あまくて、まるい。
7/10(土)
雨続きだった東京に、突然の夏日が訪れた。
慣れない灼熱の日差しは肌を刺すように強くて、マンションを出た途端にサングラスを持って出なかったことを後悔した。
久しぶりに見た、自分の足元に長く伸びる影。
足早に大通りに出ると、サッと手を上げてタクシーに身体を滑り込ませる。
からりとした夏の日差しは、私には、まぶしすぎる。
先月末に突然訪れた友達の訃報は、私の心に多大なる負担を与えた。
ここで彼女との話をするのはやめにしたい。
思い出をつらつらとここで語るのはとても陳腐で、彼女にとても失礼な気がするのだ。
しかしその日から私の中で大きな変化が起こったことは事実である。
あらゆる興味があった物から、興味を失った。
うじうじと悩んでいたことや気にしていたことが、もはやどうでもよくなった。
人との付き合い方について、考えるようになった。
大切にしたいことやものが明確になった。
そして、
自分の身に起こるひとつひとつの現象について、考え込んだりするようになった。
決して悲嘆に暮れた人ぶっているわけではない。
自分が生きている何気ない日常での、この感情のひだのようなものを、書いて残したいと思ったのだ。
日記と記しているが、朝から夜までなにをした、を細かくは書くつもりはない。
ただただ、日々の思ったことを思うがままに記していこうと思う。
さて、今日は旧友たちとその子供と昼間から会っていたのだが、20時過ぎに家に到着して、そしてなぜだか
なぜだか急に、パンケーキを作ろうと思い立った。
玄米粉、バナナ、卵、ベーキングパウダー、オーツミルク、アガペシロップ、シナモンを目分量でボウルに放り込むと無心でかき混ぜ、薄くバターを敷き温めたフライパンの上にそっと滑らせる。
ふわふわとしたまるいものがフライパンの上でふくらみ、あっというまにそれは完成した。
湯気のでるそれを一口食べると、自分が想像しているバナナとシナモンのパンケーキがたしかにそこにある。
ほのかに甘くて、やわらかくて、口どけのよいそれは、優しく喉を通っていく。
しかし、2口も食べるともう満足してしまうのだ。
私にとって料理は、食べることよりも作ることを目的とすることが多くある。
きざむ、炒める、煮る、味付けする、盛り付けをする。その工程での私は無心で、その瞬間には何者でもなくなる。
ただただ、目の前の料理の完成というゴールだけに向かっている物体と化し、その時の頭の中は空っぽで、クリアになり、冴えている。
その瞬間が無性に好きだ。
突然夜中でも朝でもおかまいなしに料理を作り出したりするので、冷蔵庫の中には突発的に誕生したさまざまなジャンルのおかずが並ぶことが時折ある。
ご多分に漏れず、甘くてまるい、ふわふわとしたパンケーキは、出来上がりからその形をほとんど変えることもなく、青い皿の上に上品に鎮座されたままラップをかけられ冷蔵庫の真ん中の段へとしずしずと収納されていった。
明日のお昼にでも食べようかな。
こうして今日も、生きたのだ。