小劇場女優が介護の仕事をはじめるまでの話
こんにちは。夜勤専従のゆうゆです。
今回は現状に至るまでの
私自身について書いていこうと思います。
私は高校生の頃から芝居の養成所に通い、
高校では演劇部も自分で立ち上げて活動していました。そのなかで「もっと創ることを勉強したい」と思うようになり、美術大学に進学します。
そこで出会ったのが小劇場。
地元では演劇をやるとなると大きなホールで行っていたのですが、小さなライブハウスのようなところで沢山の役者が自分のやりたい芝居を追求していることに感動して自分ものめり込むように演劇活動をしていました。
夜はアルバイト。昼は稽古の生活。
そんなある時、夜のバイトの前に胸が苦しくなり、立つのも難しいほどの痛みに襲われます。
これが、今でも付き合っているパニック発作のはじまりでした。
はじめて発作が起きた時は、夜間の救急の扉を叩き、受付では叫んでいたのを今でも覚えてます。
あの暗い病院の受付も。
自分は「死ぬかもしれない」と思っているのに、とても冷静に検査され「異常はない」と言われた時の「なら、何なの…?」とさらに増す不安感も。
それから私は抗不安剤を飲みながら、
緊張が付きまとう舞台に立ち続けていました。
舞台役者を一度でもやると、麻薬のように
やめられなくなってしまうのです。
今思えば、この時ゆったり休んでいればこんなに長い間パニックと付き合わずに済んだのかもしれないですが、そんな『たられば』は今だから言えること。演劇をしてないと落ち着かない体になっていたのです。
ですが、コロナが流行する少し前にふと、考えます。「私は役者ではなく、ものづくりをしたい人なのかもしれない」
振り返ると、操り人形のように役者を扱う演出家とは喧嘩をし、演出家とはちゃんと話し合って芝居をしたい人でした。
即興芝居が大好きでストーリーを展開させることに大きな喜びを感じてました。
それを思ったところでこれまで役者しかやったことない私は途方に暮れます。
なら、私は何ができる人なの…?
その考えが奥底でこびりついてたのでしょう。
このころから、普段の薬量では抑えられないほどパニック発作の回数が増えていきました。
心療内科も評判の良いところに変えて、
新しい治療法も試しました。
ADHDだということもここではじめて知ります。
でも私にとってADHDは大きな問題じゃありませんでした。病名を今更つけられたって、何の解決にもならなかったからです。
元々「死」が怖くて発作が起きているので
それにプラスして「このまま死ねない」という思いが強まっていきました。
コロナが流行り、仕事も夢も迷っている最中
実家から電話がありました。
それは、珍しく父からでした。
母が大腸がんになったと。がんの大きさはまだどれぐらいか分からないけど小さくはない。と。
怖さと不安で号泣しました。
泣いて、泣いて、泣きました。
そして、私は何も無いと思っていたけど何も無い私でもずっと応援してくれていた母に何もしてあげられていないことに気付きました。
もし、お母さんがこのままいなくなってしまったら、本当にこのまま私の人生は何も無いままで終わる。
帰ろう。地元に帰ろう。
お母さんに何かしてあげるということは、考えてませんでした。とにかくそばにいたいという気持ちでした。
そして、私は10年住んだ東京を離れて
地元に戻りました。
母のがんは、治るものでした。
ですが、私のパニック発作はひどく、まだ働ける状態ではなかったです。
ただ、東京の時とは違っていたこともあります。
パニック発作が起きるとずっと
「たすけて」
と叫んでしまっていた私ですが
帰ってきてからは、薬を飲んで横になって頭の中で私が大事に思ってる人へひとりひとり
「ありがとう」
と頭の中で言って深呼吸をするんです。
すると、そのまま眠って起きたら回復しています。
パニック発作への対処が、うまくなってきた去年の夏頃に、私も「ありがとう」と言ってもらえるだろうか。と考えました。
パニック発作は何度あっても慣れません。
毎回新鮮な気持ちで「あぁ死ぬんだ」と
考えてしまいます。
なら、本当に誰かが死を迎える直前に私のことを思い出して「ありがとう」って何人の人に心の中で思ってもらえるんだろう。
もうひとつ、この思いと同時に
私はまだ20数年しか生きてないけど、私よりも沢山の経験を積んだ方は死に対して、毎日に対してどんな気持ちなんだろう。という疑問が生まれてきました。
そこでスマホで調べているうちに見つけた仕事が『介護』でした。
未経験でも良いところを探し、アルバイトしかしたことがなかった私は初めてハローワークに行き、今の職場を見つけて働き始めてから半年が経ちます。
まだ「ありがとう」と言ってもらえる人になれてるかは分かりません。
まだ人生の大先輩の死生観は分かりません。
それにそんな難しい問題軽々しく話せませんしね笑
十人十色の思考の中でもこの世で一番難しいことかもしれないです。
でも、この仕事をはじめて私がいっぱい「ありがとう」って言えています。
私の芝居しかやってこなかった経験が、活きていてやってきて良かったと思えています。
パニック発作もこの半年で回数が急激に減っています。
私は、介護の仕事で自分が救われている状態にあります。
今は介護に出会えて良かったと思ってます。
余談ですが、職場の先輩方とはあまりうまくやっていけてないです笑
先輩方は利用者さんへの接し方がキツイので、それを見てると私の心が苦しくなってしまうので。
初任者研修の講師の方に
「おかしいなと思うところは自分が偉くなったら変えていったらいい」と励まされたので、その言葉を信じて
今は2年半後に介護福祉士の資格が取ることが目標です。
もう少し余裕が出来たり、機会があれば
地元でお芝居もしたいし
ここで書いているような、仕事やコミュニケーションで活かせる芝居の基礎も伝えられるようになりたいと思っていますが、まぁまだそこらへんは夢物語の段階です。
長くなりましたが、私の身の上話でした。
介護をしている人
パニック障害の人
ADHDの人
が全て私のような考えではないです。
「〇〇をしたらパニックが治った!」とか
「介護は〇〇をすると楽になる!」みたいな
万人が食いつくエピソードではなくて
すいません笑
これからも、私の経験で
私のやり方を残していきますので
読んでいただけたらありがたいです。
いつか「ありがとう」と言って頂けますように。
ゆうゆ