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食べるということ

7/15(木)


六本木の中華に行った。


元々行ってみたいお店で、そこは所謂イノベーティブと称されるジャンルのレストランで、中華といいながらも和食やフレンチの要素もふんだんに使われていて、楽しい食事だった。


昔の私はとにかくクラシカルなものが好きで、フレンチなら重厚なソースのもの、和食なら正統派な割烹こそが正義だと思っていたのだが、最近はこういうイノベーティブな、ジャンルを超えてカジュアルに意外な味の組み合わせを楽しむことに喜びを感じるようになった。


料理がとても好きでよく実験的に様々なものを家で作るので、プロが考える食材の組み合わせはとても勉強になり、試してみたくなる。


今日の発見は、春巻きの具材だった。

白身魚と、ヤングコーン、おかひじきの組み合わせ。そこに酢橘をさっと絞り、塩をつけて頂く。

ふわふわと蒸された白身魚と絶妙なシャキシャキ感のヤングコーン、そこにおかひじきの歯応えと独特な味が合わさり、あとから来る酢橘の爽やかな香り。素晴らしいハーモニーを奏でていた。


この組み合わせのアイディアがなされたことが素晴らしいし、この組み合わせに出会うまで、色々な試行錯誤がなされたことだろうと思うと、料理人に対してただただ、尊敬の念を抱く。




考えてみると、人間の発明の一つは「味」の発見だと思う。



生きるためだけに獲物を食べている動物と違い、食材ひとつひとつの味を識別し吟味し組み合わせ、料理というものを作り上げた。


そもそも地上にあるあらゆる物を食べようとし、様々な料理に組み込むこと自体が、変態だ。


本来ならば生きるために腹を満たすためだけである食事はもう今や、果てしなく崇高な行動になり、莫大なビジネスとなり人や経済を動かしている。


そう考えてみると、なんだか少し可笑しい。


たかが食事、されど食事。


娯楽としての外食は、私の心を豊かにしてくれる。

癒してくれる。元気付けてくれる。

時には人と人とをつなげる要となる。

愛の表現、友情の確認、感謝の証…

もはやただ、食べ物を口にする行為を超えて、大きな意義や概念を含むようになった食事に、私はこれからも沢山、助けられていきたい。


頼むよ。


こうして今日も、生きたのだ。





とっても励みになります。 また記事を書くモチベーションにさせていただきます。本当に、ありがとうございます。