらい、この世は。

人間関係、社会の仕組み、生まれた環境、全て自分の思った通りにはならない。

生きている限り好きなことをしろと言われ、

好きなことだけをしても飯は食えないと言われ、

夢は大きくもてと言われて、夢を見過ぎるなと言われた。

あまりにも、矛盾しているではないか。

こういう事を考え出すと、ぐるぐるぐるぐると同じ所を回って悩みの渦に巻かれてしまう。考えれば考える程、深い谷に落とされた気分になる。


もっと、ラクに生きれたらいいのに。


そんな悩みを抱えていた時、丁度『 ジョジョ・ラビット 』という映画観た。

終盤に出てきた詩があまりにも美しかったので、内容がスッ飛んでしまった。


すべてを経験せよ  美も恐怖も生き続けよ 絶望が最後ではない


オーストリアの詩人、ライナー・マリア・リルケの詩である。        私はリルケの事もこの詩も映画を観て初めて知った。

『 ジョジョ・ラビット 』は2020年タイカ・ワイティティ監督がアカデミー賞脚色賞を受賞したことで、注目されている。

この映画をひとことで言うならば、
1人の少年の眼を通して観た、第二次世界大戦下のドイツだ。

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この詩を読んでから、気づけたことがあった。


まさに今この世が生きづらいと絶望しているところだったが、私はすべてを経験していないのに絶望していたのだ、と。

矛盾する言葉に惑わされて、思い通りにいかない世の中に、経験する前から勝手に絶望していた。

経験しなければならない。すべてを経験しなければまだ分からない。

私を通して自分自身で経験することはすべて初めてになる。前例などない。自分はこの世に1人しかいないのだから。似通った人はいるかもしれないが。


生きづらいという気持ちは早々には変えれないが、そんな気持ちを持ちながらも経験することを増やしていったら、世界の見方は変わるかもしれない。


生きづらいと絶望する前に、リルケの詩を胸にすべてを経験しよう。




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