地下鉄の終点
三連休の中日、地下鉄に乗った。ときどき地上に出るのだけれど、夜9時を過ぎており車窓は見えない。ロングシートの右端に座り歩き疲れた足を休めた。スマホで位置情報ゲームの画面を開き、今日行った場所を振り返る。
「これ、差し上げます」
隣に座っている男性が突然、紙を差し出した。つるりとした紙質、おそらく何かのチラシの裏だ。
「今、5分くらいで書いたんですよ」
と続けて言う。メモのようなものが書いてあった。
ありがとうございますと礼を言うと、男性はすらすらと語り始めた。今年80歳になり2人の子供がいること。文章を書くのが好きで、思ったことをさっと記すのが日々の習慣になっていること。早稲田大学第一文学部出身で吉永小百合の同窓だとも。
「考えたことを文章に残すのは良いことですよ。文字は死んでも残る」と何度もおっしゃった。定期入れに入れた古い写真を見せてくれ、お子さんにも親御さんが何を考えているのか、読めば伝わりますよと。
そこから政治の話、今どきの若者は本を読まない、という話に移っていった。ご自身はどんな本を読むのか聞くと「漱石、漱石は良いですよ」とおっしゃり、また政治の話、今どきの若者の話になる。政治の話題は、現在の投票システムは地方格差が大きいので全国区にすべきだという主張だ。
同じ話題がループして、心にひっかかる。これ(チラシ)本当にいただいてよいのですか、と老人に聞くと「どうぞどうぞ」と明るくさっぱりした口調で返ってきた。杞憂だったようだ。
車両の扉が開き、周囲の乗客がいっせいに席を立つ。
「もう、終点ですか」
とひとこと言うと挨拶をする間もなく、老人はさっと立ち人ごみに消えて行く。もらった文章に感想をいう隙間もなかった。
”徳を積む”というとき、人知れず善いことをするというニュアンスがある。だが「今を大切に生きる」ことを徳を積むと表現したのはなぜだろう。直接聞いてみたかった。
地上に上がる長いエスカレーターに乗った。半分に折られたチラシを開くと「これが知りたかった!を叶える 終活茶話会」と印刷されている。吉永小百合は今年79歳とWikipediaに書いてあり、同窓というのも本当かもしれない。
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