車窓から見える景色は
8/3(火)
以前私が質問箱をしていた時に、「通勤は何でしていますか?」という質問に対して、「日本交通です」と答えたことがあり、それが可笑しかったと友達から言われたことがある。
私は移動のほとんどがタクシーだ。
なぜかわからないがとにかく移動時間が嫌いだ。
会社が深夜残業が多かったため、タクシーですぐ帰れる場所に住み、日中の仕事も忙しいため皆タクシー移動しかしないという環境だった。タクシーの中でガッツリ仕事をするし、それこそ睡眠時間が取れない朝にはタクシーの中で寝たり、最低限の化粧をしていたりした。
住んでいる場所がわりと23区の真ん中なので、人と会う際も電車に乗って行くよりもタクシーで直線距離で行く方が遥かに時間が短縮されることが多いので、最近はコロナで電車を避けているのも相まって、よほど遠くに行かない限り(コロナ禍で遠くに行くこともなくなったのでほぼないですけど)パッと乗って目的地に行く。
1日に何度も乗る日もあるため、様々なタクシー運転手に会う。
大体は喋りかけてこないことが多い。日中だと特に私がPCを開いて作業していたり電話をしていたり、寝たりしているのでほぼ会話はないのだが、夜からは時々話をしてくる運転手も時々いる。
こちらも余裕があると結構運転手の観察をしてしまう。愛猫の写真を貼っていたり、カーナビを虫眼鏡で見ている人(ちょっと怖かった)、お茶や飴をくれる人、怪しい陰謀論の話をしてきて最後に個人の名刺を渡してくる人、おいしいお店を教えてくれる人、孫の話をしてくる人、セクハラまがいな発言をしてくる人、おまけをしてくれる人、ベテランっぽいのにTBSの場所がわからない人、ガチガチに緊張した新人、とても気持ちのよいやりとりをした若い女性の人、芳香剤がキツすぎて窓を開けてしまった人…面白い人や印象に残った人はたくさんいる。
最近、印象に残ったことがあった。
たまたま来たタクシーがセンチュリー(しかもフロントライトを青くしていた)だったので、どんな人が運転手かと乗る際にワクワクしてしまった。
ぴっちりと髪を撫でつけちょび髭をたくわえたナイスミドルな男性。ふちのないメガネをかけ、白シャツの上に黒のベスト。車内はこだわりがあるのだろう、ピカピカでクリーンな香り。もう車にぴったり!一気に楽しい気分になった。
目的地が銀座のとあるビルだったので細かい住所を告げ、普段は私から話しかけることなんてないのだが思わず、「素敵な車ですねえ」と言った。
「そうでしょう、もう長いことずっと乗ってるんです」と彼は答えた。
それがすごく伝わってきた。もはや彼にとって相棒なのだろう、きちんと手入れされ大切にされ、愛情をかけている様子が伝わってきた。
とても気持ちの良い時間だった。
「最近の銀座の夜は、どうなんですか」
彼が聞いてきたが、私は普段、夜の銀座に頻繁にいるわけでもないのでわからない旨を伝えると、
今はもうさっぱりなくなってしまったが、昔はいろんなお偉いさんと個人で契約をしていて、頻繁に夜の銀座付近に迎えに行ったり送ったりしたそうだ。
あの頃は本当に銀座が活気がありましてねえ、今はもう大人しいですね。
私は昔の話を聞くのが好きだ。
古いものに対する憧れもかなりある。
今の時代の合理主義でさっぱりと、クリーンな風潮はもちろん好きだし、自分は合っていると思う。しかし時々年長の方々から聞く、昔の日本のギラギラと欲望が交差する、どろりとしたいやらしさのある風潮も、興味深いものだと思う。そこには生まれたくはなかったけど。
そこから彼は饒舌になり、昔話は目的地に着くまで続いた。
精算し降りるときに、ありがとうございました。というと彼は少し申し訳なさそうな笑顔で言った。
こちらこそ、ありがとうございます。いろいろ話しすぎて悪かったね。
タクシーでいい時間を過ごしたと思ったのは初めてだったかもしれない。
夜の銀座の中を軽快に走る彼の肩越しのフロントガラスから見える風景が、きらびやかで勢いのあり、でもどこか寂しく儚い、その当時の街の景色が見えたような気がしたのだった。
こうして今日も、生きたのだ。