いつもここで。
7/11(日)
浅草に、定期的に通う店がある。
食べログの評価はない、70歳のおかあさんが一人で切り盛りしている店だ。
きっかけは会社の先輩との何気ない会話だった。
「こないだ浅草で入った店がよかったよ。」
なぜか気になって教えてもらい、女友達3人ででかけた。
浅草は私の家から結構遠いので、わざわざ行った感がある。
本当に小さな店だ。料理のメニューもあってないようなもので、おかあさんの気分で作られる。
近所の常連さんしかそもそも来ない店で、一見の女3人は珍しがられた。
そこから、同じメンバーで集まる時は必ずそこに行くようになった。
行く前におかあさんに電話を入れるのだが、いつも名前を覚えてもらえず、もう名乗るのをやめいつも3人でいくメンバーですというとハイハイ!となる。
そこに集まる常連さん達とも仲良くなり、店を閉めた後におかあさんも交えて近くのスナックで飲んだり、小さなバーに行ったりした。
今日も、去年の年末ぶりに訪れた。
17時からご飯を食べながら飲んでいたらまた続々と常連が訪れ、満卓となった。
年齢層はかなり高いので、そこでしか会わない50代・60代ぐらいのおじさまやおばさま。
あー久しぶりだねえ!と会話が始まる。
家の近くにあったらどれだけよいだろうとは思うが、ここ浅草だからこそのコミュニティなんだろうと思う。
コロナになってからはおかあさんも高齢なこともあり、常連さんだけしか入れないようになったらしい。
時々おかあさんの息子さんも訪れたりする。おかあさんの家族の話は一通り聞いているので、なんだか親近感がわく。
一緒に飲む常連さん達とは、きっとこの店でしか会わない。そこから何かが発展することは、絶対にないだろう。だがそこにいる時、彼らのことをとても愛おしいと思う。話を聞きたいと思う。一緒に飲んで笑いたいと思う。それは、私が行かないと発生しない、刹那な関係。それが妙に心地よい。
おかあさんが生き続ける限り、私はあの店に通うだろう。
じゃあまたね。またここで。
そうやって店を出てそれぞれ帰る道は、温かい気持ちになる。
こうして今日も、生きたのだ。