![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/27968697/rectangle_large_type_2_5aadd50a768e16d04dbd36f83a42ffed.png?width=1200)
この世はどうしたって生きづらいが、
どうしたって生きづらい、この世は。
人間関係、社会の仕組み、生まれた環境、全て自分の思った通りにはならない。
生きている限り好きなことをしろと言われ、
好きなことだけをしても飯は食えないと言われ、
夢は大きくもてと言われて、夢を見過ぎるなと言われた。
あまりにも、矛盾しているではないか。
こういう事を考え出すと、ぐるぐるぐるぐると同じ所を回って悩みの渦に巻かれてしまう。考えれば考える程、深い谷に落とされた気分になる。
もっと、ラクに生きれたらいいのに。
そんな悩みを抱えていた時、丁度『 ジョジョ・ラビット 』という映画観た。
終盤に出てきた詩があまりにも美しかったので、内容がスッ飛んでしまった。
すべてを経験せよ 美も恐怖も生き続けよ 絶望が最後ではない
オーストリアの詩人、ライナー・マリア・リルケの詩である。 私はリルケの事もこの詩も映画を観て初めて知った。
『 ジョジョ・ラビット 』は2020年タイカ・ワイティティ監督がアカデミー賞脚色賞を受賞したことで、注目されている。
この映画をひとことで言うならば、
1人の少年の眼を通して観た、第二次世界大戦下のドイツだ。
この詩を読んでから、気づけたことがあった。
まさに今この世が生きづらいと絶望しているところだったが、私はすべてを経験していないのに絶望していたのだ、と。
矛盾する言葉に惑わされて、思い通りにいかない世の中に、経験する前から勝手に絶望していた。
経験しなければならない。すべてを経験しなければまだ分からない。
私を通して自分自身で経験することはすべて初めてになる。前例などない。自分はこの世に1人しかいないのだから。似通った人はいるかもしれないが。
生きづらいという気持ちは早々には変えれないが、そんな気持ちを持ちながらも経験することを増やしていったら、世界の見方は変わるかもしれない。
生きづらいと絶望する前に、リルケの詩を胸にすべてを経験しよう。