”予期せぬ自分”への着地を続けよう〜Goodbye,my empty life〜
2011年6月、生まれて初めて、ニューヨークのブロードウェイでミュージカル鑑賞をした。
その時、ブロードウェイミュージカルマニアの友人が追っかけていた俳優の主演作”Catch me if you can”(2002年制作された映画があり、映画ではレオナルド・ディカプリオが主演)が上映中で、友人の手ほどきでお得チケットを入手し、ほぼ最前列の席で、夢中になって見たのだった。
ストーリーは、両親の離婚を機に家出した少年が、医者やパイロットなど社会的信用の高い職業に次々となりすまし詐欺をはたらき続けるというもので、その主人公を追いかける刑事との攻防劇が見応えたっぷりだった。
ミュージカルのクライマックスは、主人公がついに刑事に捕まると観念したその時。
ステージの真ん中でスポットライトを浴びた主人公が、一人で歌い上げる曲がある。それが、”Goodbye”だ。
主人公は、偽りの日々を重ねることで、満たされない自分に向き合わないでいた。社会的地位のある何かになりきり、それを巧みにうまくやりおおせて、一時的には虚栄心が満たされても、やはり本物の自分ではない。
自分の内なる野心だけがくすぶる、ただの、何者でもない、ひとりぼっちの少年。
「ショーは終わりだ。」と歌い上げる。
「役を演じるのはやめて、自分の人生を生きたい」
それまでの偽りの、”空っぽの人生にさよなら”を告げ、主人公の、本当の人生が始まるのだ。
そう感じ取った私は、その曲を聴きながら、涙していた。
*ちなみに、歌詞をちゃんと聞き取れてなくて、私は、この歌の歌詞の一部に「Goodbye, my empty life」があると鑑賞中に思い込んでいたが実際はなかった。当時の私にとっては、絶妙な勘違いで、良かったと思う。
2011年6月は、私にとって、1年間のアメリカ留学最後の夏休みのタイミングで、大好きなニューヨークに最後に行っておこう!と旅していた時だった。
「アメリカ生活ももう終わり。でも、まだ日本に帰りたくない!」と結構思い詰めた状態だった。
たった一年の留学生活はあっという間で、その間に、私は何かを成し遂げられたのだろうか?と、心のどこかで自分を責めていた。
留学直前の私は、30代に入り、仕事も肩書きもお金もなく、何者にもなっていなかった。どん底に思えた。
これが人生の最後のチャンス、と無謀に挑んだ留学生活だった。
チャレンジの連続は、満足に言葉も話せず、初めて何一つ自分ではできない自分と向き合う機会だった。自分の醜さと弱さを知り、手を差し伸べてくれる人の優しさを知り、苦しくもあり、楽しくもあった。
その一瞬一瞬が、全部、わたしだった。
目標には辿り着かなかったけれど、一生懸命毎日を過ごし、自分ができる限りのことは、やり切った。
「何も出来なかった」と悔しがれるほど、生まれて初めて頑張った。
だから、これが終わり、なのではなく、
ここまでの空っぽの人生に別れを告げて、私の人生はこっからなんだと留学生活の終わりにその曲に励まされた。
2023年の今。”Goodbye my empty life”と自分に告げてからも、自分を偽ったりして紆余曲折のあった10数年だけど、自分に正直に生きて、少しずつ「これがいい」と選んできた道のりの先に、今の私がいる。
結果として、自分が想像した以上の、予期せぬ自分に着地する。
社会の物差しで目指される”立派な何者か”になるのではなく、その時その時、知らない自分が、自分らしい何者かになっている。
その中で、いつの間にか身につけている習慣、言葉、行動、偏った情報の集積。
そういった”かんちがい”から自由になって、もう一度、言葉、行動、習慣、情報を選び直していく。
Goodbye,my empty life. 私は、新しい自分に、ひび生まれ変わっていく。